『 -- 医師、延命治療中止に信念か 富山・呼吸器外し7人死亡 --
富山県の射水市民病院でがんなどの末期患者7人の人工呼吸器が取り外され、死亡した問題で、人工呼吸器を取り外した外科部長(50)は95年4月から同病院に勤務していた。病院によると、昨秋、診療現場をはずれ、自宅待機や金沢大で研修を続けてきた。
外科ではチーム医療をしているが、麻野井英次院長によると、外科部長は責任感が強く、自分で全責任を負うタイプ。一連の延命治療の中止についても信念をもってやったようだといい、「ほかの外科医はなかなか反論できなかったと理解している」と麻野井院長は述べた。
昨秋まで同病院に勤務していた市職員は、「退院する患者さんが『いい先生だった』と言っていたのを何度も聞いたことがある。病院内でのトラブルもなかったのではないか」という。
外科部長の執刀で夫(59)が大腸がんの手術を受けたという射水市内の女性は「02年10月から先生にお世話になってきた。2カ月入院したが、病気の説明がわかりやすくて人柄もよく、主治医として信頼していた。昨年10月にいなくなられ困っていた。今日話を聞いてショックを受けている」と話した。
かつて外科部長と一緒に働いたことがある病院関係者も、「患者の覚えがよく、気さくに声をかける人だった。手術などについても、患者や家族が分かるまで、ゆっくり説明する人だった」と話した。 』
『 -- 「医師の独断」問題視、家族同意「文書ない」 病院会見 --
富山県の射水市民病院でがんなどの末期患者7人の人工呼吸器が取り外され、死亡した問題で、残されたカルテには「家族の希望」などと記されていた。だが、同意取り付けの経緯は不明確で、病院内での合意も十分とはいえなかった。延命治療の停止は、やむを得ない選択だったのか。
25日午後、麻野井英次院長ら幹部4人がそろって記者会見し、院内調査の結果を説明した。「数が多かったこともあり、非常に、社会的にも問題があると思った。犯罪性についての調査は我々だけではできないので警察の調査にゆだねた」。麻野井院長は苦渋の表情を浮かべた。
きっかけは内科系看護師長の報告だった。「外科部長から人工呼吸器を外すよう指示がありました」
昨年10月12日、知らせは副院長経由で麻野井院長に入った。対象患者は外科系。たまたま内科系病棟に入院していた。
院長はすぐに外科部長に「人工呼吸器を外してはならない」と命じた。「部長の言動から人工呼吸器の取り外しに関する認識の違いを知り、ほかにも同様の事例があるのではないかと心配になった」のだという。
同日、緊急に院内調査委員会が発足した。カルテの記録や医師、看護師らの記憶を元に過去10年間に外科で死亡した患者について調査し、七つの事例がわかった。
院長は会見で、「問題にしたのは、患者の意思が明確だったか、呼吸器を外すにあたって他の医師による確認などの手続きを踏んでいるかということだ」と説明した。
外科部長は患者の状態と、治療中止について家族らにどこまで説明していたのか。「同意書という形にはなっていなかった」と院長。4人いたという外科系医師らの間でどんな判断があったのかも、会見では明確にはならなかった。』
けっこうなニュースになっているようなので,ちょっとだけ現場の医師としてコメントさせてもらいたい.
病院側が問題にしているのは手続きのことである,医師が独断で安楽死させていたのではないかということで,法的にも問題があるのではないかと言うことである.これはおそらく法的に問題になるであろう.以前に道立羽幌病院で同様の事件があった.延命処置の中止は現状ではできないと考えたほうがいいだろう.
だが,医療としてそれでいいのかどうかは別問題だと私は思う.私は脳外科医なので死に至る病気や遷延性意識障害の患者さんを診る機会が多いほうだと思う.そして思うことはどうせ死ぬなら自分の普段のイメージのままで死にたいということだ.遷延性意識障害で長期療養になったり,延命治療で1週間も経つとすっかり顔つきも変わってしまうのが普通である.本人は意識がないから気にならないのだが,それを毎日見る家族はどう思うであろうか.愛する人の変わり果てた姿をみるのは非常につらいものなのである.私は家族に自分のそんな姿を晒したくはない.
私自身がそのような状態になった場合の希望としては遷延性意識障害なら6ヶ月で経管栄養の中止による死.そして延命治療は断固としてお断りということである.だが,今の日本ではこんなことはたとえ本人が希望してもできないだろう.自分に意識がない場合に家族が延命治療を拒否することは場合により可能だろうが,他人に自分の死に様を決めて欲しいとは思わない.
本人の意思があれば自分でどのような死を迎えるかを選べることが尊厳死だと思うし,本人に意識がない場合は家族が納得できる最期を迎えさせてあげることが終末期医療なのではないかと思うのだがどうだろうか.
