『治る見込みのない末期患者の医療の在り方を議論していた厚生労働省の検討会は4日、延命治療の実施や中止について具体的な手順を示すガイドラインを専門医学会が作成するべきだとする報告書の素案をまとめた。素案は、最近の安楽死事件にも触れ「許されない安楽死と、単なる延命治療の中止との境界があいまいになっている」と指摘。明確なルール作りのため、法律家も参加した国民的議論が必要だとしている。検討会は23日、最終的な報告書をまとめて公表する。厚労省が昨年実施した意識調査では、自分が痛みを伴う末期症状になったときに「単なる延命治療」をしないよう求める人は全体の74%に上ったが、終末期医療に悩みや疑問を感じる医師は86%、看護師は91%いた。医師が患者の苦痛を取り除こうと死期を早め、問題化するケースは後を絶たず、川崎市の病院で1998年、筋弛緩(しかん)剤を投与されたぜんそく患者が死亡。今年2月には北海道の病院で人工呼吸器を外された患者が死亡した。素案はこうした事実を踏まえ「どういう手順を踏んだ延命治療の実施や中止が妥当なのかという社会的合意がなく、医療現場が苦悩している」と問題を提起。在宅で最期を迎えられる体制づくりや緩和ケア病棟の拡充なども提言している。』

日本では安楽死は法律上認められていない.本人が安楽死を希望してもかなえられることはない.安楽死に協力した医師は刑事責任を問われるのだから協力する医師がいるわけはない.

一方でどういう理由かわからないが勝手に患者の延命を中止したり,安楽死のつもりで殺人行為をしてしまう医師がいることは明らかだ.日本人は人間の死というものに対してはっきりとした認識ができないのだろうか.多くの人が自分に関しては延命治療を希望しないと答える一方で,親族の延命治療を望まないとはっきり言える家族は非常に少ない印象である.

延命治療の実施や中止について具体的な手順を示すガイドラインを決めるというが,実際にこれを決めるにあたっても賛否両論が出てあいまいな表現のガイドラインになることを危惧している.そうなっては医療の現場で医師の手間ばかりがさらに増える恐れがあるので,できるだけ家族が読んでも理解できるような内容にしてもらいたいものである.もちろん理想は医師の説明とガイドラインにしたがって積極的に家族が治療方針を決定してくれることである.

幸い脳外科領域では脳死判定するような患者さんの意識はないし脳腫瘍の患者さんも末期には意識障害になるので安楽死を希望されたりすることは稀である.癌の疼痛コントロールの必要なケースも稀である.しかし,最近の療養型病棟を診ていて問題に思うのは遷延性意識障害の患者さんの多くは医原性であるということである.

最近の医学における治療というものは治療後のQOL(Quality of Life)や治療効果を基準に考えるものであって,救命救急でたとえ命が助かったとしても遷延性意識障害で寝たきり(俗に言う植物状態)では治療効果として脳外科的には評価できないと思う.しかし,医師の古来より医師の使命は可能な限り患者さんを救命することであるという考え方があるためか,遷延性意識障害で寝たきりになるであろうことが予想されても手術が可能なかぎり手術しようとする脳外科医がいるのが現実である.

もっと驚くのは手術をした結果どうなることが期待できるのかという点になると主治医からほとんど聞いていないもしくは憶えていない家族が非常に多いことである.当時は救命できる可能性だけを信じて手術に同意したのかもしれないが,その結果として患者さんは植物状態のままある期間は生存しいずれは合併症での死を迎えているのである.

遷延性意識障害の患者さんの最期を看取る時に人生の最期としてふさわしいその人間の死のタイミングはどこにあったかと考えることがあるが,残念ながら他に死ぬべき時があったような気がするこが多い.尊厳死という概念があるが,私だったら意識の無いまま姿形を変えて見るも無残な姿での死を迎えるのは厭である.少なくとも元気だったころの面影を残して死んでいきたいものだ.

安楽死という問題の前にその人にふさわしい尊厳を保った死というものについて是非考えてもらいたいものだ.

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