『阪神と違う…神戸救助隊、救出も遺体発見もゼロ
阪神大震災を超える死者・行方不明者を出し、戦後最悪の災禍となった東日本巨大地震。被災地での捜索はいまも難航している。
大津波で壊滅した宮城県南三陸町では、阪神大震災で救助にあたった神戸市消防局の隊員らが救助活動を続けているが、生存者の救出、遺体の発見はゼロ。巨大津波が家屋をのみ込み、不明者がどこに流されたか見当もつかないからだ。
「行方不明者がいると聞いても、住んでいた家がなかなか見つからない」。約8000人の安否が確認できない同町で活動する救助隊の井上雅文隊長(55)は苦渋の表情を浮かべる。
神戸市からは消防局特別高度救助隊の第1陣6人が地震後に現地入り。現在、活動しているのは15日に現地入りした第2陣6人。いずれも、阪神大震災で救助活動に携わったベテランぞろいで、兵庫県内自治体が派遣した緊急消防援助隊兵庫県隊の中核だ。
「70歳代の女性が行方不明になっている」との情報で、救助隊が16日午後に出動したのは、湾の奥に面した町中心部の志津川地区。
一面が津波に洗われ、壊れた家やがれきが泥の中に広がる。女性の家はどこにも見あたらない。
ようやく見つけた家は800メートルも山側に押し流されていた。1階はつぶれ、がれきを取り除きながら、2階の床板を剥がしたところで日没となり、この日の捜索は打ち切られた。
救助隊は、がれきに埋もれた人の声を電磁波で探知する「地中音響探知機」や、がれきの下の呼吸を感知して生存確認できる「二酸化炭素探査装置」を特別装備している。ピンポイントでがれきの下の生存者を見つけ出す最新機材だが、今回は出番がほとんどない。
現場は津波で押し流された建物ががれきとなって山積している。救助隊は「捜索範囲が広すぎる。機材を使う場面にすら遭遇しない」と、市消防局に報告する。
阪神大震災では、家屋が倒壊したり全焼したりしても、被災者はその場で発見されることがほとんどだった。どこを捜せばいいのか、はっきりしていた。
井上隊長は「家を見つけても、被災者が流されている可能性もある。壊れた家の下に住民がいた阪神大震災とはまったく違う」と、活動の難しさを語った。
市消防局の担当者も「倒壊家屋からの救助が求められた阪神大震災と、津波被害の現場では勝手が違う。積雪といった厳しい気候条件も重なった。隊員は懸命に活動しているのだが……」と悔しがった。
一方、地震発生直後から仙台市内の行方不明者の捜索活動を行っている同市消防局。数百人の遺体が発見され、行方不明者も多数いる仙台市若林区を管轄する若林消防署の担当者は「余震の度に津波を警戒し、その度に作業を中断しなければならない」と嘆く。
ある隊員は「まだ気が張っているが、捜索が長引けば、不調を訴える隊員も出てくるだろう」と心配していた。』
『死因、9割が溺死…地震より津波の被害鮮明に
東日本巨大地震で千葉大の岩瀬博太郎教授(法医学)が岩手県陸前高田市の死者126人の死因を調べたところ、9割が津波による溺死だったことがわかった。
死因の8割が建物倒壊による圧死・窒息死だった1995年の阪神大震災と対照的で、地震そのものよりも、その後の津波が被害を広げた実態が浮き彫りになった。
同市内で13~16日に遺体の検視にあたった岩瀬教授によると、犠牲者の9割は死亡した後に骨折したとみられることなどから、溺死と判断した。
屋外で見つかった約90人のうち、4割程度が肋骨や首、手足を骨折していた。時速30~40キロ以上の車にはねられたような強い衝撃ており、激しい津波で流された木材や家屋、車などにぶつかったとみられるという。
また、高齢者を中心に約50人がシャツや上着、ジャンパーなど7~8枚を重ね着。印鑑や保険証、写真アルバムを入れたリュック、非常食のチョコレートを持った人もいた。岩瀬教授は「逃げ遅れたのではなく、避難準備をしていたにもかかわらず、想定を超える津波に巻き込まれたのではないか」とみる。』
時速30~40キロ以上の車にはねられたような強い衝撃を受けるというのですから,今まで誰も経験したことのない凄まじい破壊力だったということがわかります.あらためて犠牲者の方々のご冥福をお祈りします.