富山県の射水市民病院でがんなどの末期患者7人の人工呼吸器が取り外され、死亡した問題で、人工呼吸器を取り外した外科部長(50)は95年4月から同病院に勤務していた。病院によると、昨秋、診療現場をはずれ、自宅待機や金沢大で研修を続けてきた。
外科ではチーム医療をしているが、麻野井英次院長によると、外科部長は責任感が強く、自分で全責任を負うタイプ。一連の延命治療の中止についても信念をもってやったようだといい、「ほかの外科医はなかなか反論できなかったと理解している」と麻野井院長は述べた。
昨秋まで同病院に勤務していた市職員は、「退院する患者さんが『いい先生だった』と言っていたのを何度も聞いたことがある。病院内でのトラブルもなかったのではないか」という。
外科部長の執刀で夫(59)が大腸がんの手術を受けたという射水市内の女性は「02年10月から先生にお世話になってきた。2カ月入院したが、病気の説明がわかりやすくて人柄もよく、主治医として信頼していた。昨年10月にいなくなられ困っていた。今日話を聞いてショックを受けている」と話した。
かつて外科部長と一緒に働いたことがある病院関係者も、「患者の覚えがよく、気さくに声をかける人だった。手術などについても、患者や家族が分かるまで、ゆっくり説明する人だった」と話した。 』
『 -- 「医師の独断」問題視、家族同意「文書ない」 病院会見 --
富山県の射水市民病院でがんなどの末期患者7人の人工呼吸器が取り外され、死亡した問題で、残されたカルテには「家族の希望」などと記されていた。だが、同意取り付けの経緯は不明確で、病院内での合意も十分とはいえなかった。延命治療の停止は、やむを得ない選択だったのか。
25日午後、麻野井英次院長ら幹部4人がそろって記者会見し、院内調査の結果を説明した。「数が多かったこともあり、非常に、社会的にも問題があると思った。犯罪性についての調査は我々だけではできないので警察の調査にゆだねた」。麻野井院長は苦渋の表情を浮かべた。
きっかけは内科系看護師長の報告だった。「外科部長から人工呼吸器を外すよう指示がありました」
昨年10月12日、知らせは副院長経由で麻野井院長に入った。対象患者は外科系。たまたま内科系病棟に入院していた。
院長はすぐに外科部長に「人工呼吸器を外してはならない」と命じた。「部長の言動から人工呼吸器の取り外しに関する認識の違いを知り、ほかにも同様の事例があるのではないかと心配になった」のだという。
同日、緊急に院内調査委員会が発足した。カルテの記録や医師、看護師らの記憶を元に過去10年間に外科で死亡した患者について調査し、七つの事例がわかった。
院長は会見で、「問題にしたのは、患者の意思が明確だったか、呼吸器を外すにあたって他の医師による確認などの手続きを踏んでいるかということだ」と説明した。
外科部長は患者の状態と、治療中止について家族らにどこまで説明していたのか。「同意書という形にはなっていなかった」と院長。4人いたという外科系医師らの間でどんな判断があったのかも、会見では明確にはならなかった。』
けっこうなニュースになっているようなので,ちょっとだけ現場の医師としてコメントさせてもらいたい.
病院側が問題にしているのは手続きのことである,医師が独断で安楽死させていたのではないかということで,法的にも問題があるのではないかと言うことである.これはおそらく法的に問題になるであろう.以前に道立羽幌病院で同様の事件があった.延命処置の中止は現状ではできないと考えたほうがいいだろう.
だが,医療としてそれでいいのかどうかは別問題だと私は思う.私は脳外科医なので死に至る病気や遷延性意識障害の患者さんを診る機会が多いほうだと思う.そして思うことはどうせ死ぬなら自分の普段のイメージのままで死にたいということだ.遷延性意識障害で長期療養になったり,延命治療で1週間も経つとすっかり顔つきも変わってしまうのが普通である.本人は意識がないから気にならないのだが,それを毎日見る家族はどう思うであろうか.愛する人の変わり果てた姿をみるのは非常につらいものなのである.私は家族に自分のそんな姿を晒したくはない.
私自身がそのような状態になった場合の希望としては遷延性意識障害なら6ヶ月で経管栄養の中止による死.そして延命治療は断固としてお断りということである.だが,今の日本ではこんなことはたとえ本人が希望してもできないだろう.自分に意識がない場合に家族が延命治療を拒否することは場合により可能だろうが,他人に自分の死に様を決めて欲しいとは思わない.
本人の意思があれば自分でどのような死を迎えるかを選べることが尊厳死だと思うし,本人に意識がない場合は家族が納得できる最期を迎えさせてあげることが終末期医療なのではないかと思うのだがどうだろうか.
