『 -- 「世界中で見てもらえた。若い選手の励みになる」王監督 --

 王監督 「日本だけでなく、世界中で野球を知らない人にも見てもらえた。若い選手たちにも、がんばれば、こういう大会に出られるという励みになる。これをきっかけに、子どもたちに野球をやってもらいたい。お母さん方も、お子さんに野球をやらせて欲しい」 』

 子供に自分の仕事をやらせたいと言えるのは幸せなことだ.自分はとてもこうは言えないだろうなと思う.わざわざ自分の子供に苦労をさせたい親はいないだろう.「ちゃんと休みがとれて,人が死んだりしないで,失敗しても人に恨まれたり逮捕されたりしない仕事にしておきなさい.」と言いたい親は私だけではないだろう.

 でも,子供に「じゃ,高級官僚になる.」と言われたらどうすればいいんだろうか.
春分の日
今日からは夜よりも昼の方が長くなる.
里に春がやってくると雪景色は遠くの山々に帰っていく.
桜はまだだいぶ先だが,心にはすでに新しい花が開きつつある.

WBCでテレビにかじりつくのもいいですが,外を散歩して春を体で感じるのもまたいいものですよ.
『 -- 手術後の処置怠り患者死亡 麻酔医を書類送検 --

 宮城県警泉署は17日、手術後に全身麻酔を受けた患者に適切な処置をせずに死亡させたとして、業務上過失致死容疑で仙台市泉区の病院院長(51)を書類送検した。

 調べによると、院長は2005年2月15日、鎖骨を骨折した医師遠藤閑夫(えんどう・のりお)さん=当時(46)=の手術チームに麻酔医として参加。手術後、全身麻酔から遠藤さんが覚めるのを確認せずに病室に戻し、死亡させた疑い。

 院長は麻酔を覚めさせるために薬を投与したが、麻酔から覚めていない状態で遠藤さんを病室に戻した。遠藤さんは一時呼吸停止状態になり、そのまま意識は戻らず、05年3月22日に低酸素脳症で死亡した。

 院長は「なぜ亡くなったのか、自分でも原因が分からない」と話しているという。』

 麻酔から十分覚醒していないと呼吸不全に陥ることがあることは麻酔医なら誰でも知っていることで,麻酔医はこの点に非常に注意を払うのが常である.では,なぜこんなことが起きてしまうのだろうか.きっとニュースではわからない原因があるに違いないが推測の域を出ないのでここで書くのはやめておこう.

 もう一つ気になったのは,この病院長の標榜科はなんだったかということと,日本麻酔学会の専門医などの資格を持っていたのだろうかということである.もちろん指導医などの資格がなくても立派に麻酔をかける医師を何人も私は知っているが,資格を持たない医師の中にはちょっとルーズな麻酔をかける人もいるのも事実である.

 私は緊急で待てない時以外は基本的に専従の麻酔専門医もしくはそれと同等の技術を有する外科系医師に麻酔をお願いすることにしている.ごく稀にではあるが,手術中に麻酔医が未熟なために恐い思いをしたことだってあるから,信頼のおける麻酔医の確保は自分にとって極めて重要なことである.なにせ専従の麻酔科医だって刑事告訴される時代なのである.麻酔医に問題があって外科医が告訴されることだって十分考えられるだろう.

 その昔,個人病院で働いていたころは院長先生が麻酔認定医の資格を持っていて麻酔をかけてくれていた.そして,手術にも手洗いをして入り私に手術を教えてくれたのである.その間は麻酔のモニターは手術場の看護婦さんが見ていてくれて血圧や脈拍を読み上げ,院長が吸入麻酔の量を指示しながら麻酔をコントロールしていたものである.もちろん特に問題の起きない手術ならこれでも安全なのであるが,手術中に動脈瘤が破れでもして出血したら途端に修羅場と化したのである.それでもなんとかやってこれたのは当時はそれが当たり前でスタッフも死に物狂いでやっていたからだと思う.

 現在,そんなことはやれと言われても私にはできないだろう.手術には人手が必要である.外科医と麻酔科医がそれぞれ1人ずつの2人で手術して結果が悪かったらそれだけで即逮捕されるかもしれないのである.たとえ緊急手術であっても最低外科医2人に専従麻酔科(専門?)医1人そして輸血は考えられる限り十分に用意しないといけないことになりそうなのである.これらすべての準備が整うまで手術はできないと説明し納得してもらうか,もしくは時間がかかってもより高次の救急病院に搬送するかしないことになるかもしれない.

 ちょっとニュースの話題からはそれてしまったが,もしこの院長先生が専従の麻酔科専門医でなかったとしたら現在の医療をとりまく状況を見誤ったとしか言いようがなく,なぜこの時期にわざわざリスクを犯してまで麻酔医をやったのかという疑問がぬぐえないのである.

 
『 -- 愛媛県警の情報流出、FD240枚分 供述調書なども --

 愛媛県警の発表や関係者の話などによると、流出した情報は、警部がCD3枚に保存していたものとほぼ同一とみられている。ファイル数は4200を超え、フロッピーディスクだと約240枚分にあたる膨大な情報量だ。ある県警幹部は「印刷したものを積み重ねると2メートル近くになる」と話している。

 「仕事の文書」というフォルダの中には、供述調書など漏出があってはならない情報が多数、含まれていた。一方、「忘年会決算書」と題する私的に作成した文書も含まれるなど、機密情報と一般情報を区別せずに扱うずさんな管理ぶりもうかがわせた。

 少年法で氏名の公表が禁じられている少年事件をめぐっては、「少年不良グループによるひったくり事件」と題する文書に、少年らの住所、氏名、生年月日などが記されていた。また、少年たちがパチンコ店を出入りする様子を隠し撮りしたと思われる写真もあり、少年が特定される恐れもある。

 ある事件では「協力者工作」と称して、容疑者の身辺について情報を提供した捜査協力者の個人情報もあった。この協力者は「近隣のことであり、自分の氏名や情報提供した内容が絶対に漏れないようにしてほしい」と述べていた。

 そのほか、宇和島市で起きた未解決のバラバラ殺人事件の関係者の供述調書など、刑事訴訟法の手続き上、立件前には絶対に表に出ないはずの捜査資料も数多く含まれている。 』

