計画殺人に精神鑑定は無意味
2006年2月20日 社会の問題 コメント (1)『 --元塾講師側、責任能力で争う姿勢 小6女児殺害で初公判--
京都府宇治市の学習塾「京進宇治神明校」で昨年12月、塾生の小学6年の堀本紗也乃(さやの)さん(当時12)が刺殺された事件で、殺人と銃刀法違反の罪に問われた同塾の元アルバイト講師萩野裕(ゆう)被告(23)=宇治市寺山台3丁目=の初公判が20日、京都地裁(氷室真裁判長)であった。萩野被告は「間違いありません」と事実関係を認めたが、弁護側は「幻覚及び妄想に支配されており、心神喪失者として無罪とされるべきだ」として、責任能力について争う姿勢を示した。次回以降の公判で萩野被告の精神鑑定を請求する方針。
罪状認否で萩野被告は用意した紙を読み上げ、「私が先に自殺していればこんなことにはならなかったのに、と後悔している。被害者には申し訳ないことをした」と謝罪した。
検察側は冒頭陳述で、萩野被告の動機について「被害者から『きもい』などと言われるようになり、恩を仇(あだ)で返されたと思いこんで不信感と憎しみを持つようになった」と指摘。紗也乃さんの指導担当やテストの監督から外されたことで憎悪の念を募らせた、とした。
包丁2本を購入した後でさらに「確実に殺害するため」としてハンマーも購入。事件の前日に他の生徒を別の教室に誘導させるためのアンケートや張り紙を作っていた経緯を述べ、確固とした殺意に基づく計画的犯行であることを強調した。
これに対し弁護側も冒頭陳述し、萩野被告の幼少の頃について「他人との関係に違和感を持つ子ども」と説明。「03年10月ごろから病院の精神科に通院して抗うつ剤による投薬治療を続けていた」と述べた。
昨年6月ごろから妄想にとらわれ、紗也乃さんになぜ嫌われるのか思い悩むようになるとともに、同11月ごろからは紗也乃さんが剣を持って突き上げてくる幻覚が見えるようになった、と主張。「体を乗っ取られるとの思いで殺害した。うらみがあったわけではない」と述べた。
弁護側は萩野被告の両親や主治医らの証人尋問を請求した。
起訴状によると、萩野被告は05年12月10日午前9時ごろ、同市神明石塚の同塾106教室で、紗也乃さんの首などを包丁(刃渡り約17センチ)で数回刺して殺害したとされる。
検察側は「主治医の話や犯行態様から責任能力には問題がないと判断した」として起訴した。
萩野被告は事件当時、同志社大法学部4年だったが、起訴後の今年1月、退学処分になっている。 』
先日の2園児殺害もそうだが,殺害しようと包丁を用意したということは殺害を計画できるだけの能力があったということで,もうそれだけで責任能力ありと考えるのが一般常識というものだろう.
殺害したことが明らかだから弁護側も裁判の争点を責任能力の有無にして一挙に無罪を勝ち取ろうとするしかないのだろうが,安易なやり方である.この事件の場合は動機も標的も殺害計画も論理的で用意周到であり弁解の余地はまったくないであろう.
弁護士の職業倫理というものはよくわからないが,精神科の通院歴とかうつ病という病歴が免罪符になるわけではないだろうし,それらの言葉を安易に使うことは,他の精神科通院患者さんたちにとっては大変迷惑な話であろうことももっとよく認識してもらいたいと思うのは私だけだろうか.