健康な時はわからない
2006年3月24日 医療の問題 コメント (2)
療養型病床の回診中に変なものを見つけた.廊下にテーブルが置いてあってその上になにやら用紙が置いてある.その前の壁には『介護難民34万人に加え療養難民23万人』と書いたチラシが貼ってある.
これは,現在38万床ある療養病床を2012年までに15万床まで削減する医療制度改革法案に反対する署名運動であった.療養型病床に入院している患者さんの家族が設置したものであろうか.
自分の家族が寝たきりになれば誰にでも気づくことが,そうでない人たちにはまったくわからないというのが問題なのだが,そういう人たちも高齢化社会ではいつ自分たちの家族が寝たきりなってもおかしくないということを忘れるべきではないだろう.なってしまってから療養する場所がないことに気がついても手遅れなのだが,こんなことに気づく国民はわずかだし,マスコミはなぜかあまり社会問題としては取り上げない,いったいどうなっているのだろうか?
これは,現在38万床ある療養病床を2012年までに15万床まで削減する医療制度改革法案に反対する署名運動であった.療養型病床に入院している患者さんの家族が設置したものであろうか.
自分の家族が寝たきりになれば誰にでも気づくことが,そうでない人たちにはまったくわからないというのが問題なのだが,そういう人たちも高齢化社会ではいつ自分たちの家族が寝たきりなってもおかしくないということを忘れるべきではないだろう.なってしまってから療養する場所がないことに気がついても手遅れなのだが,こんなことに気づく国民はわずかだし,マスコミはなぜかあまり社会問題としては取り上げない,いったいどうなっているのだろうか?
『 -- 介護保険料、4090円に 65歳以上、24%引き上げ --
厚生労働省は23日、2006年度の介護保険料改定に伴い、4月から3年間適用される65歳以上の保険料が全国平均で、月額4090円となる見通しを介護保険事業運営懇談会に示した。改定前の3293円より24%アップの大幅引き上げとなる。
高齢化や介護事業者による需要の掘り起こしで、介護サービスの利用が増加、総費用が制度開始時の2000年度に比べ、06年度(予算ベース)は約2倍の7兆1000億円に増え、その後も増加が見込まれるため。上げ幅は前回03年度改定時の13%増を上回った。
高齢者がより高齢化することで、今後も介護サービス需要が増えるのは確実なため、次回改定の09年度以降も引き上げが続く見通し。 』
今後介護保険はいずれ健康保険料並になるにちがいない.その時になってから国民はだまされたことに気づくのだろう.介護保険料の引き上げの原因についてマスコミは高齢化社会だからという一言で済ましているようだが,本当にそれだけだろうか.
団塊の世代が高齢化することによる老齢人口の増加が一因となることは誰が考えてもわかるだろう.だが,介護保険施設の不正請求がニュースになるくらいであるから,介護事業者による需要の掘り起こしは今後も増大し,過分な費用が発生することは確実である.介護サービスに対する家族の期待が高まることも当然あるだろう.自己負担分も増えるだろうが,介護保険の範囲内で受けられるサービスが増えれば介護保険料も増大するのは当たり前だろう.
さらに,今後は厚生労働省の言うところの社会的入院の患者さんを病院から在宅や施設での介護に切り替えていくことによる介護保険申請の増加が予想される.これはいわば健康保険から介護保険と自己負担への切り替えであるから介護保険料へ跳ね返ることは確実だろう.しかも,病院で介護するよりも効率は低下するから,質を維持しようとすれば余分に費用がかかる.つまりコストパフォーマンスも低下するのである.
確かに厚生労働省の仕事である健康保険料の抑制には効果があるかもしれない.しかし,介護保険料と自己負担分がそれ以上に増大すれば馬鹿をみるのは国民である.介護保険料は所得による格差はない.低所得者ほど実質的な負担増になるということも忘れるべきではないだろう.
厚生労働省は23日、2006年度の介護保険料改定に伴い、4月から3年間適用される65歳以上の保険料が全国平均で、月額4090円となる見通しを介護保険事業運営懇談会に示した。改定前の3293円より24%アップの大幅引き上げとなる。
高齢化や介護事業者による需要の掘り起こしで、介護サービスの利用が増加、総費用が制度開始時の2000年度に比べ、06年度(予算ベース)は約2倍の7兆1000億円に増え、その後も増加が見込まれるため。上げ幅は前回03年度改定時の13%増を上回った。
高齢者がより高齢化することで、今後も介護サービス需要が増えるのは確実なため、次回改定の09年度以降も引き上げが続く見通し。 』
今後介護保険はいずれ健康保険料並になるにちがいない.その時になってから国民はだまされたことに気づくのだろう.介護保険料の引き上げの原因についてマスコミは高齢化社会だからという一言で済ましているようだが,本当にそれだけだろうか.