『 -- 政府のウィニー対策 打つ手なく「使うな」と呼びかけ --

 ファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」を介して政府機関などの機密情報の流出が相次いでいる問題で、政府は15日、流出の危険性をホームページで注意喚起し、所管官庁へも再発防止を求めるなどの対策を発表した。ただ、一連の対策は決め手を欠き、抜本的な解決の道は見えないまま。安倍官房長官は記者会見で「最も確実な対策はパソコンでウィニーを使わないこと」と異例の使用自粛を国民に呼びかけた。

 「やっぱり注意してもらわないとね。その危険性があるなら、使わない方がいいでしょう」。小泉首相は15日夜、首相官邸で記者団にこう語った。首相が特定のソフトウエアについて使用自粛を求めるのは異例だ。

 内閣官房情報セキュリティーセンターの山口英補佐官(奈良先端科学技術大学院大学教授)は「乱暴だと言われるのは覚悟の上」と話す。

 それほど、政府は追いつめられている。

 政府機関の機密情報の流出は今年に入って加速している。2月下旬、海上自衛隊の秘密情報がネット上に漏れた事態を重くみた首相が、安倍長官に対策づくりを指示。長官は今月9日の事務次官会議に出席し、私有パソコンからの内部情報流出について「誠に憂慮すべき事態」と指摘して情報管理の徹底を求めていた。

 一連の漏洩(ろうえい)の原因はウィニーの入った私用パソコンで無防備に仕事をするなど「基本的なヒューマンエラーが大きい」と同センターのひとりは指摘する。海自の内部資料も、隊員の私有パソコンからウィニーを通じて流出したとされる。

 このため、各省庁は私有パソコンの管理強化に乗り出している。

 防衛庁は資料流出が発覚した直後の2月下旬、緊急対策として(1)私有パソコンに入っているウィニーなどのファイル交換ソフトの削除(2)私有パソコンに入っている秘密情報の削除??を全職員に指示した。額賀防衛庁長官も8日、自衛隊員が職場で使っている私有パソコンをなくそうと、官費で購入する方針も明らかにした。

 ただ、自宅の私有パソコンで仕事をするケースがゼロになるわけではない。例えば、外務省も省内パソコンの外部持ち出しを原則禁じているが、出張用パソコンは借りることができる。外務省関係者は「海外出張などでは私用のパソコンを持ち出すことも全く禁じられているわけではない」と説明する。

 一方、首相や安倍官房長官がウィニーの使用自粛を国民に呼びかけたことには反発も出ている。流出はウィニー自体ではなく、ファイル交換の過程で介在するウイルスが問題だからだ。

 中京大の鈴木常彦・助教授(情報技術)は「ウィニーに全責任を負わせても根本的な問題解決にはならない。政府はネット社会のリテラシー(活用能力)教育が教育現場でなされていない現状を直視し、充実させるきっかけにすべきだ」と話す。

 内閣官房は15日夜になって「ウィニーというソフトがそもそも問題だから使うべきではないとしたものではありません」と弁明するコメントを発表した。』

 今どきCD3枚が膨大な情報量といえるかどうかは別として,ソフトウェアの性能という点で評価すればウィニーとそのウィルスの効果は非常に高いということが証明される事件がまだ連日のように発覚しているようだ.情報をネット上に広めるのにこれほど効果的な方法はかつてなかったと思うが,問題はウィルスがパソコン上の情報を無作為に流出させるということだろう.

 安倍官房長官や小泉首相のように「危険性があるなら,最も確実な方法は」という政治家的臭いものにはふたの考え方でいくとパソコンを使わせないことに行き着いてしまう.ネットにつながったパソコンがある以上この考え方では行き詰まってしまうことは明らかだ.

 パソコンというのは言ってみれば人間の知力を増幅するような装置なのである.使う人に問題があればその欠点をも増幅するただの機械であるということを認識すべきだろう.だから,私物のパソコンを排除して内規を厳しくして情報管理を徹底させるということは人間に制服を着せて社内での礼儀をたたきこむのと同じようなことだ.でも,それだけで人間の本質が変わるだろうか.

 パソコンやソフトウェアは使う人を選ばないから無作為に情報をネット上に流すことによって,パソコンを使用する人の情報管理レベルを広く世間に知らしめてくれただけの話である.入手した個人情報を不正に使用すれば犯罪行為であるから流出した内容が正確に把握できれば,それ自体はほとんどの場合問題にならないだろう.むしろ問題にすべきは管理の甘かった各省庁や企業の情報管理部門だろう.その管理能力の低さを国民に教えてくれた点は評価してもいいかもしれない.

 おしゃべりな人間やだらしのない人間なんてどこにでもいるのである.パソコンにそれを世間に暴露されたからといって使うのをやめても,人間の方の問題が解決するわけがないのは明らかだろう. 
 王JAPANが韓国に勝ちましたね.おめでとうございます!

 韓国は兵役が免除されたのとドーピング発覚で集中力を欠いて実力が発揮できなかったとも考えられます.

 もっとも日本の準決勝進出も実力のうちなんでしょうから,韓国のように大騒ぎするのは決勝で勝ってからにしてはどうでしょうか.

 といっても嬉しくて街に繰り出す人も多いのでしょうね.
『 -- 坂本龍一氏ら呼びかけ、PSE法反対7万5千人が署名 --

 4月から安全性保証マークのない中古家電製品の販売が制限される電気用品安全法(PSE法)に対し、反対する活動をしてきた日本シンセサイザープログラマー協会は15日、経済産業省に約7万5000人分の反対署名を提出する。中古楽器を制度の適用除外にすることを要望するとともに「混乱を招いた責任の所在」を明らかにするよう迫るという。

 中古楽器には「ビンテージ」と呼ばれる年代物の名器があり、そうした製品を売買できなくする法は文化破壊だ――。音楽家の坂本龍一氏や松武秀樹氏らが呼びかけ、インターネット上で署名を募った。2月18日から締め切りの3月5日の間、1日5000件前後もの署名が寄せられた。同協会は14日会見を開き、松武氏は「彼らの声を届けたい」と話した。

 経産省は14日、ビンテージ品についてマークなしでも販売できる緊急対策を発表したが、同協会は「音楽家の立場で楽器を対象に訴えてきたが、求めているのは法施行前の中古品の販売を認めること」としている。 』

『 -- 中古家電規制「迷走」 PSE、対象品の線引きあいまい --

 安全性を保証する「PSEマーク」のない電気製品を06年4月から順次販売禁止にする措置に関し、経済産業省が土壇場で、希少価値の高い「ビンテージ楽器」を除外するなどの特例を決めた。実施直前のどたばたの背景には、規制強化を盛った法改正を行う際、中古品の扱いをきちんと議論せず、その後の周知も徹底しなかったという問題がある。リサイクル業者や中古楽器愛好者などから噴出した不満に泥縄で対応はしたものの、混乱は尾を引きそうだ。

