『東電の初動「誤り」、冷却の空白招く…事故調
東京電力福島第一原子力発電所事故に関する政府の事故調査・検証委員会(委員長=畑村洋太郎・東大名誉教授)は26日、事故対応の問題点やその背景を分析した中間報告を発表した。
東電の初動を巡っては1、3号機の緊急冷却装置の操作について「誤った措置」などと批判し、東電が官邸の意向を踏まえて3号機の注水手順を変え、冷却の空白が生じていたことも明らかにした。背景としては、津波対策を含め幅広く原発の安全を考える視点が欠けていたと指摘した。
報告書によると、1号機では3月11日、緊急冷却装置「非常用復水器」が津波による電源喪失で停止したが、吉田昌郎所長(56)(当時)や本店幹部らは正常に冷却していると誤認したまま、8時間以上気付かなかった。これが、対応の遅れにつながり、格納容器の圧力を抜く「ベント」や原子炉への注水が始まったのは翌日だった。
3号機では13日未明、緊急冷却装置「高圧注水系」を手動停止したが、別の注水手段への切り替えに失敗、冷却できなくなった。中間報告では手動停止を「誤った措置」と断定し、7時間近い注水中断を「極めて遺憾」と批判した。
官邸では当時、3号機の代替注水について「海水を入れると廃炉につながる」との意見が出ていた。現場では海水注入の準備が整っていたが、官邸に派遣されていた東電社員から「淡水の方がいいとの意見がある」と聞いた吉田所長は、淡水ラインに切り替える作業を指示。だが、淡水は13日午前9時25分の注水開始から約3時間で枯渇し、海水ラインに戻す際に52分間、冷却が中断した。
報告書は1、3号機とも、注水が早期にできていれば、放射性物質の放出量を減らせた可能性があるとした。
一方、被害の拡大を食い止められなかった背景については、国や電力会社の過酷事故対策が、機械の故障や人的ミスを想定するばかりで、津波など自然災害に目を向けてこなかったと総括した。原発事故が他の災害と同時に起きる「複合災害」の視点も欠けていたと指摘した。
政府の対応については、官邸内で情報が分散し連携が不足したことや、経済産業省原子力安全・保安院の危機管理能力の欠如を問題視した。来年4月発足する原子力安全庁(仮称)について「責任を持って危機対処の任にあたる自覚を強く持ち、体制整備を図る必要がある」と提言した。』
『保安検査官逃げ回り・東電は子会社任せ…事故調
原発の監視を担う原子力安全・保安院の原子力保安検査官や、事故対応の責任を担う東電が、役割を十分に果たせなかった実態も、中間報告で明らかにされた。
報告書によると、東電の事故対応を指導監督する立場の検査官は3月12日早朝、4人全員が現場を立ち去り、約5キロ離れた対策拠点のオフサイトセンターに戻っていた。放射線量の上昇により、屋外の防災車の搭載電話が使えなくなったのが理由とするが、中間報告は「東電の回線など他の手段で状況報告は可能だった」とみている。
13日朝には、海江田経済産業相から炉心への注水状況を監視するよう指示を受け、検査官4人が原発に入った。だが、対策本部のある免震重要棟の一室に閉じこもり、東電社員から資料を受け取るだけだった。14日午前11時過ぎには、3号機が水素爆発を起こしたため、身の危険を感じ、同日午後5時頃、上司の明確な了解がないまま同センターに引き揚げた。
菅首相が東電本店に乗り込み、東電社員に「逃げてみたって逃げ切れないぞ」とまくしたてたのは翌15日早朝。その前に検査官らは退避を終えていた。事故調関係者は「検査官は職責を果たさず逃げ回っていたも同然だ」と批判する。
一方、原子炉の冷却で重要な役割を果たしたのが東電の子会社だったことも分かった。
吉田昌郎所長(56)は3月11日夕、全電源喪失の事態を受け、1、2号機への消防車による炉内注水を検討するよう指示した。だが、消防車の活用はマニュアルになく、同原発の「発電班」「技術班」などはどこも自分の担当と考えなかった。
同日深夜、1号機の危機的状況が分かり、12日未明、消防車による注水を準備した。しかし、消防車を操作できる東電社員はおらず、下請けの子会社に頼らざるを得なかった。東電社員の「自衛消防隊」もあったが、ホースの敷設なども当初は子会社社員だけで行った。
放射線量が高まる中、子会社は一時、作業に難色を示したが、東電の強い要請に応じた。2、3号機でも注水作業を担い、3号機建屋の水素爆発では3人が負傷した。(肩書は当時)』
地震や津波の発生を防ぐことはできないし,家や建物が流されても被害はその地域に限局的であるから,被害者が天災だと思うならそれであきらめるしかないし,対策としてはそこに住まないようにするくらいだろう.
しかし,原子力発電所の事故については話がまったく違うと思うし,対応の仕方によっては被害を最小に食い止めることができたとなればこれは人災というしかないだろう.起きる可能性があったことを敢えて想定外としてきた人達の責任は非常に重いし,自分の責任を放棄して現場から逃げた人達の責任も追求されるべきだろう.
東電というと私は小笠原の父島行きの船で乗り合わせた東電の部長とか言う傲慢で鼻持ちならない男のことを思い出してしまう.あんな人間が集まって安全神話をでっち上げて国民の目を欺いてきた挙句にこんな失態を繰り返したのかと思うと,今年一番に気分が悪くな話だが,私は厭なことはすぐに忘れてしまうので,その不快さをあとで思い出せるように書いておこう.