団塊の世代が高齢化することによる老齢人口の増加が一因となることは誰が考えてもわかるだろう.だが,介護保険施設の不正請求がニュースになるくらいであるから,介護事業者による需要の掘り起こしは今後も増大し,過分な費用が発生することは確実である.介護サービスに対する家族の期待が高まることも当然あるだろう.自己負担分も増えるだろうが,介護保険の範囲内で受けられるサービスが増えれば介護保険料も増大するのは当たり前だろう.
さらに,今後は厚生労働省の言うところの社会的入院の患者さんを病院から在宅や施設での介護に切り替えていくことによる介護保険申請の増加が予想される.これはいわば健康保険から介護保険と自己負担への切り替えであるから介護保険料へ跳ね返ることは確実だろう.しかも,病院で介護するよりも効率は低下するから,質を維持しようとすれば余分に費用がかかる.つまりコストパフォーマンスも低下するのである.
確かに厚生労働省の仕事である健康保険料の抑制には効果があるかもしれない.しかし,介護保険料と自己負担分がそれ以上に増大すれば馬鹿をみるのは国民である.介護保険料は所得による格差はない.低所得者ほど実質的な負担増になるということも忘れるべきではないだろう.
『 -- 手術後の処置怠り患者死亡 麻酔医を書類送検 --
宮城県警泉署は17日、手術後に全身麻酔を受けた患者に適切な処置をせずに死亡させたとして、業務上過失致死容疑で仙台市泉区の病院院長(51)を書類送検した。
調べによると、院長は2005年2月15日、鎖骨を骨折した医師遠藤閑夫(えんどう・のりお)さん=当時(46)=の手術チームに麻酔医として参加。手術後、全身麻酔から遠藤さんが覚めるのを確認せずに病室に戻し、死亡させた疑い。
院長は麻酔を覚めさせるために薬を投与したが、麻酔から覚めていない状態で遠藤さんを病室に戻した。遠藤さんは一時呼吸停止状態になり、そのまま意識は戻らず、05年3月22日に低酸素脳症で死亡した。
院長は「なぜ亡くなったのか、自分でも原因が分からない」と話しているという。』
麻酔から十分覚醒していないと呼吸不全に陥ることがあることは麻酔医なら誰でも知っていることで,麻酔医はこの点に非常に注意を払うのが常である.では,なぜこんなことが起きてしまうのだろうか.きっとニュースではわからない原因があるに違いないが推測の域を出ないのでここで書くのはやめておこう.
もう一つ気になったのは,この病院長の標榜科はなんだったかということと,日本麻酔学会の専門医などの資格を持っていたのだろうかということである.もちろん指導医などの資格がなくても立派に麻酔をかける医師を何人も私は知っているが,資格を持たない医師の中にはちょっとルーズな麻酔をかける人もいるのも事実である.
私は緊急で待てない時以外は基本的に専従の麻酔専門医もしくはそれと同等の技術を有する外科系医師に麻酔をお願いすることにしている.ごく稀にではあるが,手術中に麻酔医が未熟なために恐い思いをしたことだってあるから,信頼のおける麻酔医の確保は自分にとって極めて重要なことである.なにせ専従の麻酔科医だって刑事告訴される時代なのである.麻酔医に問題があって外科医が告訴されることだって十分考えられるだろう.
その昔,個人病院で働いていたころは院長先生が麻酔認定医の資格を持っていて麻酔をかけてくれていた.そして,手術にも手洗いをして入り私に手術を教えてくれたのである.その間は麻酔のモニターは手術場の看護婦さんが見ていてくれて血圧や脈拍を読み上げ,院長が吸入麻酔の量を指示しながら麻酔をコントロールしていたものである.もちろん特に問題の起きない手術ならこれでも安全なのであるが,手術中に動脈瘤が破れでもして出血したら途端に修羅場と化したのである.それでもなんとかやってこれたのは当時はそれが当たり前でスタッフも死に物狂いでやっていたからだと思う.
現在,そんなことはやれと言われても私にはできないだろう.手術には人手が必要である.外科医と麻酔科医がそれぞれ1人ずつの2人で手術して結果が悪かったらそれだけで即逮捕されるかもしれないのである.たとえ緊急手術であっても最低外科医2人に専従麻酔科(専門?)医1人そして輸血は考えられる限り十分に用意しないといけないことになりそうなのである.これらすべての準備が整うまで手術はできないと説明し納得してもらうか,もしくは時間がかかってもより高次の救急病院に搬送するかしないことになるかもしれない.
ちょっとニュースの話題からはそれてしまったが,もしこの院長先生が専従の麻酔科専門医でなかったとしたら現在の医療をとりまく状況を見誤ったとしか言いようがなく,なぜこの時期にわざわざリスクを犯してまで麻酔医をやったのかという疑問がぬぐえないのである.