 今回の規制強化を盛った改正電気用品安全法(電安法)は01年4月に施行されたが、販売禁止まで5〜10年の猶予期間を設定。対象450品目のうち、まず冷蔵庫など白物を含む259品目の猶予期間が3月で切れる。

 だが、リサイクル業界最大手の「生活創庫」(静岡県浜松市)でさえ、経産省から中古品の扱いについて初めて連絡を受けたのは昨年11月という。法の条文では中古品の扱いに全く触れておらず、経産省がホームページで中古品が対象になることを明示したのも今年2月になってから。リサイクル業者の間には「法自体に不備がある」として猶予期間の延長を求める声もある。

 この法改正作業は99年の通常国会で行われたが、電気事業法など10法と同時だったため委員会でもほとんど論議は行われなかったという。経産省は「もっと周知徹底を早めからやるべきだった」(杉山秀二事務次官)と反省はするものの、対象商品の販売は予定通り4月から禁止する方針で、つじつま合わせに「緊急対策」を講じる羽目に陥った。

 14日に示した緊急対策は、(1)漏電検査の無料代行または機器貸し出し(2)PSEマーク届け出書類の簡素化(3)ビンテージ楽器などを販売禁止対象外にすること、の3点。電安法では、リサイクル業者が漏電などの自主検査をして、経産省に届け出れば製品にPSEマークを付けて売ることができる。(1)と(2)は、中小零細業者が、新たな負担なしに中古品を販売できるようにする救済措置だ。

 だが、この措置には大きな問題が潜む。漏電以外の欠陥があってもマーク付きで売られてしまう懸念があるためで、経産省自ら「『マークが付いているから安全』とは言えない」と認める。

 規制対象外とするビンテージ楽器の条件も「希少価値があること」「現行製品で代替できないこと」などとあいまいだ。楽器販売大手の石橋楽器(東京)は「どこまでが認められるのか線引きが不明確で、基準がはっきりするまでは冒険できない」と話し、引き続きマークのない中古楽器は買い取らない方針だ。 』

 安全性というと消費者はあきらめるとでも思っていたのだろうか.経済産業省の官僚も意外な反応に驚いたことだろう.だが,この法律はどの程度の科学的根拠に基づいているのか疑わしい.たしかに古くなれば絶縁などに劣化が生じて漏電するような気はするが,家電製品の漏電事故のニュースなんてあまり聞いたことが無い.本当に問題があるのならビンテージ楽器だって例外にすべきではないだろう.

 別に坂本龍一氏が反対したからではないだろうが,このように反対のあった「ビンテージ楽器」を除外したり,漏電検査をしてPSEマークを付ければ売れるなどの抜け道がある事自体がこの法律に対する経済産業省のいい加減さを示している.本当に消費者の安全のための法律なのだろうか.

 厚生労働省も診療報酬改定でよく使う手のようだが,制度を変えてもあまり周知しないでおいて監査の時になって知らない者が馬鹿をみるようにしたり,土壇場になって解釈を変えてつじつまをあわせるのが官庁のやり方のようである.PSE法も同様のやり方で中古電化製品に流通規制をかけるのが本当の目的と考えた方がつじつまが合いそうだ.おそらく景気回復のために買換え需要を喚起しようと家電メーカーの天下り官僚と仕組んだのではないだろうかとも考えられる.そういう意味では「混乱を招いた責任の所在」を明らかにするのは大変いいことだろう.

 経済産業省は法律をたてに対象商品の販売は予定通り4月から禁止する方針のようだが,つじつま合わせに「緊急対策」の範囲がどこまで広がるのかに注目したい.そして,おそらく最後まで規制が残った電化製品を売っている家電メーカーあたりがPSE法の仕掛け人なのだろう.
『 -- アリセプト服用後11人死亡 海外の臨床試験で --

 製薬大手エーザイ(本社東京)が海外9カ国で実施した認知症治療薬「アリセプト」(一般名・塩酸ドネペジル)の臨床試験で、服用した648人のうち11人(1・7%)が死亡していたことが、同社の発表で16日分かった。

 比較のため偽薬を飲んだ対照群の326人に死亡例はなかった。同社は「死亡率は過去の同種の試験と変わらない」と説明。対照群に死者が出なかったことはまれで、薬の安全性に対する評価を変えるものではないとしている。

 アリセプトは認知症のうち「アルツハイマー型」の治療薬として日本などで広く使われている。

 今回の臨床試験は、脳血管障害が原因とされる別タイプの認知症に対する効果と安全性を調べるのが目的で、参加者は全員がこのタイプの患者。効果では2指標のうち認知機能のみについて、アリセプト服用者に改善がみられたという。』

 アリセプトの国内での副作用報告については昨年6月24日の日記にも書いているが,これは海外での臨床試験のようだ.

 問題は1.7%という数字が副作用発生率ではなく死亡率であることと,対照群に死亡例が出なかったということだろう.以前の国内での報告では推定使用患者約30万に対し副作用が8人でうち死亡1人だったからずいぶん差があるようにみえる.

 厚生労働省のまとめというのは対照群を設定しておこなう厳密なものではなく,実際に臨床で使用した際の有害事象を主治医の主観に元づいて集める程度のものであるから,主治医が因果関係に気がつかなければ数字には出てこない可能性がある.

 一方,今回のほうは観察期間や投与群間での合併症のばらつきなどについての情報が無いので,対照群に死亡例がない本当の理由がわからない.しかし,だからといって1.7%という数字を無視することはできない.安全性がかなり高いとはいえ,アルツハイマー病の初期というそれ自体では死亡することのない患者さんに投与する薬だからである.

 統計というのはサイコロと同じで振る回数が増えればある目の出る確率は一定値に近づくはずであるが,振る人の投げ方によっても出る目を変えることは可能であるということも忘れない方がいいだろう.人の命にかかわる以上,統計のマジックに隠された手品のタネを明かすことも時には必要であろう.

 血管性痴呆やすでにHDS-Rが10点以下の患者さんにまでアリセプトを投与するような医師がもし大勢いたとしたらそのうち問題になるかもしれないと密かに思っているのだがどうだろうか.
人生の並木道
同じ道を歩いていても同じところを歩いているわけではないことに気づく.人生も同じではないだろうか.みんなと同じところを歩いていたはずが,いつの間にかみんなとは違うところを歩いている.私はただ気づいていないだけなのかもしれない.

