『「病院にほられた」パジャマ姿で猛暑のベンチに 堺の病院・全盲患者放置
    
 「病院に捨てられた」。新金岡豊川総合病院(堺市北区)の職員から、大阪市内の公園に放置された全盲の無職男性患者(63)は、男性を保護した救急隊員らに、こう話したという。病人を保護するはずの病院の信じられない行為。警察の調べに、同病院職員は「近くに病院が見えたから」と公園に放置した理由を説明した。病院側は会見で「あるまじき行為だった」と非を認めたが、医療機関としてモラルが厳しく問われることは必至だ。

 大阪市消防局などによると、「匿名の男」から119番があったのは9月21日午後2時23分。「60代男性が倒れている。目が見えない」という内容だった。7分後、同市西成区鶴見橋3の松之宮公園に救急車で駆けつけた西成消防署の救急隊員が見たのは、公園隅のベンチに、ぽつんと座るパジャマ姿の男性と、隣のベンチに置かれた男性の衣装ケース二つ、衣類の入った三つのごみ袋だった。

 男性の意識はしっかりしていた。しかし、当日は30度を超す猛暑。顔が少し紅潮していた。隊員は、「捨てられた」という男性の話を信じられなかったが、確認のため病院に電話をしたところ、応対した職員は「(男性患者の)話す通りです」と認めた。男性は37・6度の発熱があり、午後4時18分、近くの病院に搬送。翌日、別の病院に転院したという。

 消防は事件の可能性もあるとみて110番通報もした。男性は府警西成署の調べにも「病院にほられた(捨てられた)」と説明したという。

 同署は、10月に病院を家宅捜索し、放置にかかわった男性職員から事情を聴いた。30-40代の事務職員2人は「医師の診断で退院可能と分かったが、男性が退院の説得に応じないうえ、引き取りを依頼した前妻からも拒否された」と説明。この公園を選んだのは「近くに病院が(車から)見えたので、ここなら大丈夫と思った」と話したという。

 ◇「指示してない」院長の次男会見

 堺市北区の新金岡豊川総合病院では、体調を崩したという豊川元邦院長に代わり次男の泰樹・薬局長らが会見した。何度も頭を下げたが、「なぜ放置したか分からない。誰も指示していない」と、あくまで現場の職員の判断だったと強調した。一方で「放置するくらいなら、自宅に男性を降ろした方がよかった」とも発言し、患者軽視の姿勢も見え隠れした。

 病院側によると、放置することを判断したのは4人のうちの年長者の渉外係の職員(47)。男性の病状は安定し、退院は可能だったが、家族など受け入れ態勢がなく退院できない「社会的入院」で長期の病院暮らしを送っていた。目の不自由な人向けの施設などへの入所を勧めても拒否。他の患者とトラブルを起こして6人部屋を独占し、暴言を恐れて辞めていった看護師もいたという。男性にはいまだ謝罪していないという。』

こんなニュースになるようでは病院や医師を叩きたいマスコミに格好の話題を提供しただけである.職員は病院のために思い余ってこんな非人道的な行動に走ってしまったのかもしれないが,全く無意味などころか診療報酬削減キャンペーンのネタにされ社会的入院なのに退院させられずに我慢している他の病院の足をさらに引っ張るだけである.理由の如何を問わずに軽率な行動には猛省を促すべきだろう.

他のニュースによるとこの患者は7年間も入院していて,2年前に生活保護を切られてから入院費が不払いになったようである.不払いも他の患者とトラブルで6人部屋を独占するのも決して許されることではないが,患者が生保であることをいいことに5年間も社会的入院させ,生活保護からのお金がなくなったら退院可能というのでは患者が納得しないのも無理はない.こう考えると職員だけの問題でなく病院運営の責任者である院長にも責任の一端があると思えてくる.

しかし,世の中にはこうまでしないと生き残れない病院が他にもたくさんあるような気もするのだが,どうなのだろうか.景気が良くなっていると言いながら,財政再建の矛先を社会保障費の削減に向けている財務省の言い分は確実に格差社会の格差を広げ,社会的弱者をさらに弱い立場へ追いつめていくような気がするが,これもやはり米国追従政策ということなのだろうか.

国も自治体も病院まかせにしておきながら医療費は削減するなんていう馬鹿な話がいつまでも通用すると思うのはいいかげん止めるべきだろう.良心的な医師は患者のためならかなりひどい状況でも我慢して自らにストレスをためてしまうのだろうが,これからは医療行政の不手際をもっと声を大にして家族や国民そしてマスコミにアピールする必要があるのだろう.もはや医療現場で黙々と仕事をしているだけでは患者と家族の救済はできない世の中になっているのだから.

こんなことで日本の医療水準を米国並にする必要はないのだが,日本国民も一度経験しないと学べないというのならばそれも仕方がないのかもしれない.ただし,その代償は自分や家族の命で払うことになるということは忘れないほうがいいだろう.もっとも米国では大統領選を前にヒラリー・クリントン上院議員が国民皆保険の導入を掲げ,福祉のあり方をめぐって米国民は重大な選択を迫られているそうだから,いずれは日本でも皆保険制度について国民的議論になることは間違いないのだろう.
 

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