宮城県警泉署は17日、手術後に全身麻酔を受けた患者に適切な処置をせずに死亡させたとして、業務上過失致死容疑で仙台市泉区の病院院長(51)を書類送検した。
調べによると、院長は2005年2月15日、鎖骨を骨折した医師遠藤閑夫(えんどう・のりお)さん=当時(46)=の手術チームに麻酔医として参加。手術後、全身麻酔から遠藤さんが覚めるのを確認せずに病室に戻し、死亡させた疑い。
院長は麻酔を覚めさせるために薬を投与したが、麻酔から覚めていない状態で遠藤さんを病室に戻した。遠藤さんは一時呼吸停止状態になり、そのまま意識は戻らず、05年3月22日に低酸素脳症で死亡した。
院長は「なぜ亡くなったのか、自分でも原因が分からない」と話しているという。』
麻酔から十分覚醒していないと呼吸不全に陥ることがあることは麻酔医なら誰でも知っていることで,麻酔医はこの点に非常に注意を払うのが常である.では,なぜこんなことが起きてしまうのだろうか.きっとニュースではわからない原因があるに違いないが推測の域を出ないのでここで書くのはやめておこう.
もう一つ気になったのは,この病院長の標榜科はなんだったかということと,日本麻酔学会の専門医などの資格を持っていたのだろうかということである.もちろん指導医などの資格がなくても立派に麻酔をかける医師を何人も私は知っているが,資格を持たない医師の中にはちょっとルーズな麻酔をかける人もいるのも事実である.
私は緊急で待てない時以外は基本的に専従の麻酔専門医もしくはそれと同等の技術を有する外科系医師に麻酔をお願いすることにしている.ごく稀にではあるが,手術中に麻酔医が未熟なために恐い思いをしたことだってあるから,信頼のおける麻酔医の確保は自分にとって極めて重要なことである.なにせ専従の麻酔科医だって刑事告訴される時代なのである.麻酔医に問題があって外科医が告訴されることだって十分考えられるだろう.
その昔,個人病院で働いていたころは院長先生が麻酔認定医の資格を持っていて麻酔をかけてくれていた.そして,手術にも手洗いをして入り私に手術を教えてくれたのである.その間は麻酔のモニターは手術場の看護婦さんが見ていてくれて血圧や脈拍を読み上げ,院長が吸入麻酔の量を指示しながら麻酔をコントロールしていたものである.もちろん特に問題の起きない手術ならこれでも安全なのであるが,手術中に動脈瘤が破れでもして出血したら途端に修羅場と化したのである.それでもなんとかやってこれたのは当時はそれが当たり前でスタッフも死に物狂いでやっていたからだと思う.
現在,そんなことはやれと言われても私にはできないだろう.手術には人手が必要である.外科医と麻酔科医がそれぞれ1人ずつの2人で手術して結果が悪かったらそれだけで即逮捕されるかもしれないのである.たとえ緊急手術であっても最低外科医2人に専従麻酔科(専門?)医1人そして輸血は考えられる限り十分に用意しないといけないことになりそうなのである.これらすべての準備が整うまで手術はできないと説明し納得してもらうか,もしくは時間がかかってもより高次の救急病院に搬送するかしないことになるかもしれない.
ちょっとニュースの話題からはそれてしまったが,もしこの院長先生が専従の麻酔科専門医でなかったとしたら現在の医療をとりまく状況を見誤ったとしか言いようがなく,なぜこの時期にわざわざリスクを犯してまで麻酔医をやったのかという疑問がぬぐえないのである.
『 -- アリセプト服用後11人死亡 海外の臨床試験で --
製薬大手エーザイ(本社東京)が海外9カ国で実施した認知症治療薬「アリセプト」(一般名・塩酸ドネペジル)の臨床試験で、服用した648人のうち11人(1・7%)が死亡していたことが、同社の発表で16日分かった。
比較のため偽薬を飲んだ対照群の326人に死亡例はなかった。同社は「死亡率は過去の同種の試験と変わらない」と説明。対照群に死者が出なかったことはまれで、薬の安全性に対する評価を変えるものではないとしている。
アリセプトは認知症のうち「アルツハイマー型」の治療薬として日本などで広く使われている。
今回の臨床試験は、脳血管障害が原因とされる別タイプの認知症に対する効果と安全性を調べるのが目的で、参加者は全員がこのタイプの患者。効果では2指標のうち認知機能のみについて、アリセプト服用者に改善がみられたという。』
アリセプトの国内での副作用報告については昨年6月24日の日記にも書いているが,これは海外での臨床試験のようだ.
問題は1.7%という数字が副作用発生率ではなく死亡率であることと,対照群に死亡例が出なかったということだろう.以前の国内での報告では推定使用患者約30万に対し副作用が8人でうち死亡1人だったからずいぶん差があるようにみえる.