皆さま今週もご苦労様でした.
『 -- 難しい症例で逮捕は不当 関係学会が会見で訴え --

 福島県立大野病院で帝王切開を受けた女性が死亡し、医師が逮捕、起訴された医療事故で、日本産科婦人科学会(武谷雄二(たけたに・ゆうじ)理事長)と日本産婦人科医会(坂元正一(さかもと・しょういち)会長)は16日、東京都内で合同記者会見を開き、「非常に難しい症例で、適切な処置が行われたとしても救命できないこともある」として「逮捕は不当」と訴えた。

 起訴状は、女性に胎盤の癒着で大量出血の可能性があり、生命の危険を未然に回避する必要があったのに医師がこれを怠った、としている。

 これに対し同学会常務理事の岡井崇(おかい・たかし)・昭和大教授は「癒着胎盤はさまざまな程度があり、出血の仕方も予測できない。こういう症例に対し何が適切だと決め付けることは難しい」と指摘。「医療過誤の判定は難しく、今回のケースは専門家の9割以上が過誤ではないと言うと思う」と述べた。

 また、女性の死亡を24時間以内に警察署に届けなかった医師法違反の罪にも問われていることについて、同じく学会常務理事の稲葉憲之(いなば・のりゆき)・独協医大病院長は「外科系の学会では(届ける必要のある)異状死の定義がきちんとされていない点が問題だ。(今回のケースは)病院長の判断を仰ぎ、異状死ではないとして届けなかったものだ」と指摘した。』

 専門家の9割以上が過誤ではないと判定するようなことが業務上過失致死と刑事告訴されるということは医師の常識は検察には通用しないということである.民主主義の原理である多数決で判定するなら過半数の医師が過誤でないというなら免責にしなければ医療は成り立たないだろう.

 被害者というのは自分が不当に扱われたと思うから被害者なのである.警察は患者の目線というが患者はすでに死亡しており,残された家族の被害感情による目線では公平性が失われるだろう.検察にしても一部の専門家の意見を聞くのではなくもっと多数の医師の普遍性のある意見を聞いて判断をするべきだったのではないだろうか.公平は判定とはそういうものだろう.

 異状死の定義についても,もともと医療事故のケースなどは想定されていなかったものを勝手に拡大解釈するようなことは厳につつしむべきであろう.もともと刑法には疑わしきは罰せずというルールがあるのである.定義そのものが厳密でないものを適用して違法とするのはやはり順法精神にのっとった行為ではないだろう.

 もっとも今回の一件はすでに告訴され決定権は該当裁判所に移ってしまっているわけだから,裁判所は迅速に審理を進めて公平かつ妥当な判断がなされることを期待したい.インターネットが普及したおかげで,日本中の医師がリアルタイムにことの成り行きを見守っているのである.まじめにやっている医師たちのやる気がすっかり失せてしまわないうちに早くなんとかして欲しいと思っているのはきっと私だけではないだろう.
『 -- 波紋広がる産婦人科医逮捕 過熱ぶりに疑問の声も --

 1人の産婦人科医の逮捕が全国の医療現場に大きな波紋を呼んでいる。帝王切開を受けた女性=(29)=が死亡した医療事故で、福島県立大野病院の執刀医加藤克彦(かとう・かつひこ)被告(38)=保釈=が2月18日に逮捕されてから、関係学会が異例の抗議声明を出し、訴訟費用のための募金も始まった。一方で「医療は患者のためにある」と過熱ぶりに疑問を投げかける声も出ている。

 加藤被告は、癒着した胎盤を無理にはがし、大量出血させたとする業務上過失致死と異状死を届けなかったとする医師法違反の2つの罪で起訴された。過去にも医療事故で医師が逮捕されたことはあったが、無謀な手術だった東京慈恵医大青戸病院事件など悪質なケースがほとんどで、異例の逮捕だった。

 医療関係者は猛烈に反発。加藤被告の出身の福島県立医大産科婦人科教室が佐藤章(さとう・あきら)教授名で作成した陳情書には、全国の医師や看護師らから4日間で5000人を超える賛同の署名が集まり、逮捕2日後に県立病院院長らが集まった会議では「医師が怖がってメスを持てない」との声も上がった。

 重い胎盤癒着は1万例に1例といい、佐藤教授も「胎盤癒着は、今の技術では事前には分からない。大学病院でも命の保証はできないだろう」と話す。「患者が亡くなった事実は重い。しかし逮捕は意外で納得できない」

 首都圏の国立病院の外科医も「今回は医師なら誰でも治療経過にミスは無かったと思える」とする。警察への届け出について、北陸地方のある産婦人科医は「異状死の定義はあいまいで、今回のケースで届ける医師はいない」と訴える。

 全国的に産科医不足が問題となる中、加藤被告も1人で地域のお産を支えていた。「逮捕でなり手不足が加速する」と県担当者。ある産婦人科医も「手を尽くしても一定の確率で起きる不幸な事例で逮捕されるなら、怖くて医療はできない。これで産科を志望する医学生がさらに減るのが怖い」と話している。

 福島県は2004年12月の事故後、外部の医師らで事故調査委員会を設置、胎盤を無理にはがしたことや対応する医師の不足、輸血対応の遅れを認め遺族に謝罪した。

 福島地検も「遺体もなく、身柄を確保したうえで関係者の話を聞く必要があった」とし、ある捜査幹部は「われわれは患者の目線で捜査している」と立証に自信を見せるが「こんなに感情的な反応がくるとは」と驚いている。

 医師らの反発を冷静に見る医師もいる。金沢大病院が患者に無断で臨床試験をしたと内部告発した同病院産婦人科の打出喜義(うちで・きよし)講師は「自分の家族が今回と同じ形で亡くなったら、仕方なかったと言って陳情書に署名するだろうか」と話す。

 打出講師は「多くの人は『逮捕は行きすぎ』と考えて署名したと思う。その点で警察には説明責任がある」とする一方「産婦人科医が少ないから仕方ないとか、応援を呼べる状態ではなかったとか、正当化しすぎている」と批判。「医者と患者の間に信頼関係があればこういうことは起こらない。信頼関係がなければ医者と患者も不幸になる」と話した。』

 「医者と患者の間に信頼関係があればこういうことは起こらない。」とは以前からよく言われていることであるが,すでに患者が医師を絶対的には信頼していないのが現実なのにこんなことをいつまで唱えても意味がないということに医師達も気づいているだけなのである.だが,医師としては患者を信頼したいという気持ちを持ち続けたいというのが多くの医師の気持ちだろうと思う.医師が患者を疑うようになったらおしまいだということは医師自身よくわかっていることである.しかし,ここに来て検察という第3者が介入してくることに医師達は不安といらだちを感じているのだと思う.