京都府宇治市の学習塾「京進宇治神明校」で昨年12月、塾生の小学6年の堀本紗也乃(さやの)さん(当時12)が刺殺された事件で、殺人と銃刀法違反の罪に問われた同塾の元アルバイト講師萩野裕(ゆう)被告(23)=宇治市寺山台3丁目=の初公判が20日、京都地裁(氷室真裁判長)であった。萩野被告は「間違いありません」と事実関係を認めたが、弁護側は「幻覚及び妄想に支配されており、心神喪失者として無罪とされるべきだ」として、責任能力について争う姿勢を示した。次回以降の公判で萩野被告の精神鑑定を請求する方針。
罪状認否で萩野被告は用意した紙を読み上げ、「私が先に自殺していればこんなことにはならなかったのに、と後悔している。被害者には申し訳ないことをした」と謝罪した。
検察側は冒頭陳述で、萩野被告の動機について「被害者から『きもい』などと言われるようになり、恩を仇(あだ)で返されたと思いこんで不信感と憎しみを持つようになった」と指摘。紗也乃さんの指導担当やテストの監督から外されたことで憎悪の念を募らせた、とした。
包丁2本を購入した後でさらに「確実に殺害するため」としてハンマーも購入。事件の前日に他の生徒を別の教室に誘導させるためのアンケートや張り紙を作っていた経緯を述べ、確固とした殺意に基づく計画的犯行であることを強調した。
これに対し弁護側も冒頭陳述し、萩野被告の幼少の頃について「他人との関係に違和感を持つ子ども」と説明。「03年10月ごろから病院の精神科に通院して抗うつ剤による投薬治療を続けていた」と述べた。
昨年6月ごろから妄想にとらわれ、紗也乃さんになぜ嫌われるのか思い悩むようになるとともに、同11月ごろからは紗也乃さんが剣を持って突き上げてくる幻覚が見えるようになった、と主張。「体を乗っ取られるとの思いで殺害した。うらみがあったわけではない」と述べた。
弁護側は萩野被告の両親や主治医らの証人尋問を請求した。
起訴状によると、萩野被告は05年12月10日午前9時ごろ、同市神明石塚の同塾106教室で、紗也乃さんの首などを包丁(刃渡り約17センチ)で数回刺して殺害したとされる。
検察側は「主治医の話や犯行態様から責任能力には問題がないと判断した」として起訴した。
萩野被告は事件当時、同志社大法学部4年だったが、起訴後の今年1月、退学処分になっている。 』
先日の2園児殺害もそうだが,殺害しようと包丁を用意したということは殺害を計画できるだけの能力があったということで,もうそれだけで責任能力ありと考えるのが一般常識というものだろう.
殺害したことが明らかだから弁護側も裁判の争点を責任能力の有無にして一挙に無罪を勝ち取ろうとするしかないのだろうが,安易なやり方である.この事件の場合は動機も標的も殺害計画も論理的で用意周到であり弁解の余地はまったくないであろう.
弁護士の職業倫理というものはよくわからないが,精神科の通院歴とかうつ病という病歴が免罪符になるわけではないだろうし,それらの言葉を安易に使うことは,他の精神科通院患者さんたちにとっては大変迷惑な話であろうことももっとよく認識してもらいたいと思うのは私だけだろうか.
コメント
子供の頃、精神鑑定・責任能力という言葉を聞くたびに不可解な思いに駆られていました。
心神耗弱や何であろうと然したる理由もなく人を殺めるような人間を自由に天下の公道を往来させていいのだろうか。
更に言うなら、こういった事を理由に無罪・釈放を繰り返していけば精神科に通う人達への偏見に必ず繋がっていきますし、精神に疾患がある事を装う凶悪犯罪者を生み出す温床にもなります。
何故このような百害あって一利なしのような事がまかり通るのだろうか、と考えていました。
しかし今、別の視点でこれらの事を理解し・納得しています。
凶悪犯罪の裁判にしゃしゃり出てきては事実関係を捻じ曲げ無罪を主張する人々、彼らは同胞を庇っているのです。被害者が日本人である以上、同情するなんて以ての外、日本人がどうなっても全く構わないのです。
私達日本人は自分達の安全・生活環境の保全の為、これらの問題に関心を持つべきだと思います。
殺人・傷害といった凶悪犯罪の場合、精神疾患を理由に刑が減刑される事など許されべきではないし、無罪だなんてありえない事です。