厚生労働省のまとめというのは対照群を設定しておこなう厳密なものではなく,実際に臨床で使用した際の有害事象を主治医の主観に元づいて集める程度のものであるから,主治医が因果関係に気がつかなければ数字には出てこない可能性がある.
一方,今回のほうは観察期間や投与群間での合併症のばらつきなどについての情報が無いので,対照群に死亡例がない本当の理由がわからない.しかし,だからといって1.7%という数字を無視することはできない.安全性がかなり高いとはいえ,アルツハイマー病の初期というそれ自体では死亡することのない患者さんに投与する薬だからである.
統計というのはサイコロと同じで振る回数が増えればある目の出る確率は一定値に近づくはずであるが,振る人の投げ方によっても出る目を変えることは可能であるということも忘れない方がいいだろう.人の命にかかわる以上,統計のマジックに隠された手品のタネを明かすことも時には必要であろう.
血管性痴呆やすでにHDS-Rが10点以下の患者さんにまでアリセプトを投与するような医師がもし大勢いたとしたらそのうち問題になるかもしれないと密かに思っているのだがどうだろうか.
製薬大手エーザイ(本社東京)が海外9カ国で実施した認知症治療薬「アリセプト」(一般名・塩酸ドネペジル)の臨床試験で、服用した648人のうち11人(1・7%)が死亡していたことが、同社の発表で16日分かった。
比較のため偽薬を飲んだ対照群の326人に死亡例はなかった。同社は「死亡率は過去の同種の試験と変わらない」と説明。対照群に死者が出なかったことはまれで、薬の安全性に対する評価を変えるものではないとしている。
アリセプトは認知症のうち「アルツハイマー型」の治療薬として日本などで広く使われている。
今回の臨床試験は、脳血管障害が原因とされる別タイプの認知症に対する効果と安全性を調べるのが目的で、参加者は全員がこのタイプの患者。効果では2指標のうち認知機能のみについて、アリセプト服用者に改善がみられたという。』
アリセプトの国内での副作用報告については昨年6月24日の日記にも書いているが,これは海外での臨床試験のようだ.
問題は1.7%という数字が副作用発生率ではなく死亡率であることと,対照群に死亡例が出なかったということだろう.以前の国内での報告では推定使用患者約30万に対し副作用が8人でうち死亡1人だったからずいぶん差があるようにみえる.
厚生労働省のまとめというのは対照群を設定しておこなう厳密なものではなく,実際に臨床で使用した際の有害事象を主治医の主観に元づいて集める程度のものであるから,主治医が因果関係に気がつかなければ数字には出てこない可能性がある.
一方,今回のほうは観察期間や投与群間での合併症のばらつきなどについての情報が無いので,対照群に死亡例がない本当の理由がわからない.しかし,だからといって1.7%という数字を無視することはできない.安全性がかなり高いとはいえ,アルツハイマー病の初期というそれ自体では死亡することのない患者さんに投与する薬だからである.
統計というのはサイコロと同じで振る回数が増えればある目の出る確率は一定値に近づくはずであるが,振る人の投げ方によっても出る目を変えることは可能であるということも忘れない方がいいだろう.人の命にかかわる以上,統計のマジックに隠された手品のタネを明かすことも時には必要であろう.
血管性痴呆やすでにHDS-Rが10点以下の患者さんにまでアリセプトを投与するような医師がもし大勢いたとしたらそのうち問題になるかもしれないと密かに思っているのだがどうだろうか.
『 -- 難しい症例で逮捕は不当 関係学会が会見で訴え --
福島県立大野病院で帝王切開を受けた女性が死亡し、医師が逮捕、起訴された医療事故で、日本産科婦人科学会(武谷雄二(たけたに・ゆうじ)理事長)と日本産婦人科医会(坂元正一(さかもと・しょういち)会長)は16日、東京都内で合同記者会見を開き、「非常に難しい症例で、適切な処置が行われたとしても救命できないこともある」として「逮捕は不当」と訴えた。
起訴状は、女性に胎盤の癒着で大量出血の可能性があり、生命の危険を未然に回避する必要があったのに医師がこれを怠った、としている。
これに対し同学会常務理事の岡井崇(おかい・たかし)・昭和大教授は「癒着胎盤はさまざまな程度があり、出血の仕方も予測できない。こういう症例に対し何が適切だと決め付けることは難しい」と指摘。「医療過誤の判定は難しく、今回のケースは専門家の9割以上が過誤ではないと言うと思う」と述べた。
また、女性の死亡を24時間以内に警察署に届けなかった医師法違反の罪にも問われていることについて、同じく学会常務理事の稲葉憲之(いなば・のりゆき)・独協医大病院長は「外科系の学会では(届ける必要のある)異状死の定義がきちんとされていない点が問題だ。(今回のケースは)病院長の判断を仰ぎ、異状死ではないとして届けなかったものだ」と指摘した。』
専門家の9割以上が過誤ではないと判定するようなことが業務上過失致死と刑事告訴されるということは医師の常識は検察には通用しないということである.民主主義の原理である多数決で判定するなら過半数の医師が過誤でないというなら免責にしなければ医療は成り立たないだろう.