 医師達が医師免許という国家資格のもとに行う医療行為の適否を医療の現場に無知な検察が判断すること自体がおかしなことなのである.「われわれは患者の目線で捜査している」と立証に自信を見せるというが,それがいったいなんだというのであろうか.患者は被害者であるからその視点で見るとでもいいたいのであろうか.医師の視点で見れば予想できない困難な症例を医師であるが故に治療しなければならない立場になってしまったことが悲劇であるということになるのではないだろうか.

 それなら,明らかに安全な症例以外には手を出さないのが自分のためであろう.さらには産科は危険が大きいので避けるという考えも当然ということになろう.先日も書いたが,医師は放っておけば死に至る患者さんにも生存の機会を与えるために努力しているのである.そのような危険の高い症例を失って落ち込んでいるところへ追い討ちをかけるような逮捕.しかも奥さんが妊娠中にである.同じ医師として感情的にならないほうがおかしいであろう.私たちは検察官とは違い犯罪者を追いつめるのが仕事ではない.健康上の理由で弱い立場の人たちを救うのが仕事なのである.

 最後に「自分の家族が今回と同じ形で亡くなったら、仕方なかったと言って陳情書に署名するだろうか」ということであるが,自分の妻が同じ状況で命を落としたとしても検察が起訴するというなら,私は陳情書に署名するだろう.少なくとも児だけでも助けてくれたのなら同じ外科系医師としては感謝すべきであるから同情を禁じえないのである.
『 -- 米軍の攻撃で子ども含む11人死亡 イラク --

 ロイター通信によると、バグダッドの北約100キロにあるイシャキで15日、イラク駐留米軍が「テロ容疑者拘束」のためとして民家を攻撃し、子ども5人を含む市民11人が死亡した。米軍は「武装勢力との戦闘で市民が巻き添えになった」としているが、イシャキのシャセル町長は「米軍の説明を求めたい」としている。

 同通信が伝えた地元警察当局や目撃者の話によると、米兵らが民家の屋根から家の中にいた人々を次々と撃ち、この家で暮らしていた11人が死亡した。米兵らはその後、民家を爆破したという。

 地域の遺体安置所には、子ども5人と女性4人、男性2人の射殺体が運び込まれた。

 これに対し米軍側は、国際テロ組織アルカイダ系のテロ組織の活動を支援していた男がいるとの情報があったため、民家に向かったと説明。「敵からの銃撃を受けて戦闘になった。容疑者を拘束したが、女性2人と子ども1人が戦闘の巻き添えになり死亡し、家が破壊された」としている。 』

『 -- 裁判長、報道陣に退廷命ず フセイン元大統領発言巡り --

 イラクのフセイン元大統領ら旧政権幹部8人を裁く裁判は14日、アブドルラフマン裁判長が途中で審理を非公開にし、傍聴席の報道陣に退廷を命じた。テレビ中継も中止された。フセイン被告が審理とは関係ない発言を続けたため、としている。

 中部ドゥジェイルの住民が虐殺された事件に関して被告は「イラク人よ、殺し合いをやめて侵略者に抵抗せよ」「私はイラクの大統領だ。国民に語りかけることをじゃまするな」などと発言。開廷後、約15分で非公開となった。 』

 フセイン大統領のこの言葉は間違っているのだろうか.テロ組織の活動を支援したという疑いで,おそらくは家族とともに皆殺しにされるというのは法治国家のすることとは思えない.米国民はイラク人なら誰でも米兵に殺されてもかまわないとでも思っているのだろうか.フセイン大統領の統治時代に比べてイラクという国はイラクの人たちにとって暮らしよい国になったのだろうか.報道が制限でもされているのか断片的なニュースしか伝わってこないので本当の事はわからない.最近はイラクと聞いてもまるで地球上の国ではないような錯覚を覚える.

 いったいイラクでは何が起きているのだろうか?米軍はイラクに機動部隊を700人増強派遣するようだから少なくとも安定に向かっているわけではなさそうだ.わが国も自衛隊を派遣しているのに何をやっているのかさっぱりニュースにならないのは何故なんだろうか.あれだけ騒いで送り出したのに一度派遣が決まってしまうとそれ以上マスコミは追及しない.米国に追従したはいいが何の役に立っているのかも国民に知らせないとはどういうことなんだろうか.

 米国はキリスト教的原理主義のもと民主主義の押し売りを続けているようだが,生まれた時からイスラム教的世界観で育ってきた人たちにとっては余計なお世話にすぎなかったのではないだろうか.自分の考えを他人に押し付けるために武力を行使するのが民主主義だというなら天安門事件だって民主主義っていうことだろう.

 そもそも多くの日本人にとってはイラクなんてどこだかわからない遠い国なんだからどうでもいいことなのかも知れないが,侵略者の米国にくっついて母国に自衛隊を派遣しておいてあとは知らんぷりという日本国民をイラクの人たちはどう思うのだろうか.
『 -- 保険医団体も抗議 福島の産婦人科医起訴で --

 福島県立大野病院の産婦人科医が業務上過失致死と医師法違反の罪で起訴された事件で、全国保険医団体連合会は14日、「逮捕、起訴は不当」などとする抗議声明を出した。

 声明は、事故発生から1年以上経過してからの逮捕を「逃亡や証拠隠滅が想定されず異常」と批判。また、事件の背景に産婦人科医不足など構造的な問題があると指摘、「一産婦人科医の責任に矮小(わいしょう)化することは許されない」としている。

 事件をめぐり、日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会も同様の声明を発表。医学界に波紋が広がっている。』

『 -- 起訴の産婦人科医を保釈 地検の準抗告認めず --

 福島地裁は14日、帝王切開手術で女性=当時(29)=を死亡させたなどとして業務上過失致死と医師法違反の罪で起訴された福島県立大野病院の産婦人科医加藤克彦(かとう・かつひこ)被告(38)の保釈を認める決定をした。

 福島地検は同日、決定を不服として準抗告したが棄却され、加藤被告は保釈された。関係者によると、医療関係者と接触しないことが条件となっているという。

 加藤被告は2004年12月、帝王切開の手術をした際、胎盤の癒着で大量出血する恐れがあったのに、胎盤を無理にはがして大量出血で女性を死亡させたなどとして逮捕された。

 加藤被告の逮捕、起訴で、医師会などが「逮捕は不当」などと反発を強めている。』

 この裁判ではいったいなにが争点になるのであろうか.「胎盤を無理にはがして大量出血で女性を死亡させた」ことだろうか,「帝王切開での異状死」なのだろうか.私はどちらも本来は起訴に値しないと思う.なぜなら,自然分娩したら児も母体も共に死亡していただろうからである.あらかじめ死亡する確率の非常に高いものを助けようとしたのに助けられなかったからといって刑法で裁かれるのではたまったものではないだろう.

