『 -- ほぼすべての中絶禁止へ サウスダコタ州下院が法案承認 --
米サウスダコタ州下院は24日、ほぼすべての人工妊娠中絶を禁止する州法制定案を50対18で承認した。AP通信が伝えた。新法制定には知事の署名が必要だが、共和党のラウンズ知事は前向きと伝えられ、7月1日施行の見通し。連邦最高裁の判事構成が変わったことを受け、中絶を合法とした73年の最高裁判決が見直されることを期待しての対応で、他の州議会にも追随する動きがあるという。
AP通信によると、提案された新法は、母体に生命の危険がある時以外の中絶を禁止する内容。レイプ被害や近親間の妊娠の場合でも中絶はできなくなる。違反して中絶にかかわった医師は最高5年の刑に問われる可能性がある。
これに対し、女性の「産む、産まない」の選択を支持することから同州で唯一の中絶医院を運営する組織「プランド・ペアレントフッド」は、法律が最高裁決定を無視しているとして無効確認を求める訴えを起こす方針だ。』
先日の里親制度のニュースのコメントに中絶は胎児を殺すことにほかならないということを強調する意味で殺人という言葉を使ったのだが,女性産婦人科医と思われる方から強い不快感を表明された.その後,中絶にかかわる倫理感ということが頭に少々ひっかかっていた.そのせいかこの二ユースに目が止まったので,また少し考えてみたい.
米国の場合,中絶問題は大統領選の公約になるほど重要な問題であるらしいが,それはキリスト教によるところが大きい.新法皇ベネディクト16世も昨年のクリスマスミサでクリスマスの栄光の一部が「全ての子供を照らし出す。まだ生まれていない子供たちさえも、照らし出すのだ」と述べ、「全ての」という部分をことさらに強調し、出生前の胎児の命を尊重する立場を改めて示している.
わが国の場合は宗教的な倫理観から中絶を否定する意見が取り上げられることはないだろう.むしろ最近の傾向としては中絶は女性の権利であるという声が大きい.民主主義は多数決の原理であるから声が大きいと正しいことになるのだろうが.必ずしも真に正しいわけではない.反対意見が多くなれば昨日まで正しかったことが誤りとされることもあるわけである.だから,中絶が善か悪かを論じようなどというつもりはない.ただ,中絶は胎児というヒトを殺すことになるのかどうかが知りたいだけである.
産婦人科医はどう考えてやっているのだろうか.脳外科医の私には,胎児は母親に生命維持を依存はしているが,母親とは遺伝情報の発現が異なる点でまったく別のヒト個体として扱われるべきものと考えられるのである.そして,中絶とはなんらかの母体側の都合で胎児の生命維持を中止し死に至らしめる行為ではないのだろうか.
なにか面倒な話になったので,一つの例を考えてみた.今後,バイオテクノロジーがさらに進歩して人工子宮ができたとしよう.妊娠の継続を希望しない母体から取り出された胎児が人工子宮で生命維持できるようになったとする.里親制度もあり生まれてもなんの問題もない社会になっているが,母親が人工子宮での生命維持を希望しなかったとする.さて,あなたなら母親の希望は正当であると言えるであろうか.
昔の日本では間引きということが行われていた.お産婆さんがお産の家に行ったときに屏風が逆さに置かれていたら,そのお産は死産とされたそうである.昔は中絶を安全に行える技術がなかったから満期産で生まれた児を殺していたのかもしれない.これは今の時代であれば殺人である.
今後は人工授精でつくった胎児を人工子宮で育て,都合が悪くなったら人工子宮を停止させることもできる時代になるかもしれない.そうなったら胎児の生存権はどうなるのだろうか.そこに倫理観は存在しているのだろうか,未来のことはなってみなければわからないが,将来,胎児に生存権がみとめられたら,現在の中絶はそれこそ殺人以外のなにものでもなくなるのではないだろうか.
米サウスダコタ州下院は24日、ほぼすべての人工妊娠中絶を禁止する州法制定案を50対18で承認した。AP通信が伝えた。新法制定には知事の署名が必要だが、共和党のラウンズ知事は前向きと伝えられ、7月1日施行の見通し。連邦最高裁の判事構成が変わったことを受け、中絶を合法とした73年の最高裁判決が見直されることを期待しての対応で、他の州議会にも追随する動きがあるという。
AP通信によると、提案された新法は、母体に生命の危険がある時以外の中絶を禁止する内容。レイプ被害や近親間の妊娠の場合でも中絶はできなくなる。違反して中絶にかかわった医師は最高5年の刑に問われる可能性がある。
これに対し、女性の「産む、産まない」の選択を支持することから同州で唯一の中絶医院を運営する組織「プランド・ペアレントフッド」は、法律が最高裁決定を無視しているとして無効確認を求める訴えを起こす方針だ。』
先日の里親制度のニュースのコメントに中絶は胎児を殺すことにほかならないということを強調する意味で殺人という言葉を使ったのだが,女性産婦人科医と思われる方から強い不快感を表明された.その後,中絶にかかわる倫理感ということが頭に少々ひっかかっていた.そのせいかこの二ユースに目が止まったので,また少し考えてみたい.