被害者というのは自分が不当に扱われたと思うから被害者なのである.警察は患者の目線というが患者はすでに死亡しており,残された家族の被害感情による目線では公平性が失われるだろう.検察にしても一部の専門家の意見を聞くのではなくもっと多数の医師の普遍性のある意見を聞いて判断をするべきだったのではないだろうか.公平は判定とはそういうものだろう.
異状死の定義についても,もともと医療事故のケースなどは想定されていなかったものを勝手に拡大解釈するようなことは厳につつしむべきであろう.もともと刑法には疑わしきは罰せずというルールがあるのである.定義そのものが厳密でないものを適用して違法とするのはやはり順法精神にのっとった行為ではないだろう.
もっとも今回の一件はすでに告訴され決定権は該当裁判所に移ってしまっているわけだから,裁判所は迅速に審理を進めて公平かつ妥当な判断がなされることを期待したい.インターネットが普及したおかげで,日本中の医師がリアルタイムにことの成り行きを見守っているのである.まじめにやっている医師たちのやる気がすっかり失せてしまわないうちに早くなんとかして欲しいと思っているのはきっと私だけではないだろう.
福島県立大野病院で帝王切開を受けた女性が死亡し、医師が逮捕、起訴された医療事故で、日本産科婦人科学会(武谷雄二(たけたに・ゆうじ)理事長)と日本産婦人科医会(坂元正一(さかもと・しょういち)会長)は16日、東京都内で合同記者会見を開き、「非常に難しい症例で、適切な処置が行われたとしても救命できないこともある」として「逮捕は不当」と訴えた。
起訴状は、女性に胎盤の癒着で大量出血の可能性があり、生命の危険を未然に回避する必要があったのに医師がこれを怠った、としている。
これに対し同学会常務理事の岡井崇(おかい・たかし)・昭和大教授は「癒着胎盤はさまざまな程度があり、出血の仕方も予測できない。こういう症例に対し何が適切だと決め付けることは難しい」と指摘。「医療過誤の判定は難しく、今回のケースは専門家の9割以上が過誤ではないと言うと思う」と述べた。
また、女性の死亡を24時間以内に警察署に届けなかった医師法違反の罪にも問われていることについて、同じく学会常務理事の稲葉憲之(いなば・のりゆき)・独協医大病院長は「外科系の学会では(届ける必要のある)異状死の定義がきちんとされていない点が問題だ。(今回のケースは)病院長の判断を仰ぎ、異状死ではないとして届けなかったものだ」と指摘した。』
専門家の9割以上が過誤ではないと判定するようなことが業務上過失致死と刑事告訴されるということは医師の常識は検察には通用しないということである.民主主義の原理である多数決で判定するなら過半数の医師が過誤でないというなら免責にしなければ医療は成り立たないだろう.
被害者というのは自分が不当に扱われたと思うから被害者なのである.警察は患者の目線というが患者はすでに死亡しており,残された家族の被害感情による目線では公平性が失われるだろう.検察にしても一部の専門家の意見を聞くのではなくもっと多数の医師の普遍性のある意見を聞いて判断をするべきだったのではないだろうか.公平は判定とはそういうものだろう.
異状死の定義についても,もともと医療事故のケースなどは想定されていなかったものを勝手に拡大解釈するようなことは厳につつしむべきであろう.もともと刑法には疑わしきは罰せずというルールがあるのである.定義そのものが厳密でないものを適用して違法とするのはやはり順法精神にのっとった行為ではないだろう.
もっとも今回の一件はすでに告訴され決定権は該当裁判所に移ってしまっているわけだから,裁判所は迅速に審理を進めて公平かつ妥当な判断がなされることを期待したい.インターネットが普及したおかげで,日本中の医師がリアルタイムにことの成り行きを見守っているのである.まじめにやっている医師たちのやる気がすっかり失せてしまわないうちに早くなんとかして欲しいと思っているのはきっと私だけではないだろう.