 少なくとも致死率が50%を超えるものについては医療行為の結果の死は免責にすべきであろう.これらの患者さんは医師が治療を拒否すれば2人に1人は死亡するのであるから.治療の原点は死亡率を下げることであり,その点からは治療の結果として助かる人がいればそれで十分だと考えられないのだろうか.医学の進歩のおかげで助かるのが当たり前のように考え違いをしていないだろうか.

 医学の進歩の結果として治療の安全性は戦後から飛躍的に高まり平均寿命も延びているというのに,結果が悪いと医師個人の責任とされるのでは努力して自分で自分の首を絞めているようなものではないだろうか.人の命を助けることに誇りがもてなくなったら医師になる意味はないだろうと思う.今回,検察がやったことは医師の職業上の誇りを傷つけたという意味で医療社会に対する犯罪行為(挑発行為?)といってもいいような気がするのだがどうだろうか.

認識不足

2006年3月15日 社会の問題
『 -- 介護は誰が? 川崎・谷垣・額賀氏、三者三様の答弁 --

 「誰に老後の介護をしてもらいたいか」。14日の参院予算委員会で川崎厚生労働相、谷垣財務相、額賀防衛庁長官が、下田敦子氏(民主)の質問に三者三様の答弁をした。

 川崎氏は「夫婦の議論になっている。おれの方がおまえより先に亡くなるから、おまえがしっかりおれの面倒を見てくれ、と。女房の面倒は、息子がしっかりやらなきゃならんだろうなと考えている」。

 谷垣氏は「子どもがそういうことをやってくれるか、まだ議論したことがない。やってくれそうな気もするし、とてもそこまで望めないような気もするし」。

 額賀氏は「選挙でずっと女房の世話になっているから、女房より長生きして面倒を見たい。自分のことはそれから考える」。身に覚えがあるのか、出席議員からどよめきと拍手が起きた。』

 国会議員の皆さんは上流社会の人たちだから,介護は家族がするものという古典的考え方の枠からはみ出る家庭が実際にはかなり存在するという認識はおそらくないのではないだろうか.そもそも女房より長生きなどと簡単に言うが,自分よりかなり年上の奥様でないと女房より長生きすることは不可能だろう.なにせ女性の平均余命の方が最近では6歳ほど長いのだから.

 それに,高齢化に伴う痴呆症の問題もある.いくらお互いに介護しようと思ってもひどい痴呆症や徘徊などの症状が出てくると自宅での介護は家族もお手上げになる場合が多いのだ.だが,先日も書いたが痴呆がひどくなると施設でも見放されることが多くあとは精神科の病院にでも入院してもらうしかないのが現状である.精神科の病院から社会的入院の患者さんを退院させ,代わりに痴呆症の患者さんを入院させるという厚生労働省の愚策を実行したとしても受け皿がぜんぜん足りないのではないだろうか.

 介護保険により社会的入院を減らし自宅での介護を増やし,健康保険の負担を減らすのはいいが,低所得で共働きしているような家庭にとっては介護に人手がとられ,介護保険でまかなえない分を負担させられたのではやっていられないだろう.議員さんたちは,国会では自分たちの生活レベルで考えてのんきな答弁をされているようですが,果たしてそれでいいんでしょうか.そして,こんな小学生レベルの質疑応答している国会議員では厚生労働省の高級官僚にまるめこまれるのも当然という気がしますがどうでしょうか.
迷走
癒着胎盤,医療事故でのアクセスが多い.
やはり多くの医師達が困惑しているのだろう.
産婦人科とその他の外科,小児科,救急,僻地医療の問題で医療は迷走するのだろう.
週の半ばだというのにもうすでに疲れてきている.
こんな時はちょっと空でも眺めて一息つきますか.

ちなみに福島産科医師不当逮捕に対し陳情書を提出するホームページ は
http://www006.upp.so-net.ne.jp/drkato/
だそうですので紹介させていただきます.一般の方も可のようです.
『 -- 帝王切開の執刀医を起訴 福島県立病院医療事故で --

 福島県大熊町の福島県立大野病院で2004年、帝王切開した女性=当時(29)=が死亡した医療事故で、福島地検は10日、業務上過失致死と医師法違反の罪で、執刀した医師加藤克彦(かとう・かつひこ)容疑者(38)=同県大熊町=を起訴した。

 起訴状などによると、加藤被告は04年12月17日、帝王切開の手術を執刀した際、胎盤の癒着で大量出血する可能性があり、生命の危険を未然に回避する必要があったにもかかわらず、癒着した胎盤を漫然とはがし大量出血で福島県楢葉町の女性を死亡させた。また女性の死体検案を24時間以内に警察署に届けなかった。

 日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会は、加藤被告の起訴について「術前診断が難しく、治療の難度が最も高い事例で対応が極めて困難。産婦人科医不足という現在の医療体制の問題点に根差しており、医師個人の責任を追及するにはそぐわない部分がある」との声明を発表。

 加藤被告の逮捕に反発し、インターネットで情報交換している医師グループの1人も「加藤医師に過失はなく起訴は不当」としている。』

 医師はもう司法の大岡裁きを待つしかないのだろうか.一連の経過や産婦人科医たちのコメントを聞いたところでは,なにもわかっていない警察の不当逮捕と医療の現場が理解できない検察のピントはずれな起訴という評価しかできない.

 起訴された以上は司法の判断を待つしかないだろうが,無知ゆえに社会への影響を考えることのできない一部の人たちのためにどれほどの妊婦さんや外科の患者さんたちが不利益を被るのかは想像できない.結果が悪ければ医学的に不可避と思えるような事態であっても,刑事告訴は免れないだけでなく逮捕もされるという現実が今回の一件で明らかになったわけである.