米国の場合,中絶問題は大統領選の公約になるほど重要な問題であるらしいが,それはキリスト教によるところが大きい.新法皇ベネディクト16世も昨年のクリスマスミサでクリスマスの栄光の一部が「全ての子供を照らし出す。まだ生まれていない子供たちさえも、照らし出すのだ」と述べ、「全ての」という部分をことさらに強調し、出生前の胎児の命を尊重する立場を改めて示している.
わが国の場合は宗教的な倫理観から中絶を否定する意見が取り上げられることはないだろう.むしろ最近の傾向としては中絶は女性の権利であるという声が大きい.民主主義は多数決の原理であるから声が大きいと正しいことになるのだろうが.必ずしも真に正しいわけではない.反対意見が多くなれば昨日まで正しかったことが誤りとされることもあるわけである.だから,中絶が善か悪かを論じようなどというつもりはない.ただ,中絶は胎児というヒトを殺すことになるのかどうかが知りたいだけである.
産婦人科医はどう考えてやっているのだろうか.脳外科医の私には,胎児は母親に生命維持を依存はしているが,母親とは遺伝情報の発現が異なる点でまったく別のヒト個体として扱われるべきものと考えられるのである.そして,中絶とはなんらかの母体側の都合で胎児の生命維持を中止し死に至らしめる行為ではないのだろうか.
なにか面倒な話になったので,一つの例を考えてみた.今後,バイオテクノロジーがさらに進歩して人工子宮ができたとしよう.妊娠の継続を希望しない母体から取り出された胎児が人工子宮で生命維持できるようになったとする.里親制度もあり生まれてもなんの問題もない社会になっているが,母親が人工子宮での生命維持を希望しなかったとする.さて,あなたなら母親の希望は正当であると言えるであろうか.
昔の日本では間引きということが行われていた.お産婆さんがお産の家に行ったときに屏風が逆さに置かれていたら,そのお産は死産とされたそうである.昔は中絶を安全に行える技術がなかったから満期産で生まれた児を殺していたのかもしれない.これは今の時代であれば殺人である.
今後は人工授精でつくった胎児を人工子宮で育て,都合が悪くなったら人工子宮を停止させることもできる時代になるかもしれない.そうなったら胎児の生存権はどうなるのだろうか.そこに倫理観は存在しているのだろうか,未来のことはなってみなければわからないが,将来,胎児に生存権がみとめられたら,現在の中絶はそれこそ殺人以外のなにものでもなくなるのではないだろうか.
コメント
羨ましい・・・・
中絶は絶対にいけないことですよねぇ。自分の子供を殺してくれって言ってるわけですからね。そういう奴許せないです。
理解できないことなのかもしれませんね。
そもそも妊娠はひとりでにするものでもなく相手が
あってのことですが、避妊してたにもかかわらず妊娠して
しまった場合や望んでない関係によって妊娠してしまった
場合など中絶しようと考えるケースはいろいろだとは
思います。が、なんの罪悪感?もなく迷いもなく体と心に
深い傷を負うであろうことを女性が安易に考えるとお思い
ですか?
幸い私はそのような立場にたったことはありませんので
ほんとうのところはわからないのかもしれませんが、
考えた末に中絶という選択をしてしまった女性だけを
殺人者と考える・それを手助けする産婦人科医は殺人幇助
と考えるというのには如何なものでしょうか。
中絶することが善だとは思っておりませんが、上のアメリカ
サウスダコタ州の法案記事を読んでぞっといたしました。
妊娠中絶が殺人であること、そして児童虐待と同根であるとの指摘には社会生物学的な根拠があると思う。殺人というと極端な反応をする向きもあるが殺人が無条件に犯罪であるわけではない。フェミニズムのアジテーションに説得されないように注意してもらいたい。
年間30万人以上の中絶=殺人を回避するために、福島県のように社会的子育てを奨励するのはラストリゾートだが、今はそれをやる段階に来ている。養子制度を確立することも同様に必要だろうが、養子には虐待が伴うので注意が必要になるだろう。
お邪魔様。
一切反対です。
すべては望まない妊娠をさせた男性の責任です。
あと、セックスと生殖が切り離されれば、もうプロライフやプロチョイスなんてのは崩壊するんじゃないでしょうか?