阪神大震災を超える死者・行方不明者を出し、戦後最悪の災禍となった東日本巨大地震。被災地での捜索はいまも難航している。
大津波で壊滅した宮城県南三陸町では、阪神大震災で救助にあたった神戸市消防局の隊員らが救助活動を続けているが、生存者の救出、遺体の発見はゼロ。巨大津波が家屋をのみ込み、不明者がどこに流されたか見当もつかないからだ。
「行方不明者がいると聞いても、住んでいた家がなかなか見つからない」。約8000人の安否が確認できない同町で活動する救助隊の井上雅文隊長(55)は苦渋の表情を浮かべる。
神戸市からは消防局特別高度救助隊の第1陣6人が地震後に現地入り。現在、活動しているのは15日に現地入りした第2陣6人。いずれも、阪神大震災で救助活動に携わったベテランぞろいで、兵庫県内自治体が派遣した緊急消防援助隊兵庫県隊の中核だ。
「70歳代の女性が行方不明になっている」との情報で、救助隊が16日午後に出動したのは、湾の奥に面した町中心部の志津川地区。
一面が津波に洗われ、壊れた家やがれきが泥の中に広がる。女性の家はどこにも見あたらない。
ようやく見つけた家は800メートルも山側に押し流されていた。1階はつぶれ、がれきを取り除きながら、2階の床板を剥がしたところで日没となり、この日の捜索は打ち切られた。
救助隊は、がれきに埋もれた人の声を電磁波で探知する「地中音響探知機」や、がれきの下の呼吸を感知して生存確認できる「二酸化炭素探査装置」を特別装備している。ピンポイントでがれきの下の生存者を見つけ出す最新機材だが、今回は出番がほとんどない。
現場は津波で押し流された建物ががれきとなって山積している。救助隊は「捜索範囲が広すぎる。機材を使う場面にすら遭遇しない」と、市消防局に報告する。
阪神大震災では、家屋が倒壊したり全焼したりしても、被災者はその場で発見されることがほとんどだった。どこを捜せばいいのか、はっきりしていた。
井上隊長は「家を見つけても、被災者が流されている可能性もある。壊れた家の下に住民がいた阪神大震災とはまったく違う」と、活動の難しさを語った。
市消防局の担当者も「倒壊家屋からの救助が求められた阪神大震災と、津波被害の現場では勝手が違う。積雪といった厳しい気候条件も重なった。隊員は懸命に活動しているのだが……」と悔しがった。
一方、地震発生直後から仙台市内の行方不明者の捜索活動を行っている同市消防局。数百人の遺体が発見され、行方不明者も多数いる仙台市若林区を管轄する若林消防署の担当者は「余震の度に津波を警戒し、その度に作業を中断しなければならない」と嘆く。
ある隊員は「まだ気が張っているが、捜索が長引けば、不調を訴える隊員も出てくるだろう」と心配していた。』
『死因、9割が溺死…地震より津波の被害鮮明に
東日本巨大地震で千葉大の岩瀬博太郎教授(法医学)が岩手県陸前高田市の死者126人の死因を調べたところ、9割が津波による溺死だったことがわかった。
死因の8割が建物倒壊による圧死・窒息死だった1995年の阪神大震災と対照的で、地震そのものよりも、その後の津波が被害を広げた実態が浮き彫りになった。
同市内で13~16日に遺体の検視にあたった岩瀬教授によると、犠牲者の9割は死亡した後に骨折したとみられることなどから、溺死と判断した。
屋外で見つかった約90人のうち、4割程度が肋骨や首、手足を骨折していた。時速30~40キロ以上の車にはねられたような強い衝撃ており、激しい津波で流された木材や家屋、車などにぶつかったとみられるという。
また、高齢者を中心に約50人がシャツや上着、ジャンパーなど7~8枚を重ね着。印鑑や保険証、写真アルバムを入れたリュック、非常食のチョコレートを持った人もいた。岩瀬教授は「逃げ遅れたのではなく、避難準備をしていたにもかかわらず、想定を超える津波に巻き込まれたのではないか」とみる。』
時速30~40キロ以上の車にはねられたような強い衝撃を受けるというのですから,今まで誰も経験したことのない凄まじい破壊力だったということがわかります.あらためて犠牲者の方々のご冥福をお祈りします.
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