 これでは合併症のリスクの高い手術や救命率の低い処置はすべて避けるようになるのが賢い医師の選択ということになるだろう.一定の確率で不測の事態に陥ることがわかっている外科医であればこそ,検察が仕掛けた地雷原の中にわざわざ目隠しで入り込むようなまねはしないだろう.そんなことをしていたら命がいくつあっても足りないからである.逮捕されてしまえばたとえ何年後かに裁判で勝ったとしても外科医としての生命は終わってしまうのである.

 インフォームドコンセントの際にリスクの説明をしても本当にその意味を理解できる家族は実際には非常に少ないし,救命救急の場では十分に説明している時間もないのが現実である.結果が悪ければ今回のようにリスクを十分に説明してもらえなかったとかそんなに危険なものとは思わなかったとか言い出す家族は必ずいると思ったほうがいいだろうし,そういう家族がいれば警察そして検察も動くであろうことは容易に想像ができる.

 自分が医の倫理にしたがってできるだけのことをやっていれば逮捕されたり訴えられたりしないと自信を持って言える医師がいたとすればきっとリスクの高い患者はみんなその医師のところに紹介されてくることになるだろう.医師法にはより適切な治療のできるところに患者を移すのは医師の義務であると書かれている.紹介しないで結果が悪ければ解釈次第で医師法違反で逮捕することも可能なのである.

 後ろ向きな発言はしたくはないが,今回の逮捕劇にはこういった疑心暗鬼を医師に抱かせるに十分な要素が含まれていると思われる.臨床をちゃんとやってない医師や医師でない人たちにはこの異常な事態がきっと十分に理解できないのだろう.現在でも「患者が医者を信用しない」というお寒い状況のようだが,これからは「医者も患者を信用しない」とか「逮捕が怖いから治療しない」という医療の氷河期がくるかも知れないと言ったら少しはわかりやすいだろうか. 
一期一会
公園の雪解けを見たくて散歩に出た.
コツコツと音がするのでそおっと近づくと一生懸命に木の幹を突ついている.虫でも採っているのだろうか.
ちょっとお邪魔して1枚撮らせてもらいました.

皆さま今週もご苦労様でした.
『 -- 先進国の寿命100歳へ 30年までに、米学者が予測 --

 がん治療などの医療や老化防止研究が現在のペースで進み普及すれば、人間の平均寿命が2030年までに100歳前後になる可能性が高いとの予測を米スタンフォード大のシュリパド・トゥルジャパーカー教授(生物学)がまとめた。ただし、恩恵は高価な先端医療を受けられる先進国に限られ、"命の南北格差"は拡大する見通しだ。

 同大広報部が明らかにした教授の研究によると、世界各地の人口増加率や経済レベルのデータに、医療や老化防止の進歩と普及の予測を当てはめると、現在80歳前後の先進国の寿命は10年から30年にかけて飛躍的に延び、100歳前後に達すると推測できるという。

 しかし、進歩がめざましいがん治療や老化防止研究による医療を受けられるのは今後も豊かな国々の人に限られる見通し。トゥルジャパーカー教授は、アフリカでエイズ問題が深刻化しながら高価な治療薬は先進国に偏在する現実を指摘し「こうした現状を変えなければ貧しい国は(貧困の)悪循環に陥る」としている。

 米医学会には、同教授のように医療技術の進歩を重視し、寿命が延びるとする予想がある一方、米国を代表とする先進各国では肥満問題が深刻化し、糖尿病罹患(りかん)率の増加で今後、平均寿命は短くなっていくとの見方もある。』

 この予測にはちょっと衝撃を受けた.私は現在の平均余命でしか自分の人生を考えていなかったのである.以前の日記にも書いたがすでに私は人生の半分を過ぎてしまったと思い込んでいたのだ.なんと医師として軽率な判断だったのだろう.言われてみれば自分が医師になりたての頃に比べれば10年くらいは日本人の平均寿命は延びていたのだ.今後さらに10年や15年くらい延びても不思議はない.

 そうなると延長された人生の時間をどう過ごすかということを考えなければならない.仕事は何歳までやればいいのだろうか.せっかく長くなるのだから仕事以外にも有効に使いたいと思うのだがいい考えが浮かばない.時間はたっぷりありそうだからゆっくり考えればいいのだろうが,あなただったら何に使うのだろうか.
『 -- あわや医療事故9万1000件 05年上半期250機関調査 看護師不足背景に --

 一歩間違えば医療事故になりかねない「ヒヤリハット」事例が、調査対象となった全国の250医療機関で、2005年1-6月の半年間に9万1000件あったことが8日、日本医療機能評価機構のまとめで分かった。

 また、医療事故の報告が義務付けられている旧国立や大学などの272病院で、05年の1年間に1114件の医療事故が発生、うち143人が死亡、159人に障害が残る可能性が高いことも判明した。

 全国には38万余りの医療機関があり、ヒヤリハット事例は相当数にのぼるとみられる。同機構は「重大な事故の背景には『ヒヤリ』や『ハッ』が隠れている。未然に防げるものもあり、医療機関は他山の石として1つでも医療事故を減らすよう努力してほしい」としている。

 同機構の報告書によると、最も多かったのは「薬の処方」で27%。次いで「チューブ類の使用」が16%、「入浴・食事・移動など」が13%。手術中は2%だった。

 看護師がガーゼの枚数不足を指摘したが、医師が無視し、後に患者の腹部からガーゼが見つかったり、名前の似た痛風と狭心症の薬を取り違えて患者に渡したりしたケースもあった。

 当事者別では看護師が80%、医師が4%。原因別では「確認や観察が不十分」が40%を占めた。「多忙だった」「夜勤・当直だった」を理由に挙げた人も多く、看護師不足が事故と隣り合わせの状況を生んでいる実態が浮かび上がった。

 また、医療事故は「手術や診療中」に起きた事例が30%と最も多く、次いで「入浴や食事など」の際が23%だった。ヒヤリハット事例と同様に確認や観察を怠ったのが原因となったケースが目立った。』

 まず目に付くのは「あわや医療事故」というセンセーショナルなタイトルである.医療従事者であればヒヤリハットレポートくらいだれでも知っている.そしてこれは事故報告書とは目的も違うことも知っているだろう.医療現場の感覚ではヒヤリハットレポートは通常業務であり自分たちの仕事の手順やマニュアルを確認し改善していくためのものと考えたほうがいいだろう.

