胎児はヒトではないが正常な人間であるはず.
2004年7月20日『横浜市中区の産婦人科「伊勢佐木クリニック」(原田慶堂(はらだ・けいどう)院長)が、妊娠12週以上の中絶胎児を一般ごみとして捨てていた疑いがあるとして、横浜市は20日までに立ち入り調査をした。墓地埋葬法は妊娠12週以上の中絶胎児は死体として扱うよう定めており、火葬・埋葬することになっている。市によると、同クリニックで12週以上の中絶胎児の手足を切断し、一般ごみとして捨てていた、との情報が市に寄せられた。今月中旬、立ち入り調査し、関係書類の提出を求めたという。市は、感染性廃棄物の適正処理を定めた廃棄物処理法や医療法にも違反する疑いがあるとみている。横浜市の調査に対し、原田院長は「中絶胎児は以前から適正に処理してきた。問題はない」と話しているという。一方、12週未満の中絶胎児は死体とみなされず、その扱いについて法的な位置付けははっきりしていない。同クリニックはベッド数が2つの診療所。この日は玄関に「本日休診」と張られ、関係者の出入りは見られなかった。』
『横浜市内のクリニックが中絶胎児を一般ごみとして捨てていた疑いがある問題について、坂口力厚生労働相は20日の閣議後記者会見で「事実なら大変なこと。きちんと調査して対処したい」と述べ、胎児の扱いを検討する考えを示した。坂口厚労相は「少ない月数でも胎児が生存可能になってきた。死産、流産、中絶の場合はどう扱うか、今まで考えていた月数だけで処理するのでなく現在の医学に照らして考えたい」とした。同省の省令は妊娠12週以後を「死産」として届けるよう規定。この趣旨に基づき墓地埋葬法は12週以後の胎児を「死体」として火葬・埋葬対象としている。12週未満の胎児は規定がなく、扱いはあいまいだ。胎児の妊娠週数での線引きや処理方法、医療機関への指導など多くの分野にまたがるため、同省生活衛生課の担当者は「まず問題点を整理して、対応を検討したい」と話している。』
法律が倫理観を規定することはありえない.これは順番が逆である.倫理観に基づいて死体の法的規定をすべきであるはずだが,それ以前に現在の日本人の倫理観は胎児を人間だとは思っていないらしい.胎児が死体であるならば中絶は殺人ではないのか.
新聞を読んでいると胎児をはさみで切り刻んで一般ゴミとして捨てていたと書いてあり,その行為がいかにも残虐な行為で証言した看護師は胎児に謝りながらやっていたなどと書かれていたが,中絶には罪の意識はなかったのだろうか.死体を切り刻むのが悪で命を奪うことは正当な理由があれば仕方がないとはどういう気持ちで言えるのだろうか.
ちょっと考えてもらいたい.低酸素脳症で意識がなく寝たきりの人間と人間として発生していく途中の胎児の違いはどこにあってどちらの命を奪ったら殺人になりその倫理上の根拠はどこにあるのかということを.もちろん低酸素脳症で意識がなく寝たきりの人が人為的に命を奪われれば殺人である.医療事故であれば業務上過失致死罪に問われる.では胎児ならなぜ殺人にならないのだろうか.
分娩されて個体で存在し得ないというのは理由にならない.人工呼吸器や経管栄養でないと生きられない人はたくさんいる.自分で意志表示できない点でも同じである.低酸素脳症の脳には障害があるが,正常胎児の脳には障害はない.それは発達して個性を持ったヒトの脳になるものだ.
私からみれば人間は受精して発生が始まった時点からすでに人間であり.人為的に命を絶つ行為はすべて殺人である.生殖医学に携わる者にこういった考えを持つ人が少ないと思うのだが気のせいだろうか.少数の選ばれた人間のために闇に葬られている人間のなんと多いことか.
人の幸せを言うのなら生殖医療のこういった影の部分を社会としてきちんと解決していかないといけないだろう.親の都合で中絶もやむを得ないという産婦人科医は,家族の都合で患者の生命維持装置をはずすのと同じことをしていることに気づくべきである.
『横浜市内のクリニックが中絶胎児を一般ごみとして捨てていた疑いがある問題について、坂口力厚生労働相は20日の閣議後記者会見で「事実なら大変なこと。きちんと調査して対処したい」と述べ、胎児の扱いを検討する考えを示した。坂口厚労相は「少ない月数でも胎児が生存可能になってきた。死産、流産、中絶の場合はどう扱うか、今まで考えていた月数だけで処理するのでなく現在の医学に照らして考えたい」とした。同省の省令は妊娠12週以後を「死産」として届けるよう規定。この趣旨に基づき墓地埋葬法は12週以後の胎児を「死体」として火葬・埋葬対象としている。12週未満の胎児は規定がなく、扱いはあいまいだ。胎児の妊娠週数での線引きや処理方法、医療機関への指導など多くの分野にまたがるため、同省生活衛生課の担当者は「まず問題点を整理して、対応を検討したい」と話している。』
法律が倫理観を規定することはありえない.これは順番が逆である.倫理観に基づいて死体の法的規定をすべきであるはずだが,それ以前に現在の日本人の倫理観は胎児を人間だとは思っていないらしい.胎児が死体であるならば中絶は殺人ではないのか.
新聞を読んでいると胎児をはさみで切り刻んで一般ゴミとして捨てていたと書いてあり,その行為がいかにも残虐な行為で証言した看護師は胎児に謝りながらやっていたなどと書かれていたが,中絶には罪の意識はなかったのだろうか.死体を切り刻むのが悪で命を奪うことは正当な理由があれば仕方がないとはどういう気持ちで言えるのだろうか.
ちょっと考えてもらいたい.低酸素脳症で意識がなく寝たきりの人間と人間として発生していく途中の胎児の違いはどこにあってどちらの命を奪ったら殺人になりその倫理上の根拠はどこにあるのかということを.もちろん低酸素脳症で意識がなく寝たきりの人が人為的に命を奪われれば殺人である.医療事故であれば業務上過失致死罪に問われる.では胎児ならなぜ殺人にならないのだろうか.
分娩されて個体で存在し得ないというのは理由にならない.人工呼吸器や経管栄養でないと生きられない人はたくさんいる.自分で意志表示できない点でも同じである.低酸素脳症の脳には障害があるが,正常胎児の脳には障害はない.それは発達して個性を持ったヒトの脳になるものだ.
私からみれば人間は受精して発生が始まった時点からすでに人間であり.人為的に命を絶つ行為はすべて殺人である.生殖医学に携わる者にこういった考えを持つ人が少ないと思うのだが気のせいだろうか.少数の選ばれた人間のために闇に葬られている人間のなんと多いことか.
人の幸せを言うのなら生殖医療のこういった影の部分を社会としてきちんと解決していかないといけないだろう.親の都合で中絶もやむを得ないという産婦人科医は,家族の都合で患者の生命維持装置をはずすのと同じことをしていることに気づくべきである.
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