東京電力福島第一原子力発電所事故に関する政府の事故調査・検証委員会(委員長=畑村洋太郎・東大名誉教授)は26日、事故対応の問題点やその背景を分析した中間報告を発表した。
東電の初動を巡っては1、3号機の緊急冷却装置の操作について「誤った措置」などと批判し、東電が官邸の意向を踏まえて3号機の注水手順を変え、冷却の空白が生じていたことも明らかにした。背景としては、津波対策を含め幅広く原発の安全を考える視点が欠けていたと指摘した。
報告書によると、1号機では3月11日、緊急冷却装置「非常用復水器」が津波による電源喪失で停止したが、吉田昌郎所長(56)(当時)や本店幹部らは正常に冷却していると誤認したまま、8時間以上気付かなかった。これが、対応の遅れにつながり、格納容器の圧力を抜く「ベント」や原子炉への注水が始まったのは翌日だった。
3号機では13日未明、緊急冷却装置「高圧注水系」を手動停止したが、別の注水手段への切り替えに失敗、冷却できなくなった。中間報告では手動停止を「誤った措置」と断定し、7時間近い注水中断を「極めて遺憾」と批判した。
官邸では当時、3号機の代替注水について「海水を入れると廃炉につながる」との意見が出ていた。現場では海水注入の準備が整っていたが、官邸に派遣されていた東電社員から「淡水の方がいいとの意見がある」と聞いた吉田所長は、淡水ラインに切り替える作業を指示。だが、淡水は13日午前9時25分の注水開始から約3時間で枯渇し、海水ラインに戻す際に52分間、冷却が中断した。
報告書は1、3号機とも、注水が早期にできていれば、放射性物質の放出量を減らせた可能性があるとした。
一方、被害の拡大を食い止められなかった背景については、国や電力会社の過酷事故対策が、機械の故障や人的ミスを想定するばかりで、津波など自然災害に目を向けてこなかったと総括した。原発事故が他の災害と同時に起きる「複合災害」の視点も欠けていたと指摘した。
政府の対応については、官邸内で情報が分散し連携が不足したことや、経済産業省原子力安全・保安院の危機管理能力の欠如を問題視した。来年4月発足する原子力安全庁(仮称)について「責任を持って危機対処の任にあたる自覚を強く持ち、体制整備を図る必要がある」と提言した。』
『保安検査官逃げ回り・東電は子会社任せ…事故調
原発の監視を担う原子力安全・保安院の原子力保安検査官や、事故対応の責任を担う東電が、役割を十分に果たせなかった実態も、中間報告で明らかにされた。
報告書によると、東電の事故対応を指導監督する立場の検査官は3月12日早朝、4人全員が現場を立ち去り、約5キロ離れた対策拠点のオフサイトセンターに戻っていた。放射線量の上昇により、屋外の防災車の搭載電話が使えなくなったのが理由とするが、中間報告は「東電の回線など他の手段で状況報告は可能だった」とみている。
13日朝には、海江田経済産業相から炉心への注水状況を監視するよう指示を受け、検査官4人が原発に入った。だが、対策本部のある免震重要棟の一室に閉じこもり、東電社員から資料を受け取るだけだった。14日午前11時過ぎには、3号機が水素爆発を起こしたため、身の危険を感じ、同日午後5時頃、上司の明確な了解がないまま同センターに引き揚げた。
菅首相が東電本店に乗り込み、東電社員に「逃げてみたって逃げ切れないぞ」とまくしたてたのは翌15日早朝。その前に検査官らは退避を終えていた。事故調関係者は「検査官は職責を果たさず逃げ回っていたも同然だ」と批判する。
一方、原子炉の冷却で重要な役割を果たしたのが東電の子会社だったことも分かった。
吉田昌郎所長(56)は3月11日夕、全電源喪失の事態を受け、1、2号機への消防車による炉内注水を検討するよう指示した。だが、消防車の活用はマニュアルになく、同原発の「発電班」「技術班」などはどこも自分の担当と考えなかった。
同日深夜、1号機の危機的状況が分かり、12日未明、消防車による注水を準備した。しかし、消防車を操作できる東電社員はおらず、下請けの子会社に頼らざるを得なかった。東電社員の「自衛消防隊」もあったが、ホースの敷設なども当初は子会社社員だけで行った。
放射線量が高まる中、子会社は一時、作業に難色を示したが、東電の強い要請に応じた。2、3号機でも注水作業を担い、3号機建屋の水素爆発では3人が負傷した。(肩書は当時)』
地震や津波の発生を防ぐことはできないし,家や建物が流されても被害はその地域に限局的であるから,被害者が天災だと思うならそれであきらめるしかないし,対策としてはそこに住まないようにするくらいだろう.
しかし,原子力発電所の事故については話がまったく違うと思うし,対応の仕方によっては被害を最小に食い止めることができたとなればこれは人災というしかないだろう.起きる可能性があったことを敢えて想定外としてきた人達の責任は非常に重いし,自分の責任を放棄して現場から逃げた人達の責任も追求されるべきだろう.
東電というと私は小笠原の父島行きの船で乗り合わせた東電の部長とか言う傲慢で鼻持ちならない男のことを思い出してしまう.あんな人間が集まって安全神話をでっち上げて国民の目を欺いてきた挙句にこんな失態を繰り返したのかと思うと,今年一番に気分が悪くな話だが,私は厭なことはすぐに忘れてしまうので,その不快さをあとで思い出せるように書いておこう.
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