 確かに中には重大事故につながる可能性のあるものもあるのだが,すべてが医療事故になるというほど重大なミスというわけでもない.医療機器の故障から病院施設の問題まですべてを含んだものである.頻度としてはやはり誤薬が圧倒的に多いのはどこの施設も同じであろう.この場合の薬とは内服薬だけでなく注射薬や点滴を含めての話である.ガーゼの枚数不足の指摘を医師が無視してあとで患者の腹部からガーゼが見つかるなんていうのはヒヤリハット事例ではないだろう.

 原因別で「確認や観察が不十分」はわかるが,「多忙だった」「夜勤・当直だった」というのはどうなんだろうか.これをすぐに「看護師不足が事故と隣り合わせの状況を生んでいる実態」という結論に結びつけるのはちょっと勇み足だろうと思う.実際,誤薬なんていうのは暇な病棟でも忙しい病棟でも起きるものである.忙しいだろうからと2人で手分けをして薬を配ったら同じ患者さんに2人で重複して配り,患者さんが気づかず服用してしまったなんていうこともあった.信じられないけれども2人で確認して2人とも誤認することなんて珍しくないのだから.

 医療事故対策委員会というのがどこの病院にもあって私も委員や委員長をやってきているが,それほど珍しいヒヤリハット事例にはめったにお目にかかることはない.人的原因のほとんどは経験年数が少なければ知識不足や経験不足であり,経験年数が上がると慣れからくる確認不足や注意不足などである.これらは人間がやる以上は一定の確率で起こるものなのであろう.

 私はヒヤリハット事例は予防しようがないとか言うつもりはない.中には重大事故につながる可能性があり,また未然に防げるものもあるだろうからヒヤリハットレポートは業務として重要であると思っている.むしろこれを材料に安易に看護師不足や医療事故と関連づけられてしまうと,医療に対する不信感がさらに増えるばかりで本来の意味が失われるような気がするのだがどうだろうか.
自爆ですね
自分で150000ヒット目を踏みました.
いつも読んでくださりありがとうございます.
これからもできるだけ続けていきたいと思っています.
でも,延べ15万人ですか.私の今までの学会発表や論文をみてくれた人数をはるかに上回ってますね.なんとなく複雑な気分です.

記念画像をアップします.
『 -- 「近所の子もどうぞ」宇都宮大キャンパスに保育所開設へ --

 「大学のキャンパス内に保育所をつくりたい」――。宇都宮大学教授らの働きかけで、この秋、宇都宮市にある同大学内に私立の認可保育所が開園する。同大によると、医学部のある国立大学で付属病院で働く看護師らのために保育所を設ける例はあるが、周辺地域の子どもを受け入れることを設立当初から掲げているのは全国的に珍しい試みという。

 「ゆりかごから老後までみんなに使ってもらえる、そんな地域に開かれた大学になれたら素晴らしいでしょ」。中心になって活動してきた同大教育学部の金崎芙美子教授(63)は、保育所をつくる理由をこう語った。学内に保育所のない時代、働きながら子どもを育て上げた経験がある。

 国立大学の法人化で「地域貢献」がキーワードになると見込んで、03年に構想を具体化。市や大学と交渉してきた。

 近くにある市立保育園の老朽化が進んでいたこともあって移設民営化が決まり、大学からも無償で土地を借りる約束を取り付けた。学内では教職員に働きかけて設立準備委員会を設置。募金で、教授や職員、周辺の商店から計3200万円を集めた。

 保育所の名前は「宇都宮大学まなびの森保育園」。定員は90人で0〜5歳児が対象。運営母体として社会福祉法人「峰陽(ほうよう)会」を立ち上げる。大学付属機関にはならないが、教育学部長が理事に就任するなど、大学との連携を図る。

 教授らは10月の開園を心待ちにしている。「保育所ができたら食育のテーマで支援したい」「留学生の利用を見込んで異文化教育をしたい」

 3月で退官する同大工学部の浅野功義教授(65)は、寄付だけではもの足りず、今後も保育所にかかわる決心をした。「4月から教育学部で勉強し直して保育士の資格を取ります」。資格取得までの2年間は「用務員のおじちゃん」になり、子どもたちと対話するのを楽しみにしている。

 金崎教授は言う。「法人名の『峰陽』はキャンパスのある峰町と陽東の住所から名付けました。抱擁、愛の意味もある。しっかりと抱きしめて保育所から愛を広げていきたい」』

 外来でたくさんの人を診ていると人間の多様性に驚かされることがよくある.入院して主治医になれば性格や考え方までわかることも多いけれど,外来ではさすがにそこまではなかなかわからない.それでも背格好,顔立ち,声や話し方などといった特徴はもちろん年齢,職業,住所,病歴といった詳細な情報があるから,どんな人なのだろうと興味を持てばかなりのことがわかってくる,

 でも,仕事の必要で観察する点を除けば,私が一番興味あるのは話し方である.ここにその人のすべてが集約されていると思う.言葉使いや話の内容からその人となりを類推するのである.そうすると人間というのはいかに環境によってつくられているのかがわかる.そうしてたくさんの人をみれば人間としての核を形成する幼少児期の教育がいかに大切かということに程なく思い当たるのは当然のことだと思う.

 3月で退官する同大工学部の教授が,寄付だけではもの足りず保育所にかかわる決心をしたのがどんな理由かはわからないが,日頃から大学生を教えていて私と同じようなところに考えが至ったような気がする.人間は大人になるとなかなか自分を変えることはできないことは思い当たる人が多いのではないだろうか.もっと小さい頃にこういう性格を直したかったと思う人もたくさんいることだろう.

 実際,人生は考え方次第であるのだが,頭ではわかっていてもそれができないというのは誰にでもあるだろう.現代日本社会の問題も社会を構成する人間という側面からみれば,戦争で物資がなく物質的な豊かさを追及した世代,大勢で競争しなければならなかった団塊世代,ゆとりを追及しすぎて目的を失った世代などの各世代でそれぞれの問題を抱えているとも言えるのではないだろうか,

 少子化の時代には他人と競争する必要はないだろうが,目的なしで生きていられるほど未来は明るくない,数は少なくとも背中に背負うものは大きくなる一方である.これからは,未来に理想を描きつつ過去の問題を解決できるような人間が増えてもらわないといけない.そう考えると子育てに社会資本を投下することはまちがいのない選択枝のように思えるのだがどうだろうか.

 

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