『--不妊治療法を国民投票へ イタリア --
イタリアで昨年制定され、受精卵の検査(スクリーニング)禁止など厳しい条件を患者に課した不妊治療法について同国の憲法裁判所は13日、法修正の是非を問う国民投票実施を決定した。投票は4月15日から6月15日の間に行われる。
投票にかけられる条項には(1)母体に戻す前の受精卵の異常を見つけるためのスクリーニング禁止(2)一度に受精させられる卵子数の制限(3個まで)と凍結保存の禁止(3)第三者からの精子、卵子の提供禁止(4)受精卵の研究目的への使用禁止-などが含まれている。
いずれの条項もバチカン(ローマ法王庁)のカトリック的倫理観を反映している。条件緩和を求める野党などが国民投票を求めていた。』
『--受精卵診断を名市大が承認 産婦人科学会に実施申請へ --
名古屋市立大医学部の倫理委員会は14日までに、体外受精した受精卵を母胎に戻す前に遺伝病の有無を調べる受精卵診断(着床前診断)を承認した。産婦人科の鈴森薫(すずもり・かおる)教授からの申請で、実施にはさらに日本産科婦人科学会の倫理委の承認が必要なため、鈴森教授は同日中に学会に申請する。
受精卵診断をめぐっては、同学会が昨年7月、デュシェンヌ型筋ジストロフィーを対象とした慶応大の申請を初めて承認。鈴森教授の申請が認められれば2例目となる。
申請の対象は筋力が低下し、歩行困難などの障害が起きる筋強直性ジストロフィーを発症した女性。鈴森教授は「死産を経験しており、生まれてくる子供が重篤化する確率は高い。診断はやむを得ない」と話している。
鈴森教授の申請は今回が2例目。別の夫婦を対象とした1例目は、同大の倫理委は承認したが、学会が「成人後も日常生活を送ることができる可能性があり、重篤な遺伝病に当たらない」として認めなかった。』
法治国家であれば倫理観を国民の多数決で法に反映させるというのは合理的であろう.社会福祉制度そのものが法的なものである以上,それが適応されるものすべては規制されるべきであるという考え方も理解できる.
しかるにわが国はどうであろうか.大学医学部や学会の倫理委員会がどう決定したところで,結果として生まれてくる子供が重篤化したとしても何の責任も負わないだろう.
受精卵診断(着床前診断)を承認して障害者が生まれないようにするのが倫理的かどうかの問題ではなく,社会保障制度を支えている国民が医療に何を求めるのかが問題だろう.
医療費を含む社会福祉の費用を減らすのが目的なら障害者をその発生の時点で排除するのが合理的なのかも知れないが,それでいいのだろうか.それを問うものこそが倫理観だろう.
イタリアで昨年制定され、受精卵の検査(スクリーニング)禁止など厳しい条件を患者に課した不妊治療法について同国の憲法裁判所は13日、法修正の是非を問う国民投票実施を決定した。投票は4月15日から6月15日の間に行われる。
投票にかけられる条項には(1)母体に戻す前の受精卵の異常を見つけるためのスクリーニング禁止(2)一度に受精させられる卵子数の制限(3個まで)と凍結保存の禁止(3)第三者からの精子、卵子の提供禁止(4)受精卵の研究目的への使用禁止-などが含まれている。
いずれの条項もバチカン(ローマ法王庁)のカトリック的倫理観を反映している。条件緩和を求める野党などが国民投票を求めていた。』
『--受精卵診断を名市大が承認 産婦人科学会に実施申請へ --
名古屋市立大医学部の倫理委員会は14日までに、体外受精した受精卵を母胎に戻す前に遺伝病の有無を調べる受精卵診断(着床前診断)を承認した。産婦人科の鈴森薫(すずもり・かおる)教授からの申請で、実施にはさらに日本産科婦人科学会の倫理委の承認が必要なため、鈴森教授は同日中に学会に申請する。
受精卵診断をめぐっては、同学会が昨年7月、デュシェンヌ型筋ジストロフィーを対象とした慶応大の申請を初めて承認。鈴森教授の申請が認められれば2例目となる。
申請の対象は筋力が低下し、歩行困難などの障害が起きる筋強直性ジストロフィーを発症した女性。鈴森教授は「死産を経験しており、生まれてくる子供が重篤化する確率は高い。診断はやむを得ない」と話している。
鈴森教授の申請は今回が2例目。別の夫婦を対象とした1例目は、同大の倫理委は承認したが、学会が「成人後も日常生活を送ることができる可能性があり、重篤な遺伝病に当たらない」として認めなかった。』
法治国家であれば倫理観を国民の多数決で法に反映させるというのは合理的であろう.社会福祉制度そのものが法的なものである以上,それが適応されるものすべては規制されるべきであるという考え方も理解できる.
しかるにわが国はどうであろうか.大学医学部や学会の倫理委員会がどう決定したところで,結果として生まれてくる子供が重篤化したとしても何の責任も負わないだろう.
受精卵診断(着床前診断)を承認して障害者が生まれないようにするのが倫理的かどうかの問題ではなく,社会保障制度を支えている国民が医療に何を求めるのかが問題だろう.
医療費を含む社会福祉の費用を減らすのが目的なら障害者をその発生の時点で排除するのが合理的なのかも知れないが,それでいいのだろうか.それを問うものこそが倫理観だろう.
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