医師が患者を疑う時代
2006年3月16日 医療の問題 コメント (3)『 -- 波紋広がる産婦人科医逮捕 過熱ぶりに疑問の声も --
1人の産婦人科医の逮捕が全国の医療現場に大きな波紋を呼んでいる。帝王切開を受けた女性=(29)=が死亡した医療事故で、福島県立大野病院の執刀医加藤克彦(かとう・かつひこ)被告(38)=保釈=が2月18日に逮捕されてから、関係学会が異例の抗議声明を出し、訴訟費用のための募金も始まった。一方で「医療は患者のためにある」と過熱ぶりに疑問を投げかける声も出ている。
加藤被告は、癒着した胎盤を無理にはがし、大量出血させたとする業務上過失致死と異状死を届けなかったとする医師法違反の2つの罪で起訴された。過去にも医療事故で医師が逮捕されたことはあったが、無謀な手術だった東京慈恵医大青戸病院事件など悪質なケースがほとんどで、異例の逮捕だった。
医療関係者は猛烈に反発。加藤被告の出身の福島県立医大産科婦人科教室が佐藤章(さとう・あきら)教授名で作成した陳情書には、全国の医師や看護師らから4日間で5000人を超える賛同の署名が集まり、逮捕2日後に県立病院院長らが集まった会議では「医師が怖がってメスを持てない」との声も上がった。
重い胎盤癒着は1万例に1例といい、佐藤教授も「胎盤癒着は、今の技術では事前には分からない。大学病院でも命の保証はできないだろう」と話す。「患者が亡くなった事実は重い。しかし逮捕は意外で納得できない」
首都圏の国立病院の外科医も「今回は医師なら誰でも治療経過にミスは無かったと思える」とする。警察への届け出について、北陸地方のある産婦人科医は「異状死の定義はあいまいで、今回のケースで届ける医師はいない」と訴える。
全国的に産科医不足が問題となる中、加藤被告も1人で地域のお産を支えていた。「逮捕でなり手不足が加速する」と県担当者。ある産婦人科医も「手を尽くしても一定の確率で起きる不幸な事例で逮捕されるなら、怖くて医療はできない。これで産科を志望する医学生がさらに減るのが怖い」と話している。
福島県は2004年12月の事故後、外部の医師らで事故調査委員会を設置、胎盤を無理にはがしたことや対応する医師の不足、輸血対応の遅れを認め遺族に謝罪した。
福島地検も「遺体もなく、身柄を確保したうえで関係者の話を聞く必要があった」とし、ある捜査幹部は「われわれは患者の目線で捜査している」と立証に自信を見せるが「こんなに感情的な反応がくるとは」と驚いている。
医師らの反発を冷静に見る医師もいる。金沢大病院が患者に無断で臨床試験をしたと内部告発した同病院産婦人科の打出喜義(うちで・きよし)講師は「自分の家族が今回と同じ形で亡くなったら、仕方なかったと言って陳情書に署名するだろうか」と話す。
打出講師は「多くの人は『逮捕は行きすぎ』と考えて署名したと思う。その点で警察には説明責任がある」とする一方「産婦人科医が少ないから仕方ないとか、応援を呼べる状態ではなかったとか、正当化しすぎている」と批判。「医者と患者の間に信頼関係があればこういうことは起こらない。信頼関係がなければ医者と患者も不幸になる」と話した。』
「医者と患者の間に信頼関係があればこういうことは起こらない。」とは以前からよく言われていることであるが,すでに患者が医師を絶対的には信頼していないのが現実なのにこんなことをいつまで唱えても意味がないということに医師達も気づいているだけなのである.だが,医師としては患者を信頼したいという気持ちを持ち続けたいというのが多くの医師の気持ちだろうと思う.医師が患者を疑うようになったらおしまいだということは医師自身よくわかっていることである.しかし,ここに来て検察という第3者が介入してくることに医師達は不安といらだちを感じているのだと思う.
医師達が医師免許という国家資格のもとに行う医療行為の適否を医療の現場に無知な検察が判断すること自体がおかしなことなのである.「われわれは患者の目線で捜査している」と立証に自信を見せるというが,それがいったいなんだというのであろうか.患者は被害者であるからその視点で見るとでもいいたいのであろうか.医師の視点で見れば予想できない困難な症例を医師であるが故に治療しなければならない立場になってしまったことが悲劇であるということになるのではないだろうか.
それなら,明らかに安全な症例以外には手を出さないのが自分のためであろう.さらには産科は危険が大きいので避けるという考えも当然ということになろう.先日も書いたが,医師は放っておけば死に至る患者さんにも生存の機会を与えるために努力しているのである.そのような危険の高い症例を失って落ち込んでいるところへ追い討ちをかけるような逮捕.しかも奥さんが妊娠中にである.同じ医師として感情的にならないほうがおかしいであろう.私たちは検察官とは違い犯罪者を追いつめるのが仕事ではない.健康上の理由で弱い立場の人たちを救うのが仕事なのである.
最後に「自分の家族が今回と同じ形で亡くなったら、仕方なかったと言って陳情書に署名するだろうか」ということであるが,自分の妻が同じ状況で命を落としたとしても検察が起訴するというなら,私は陳情書に署名するだろう.少なくとも児だけでも助けてくれたのなら同じ外科系医師としては感謝すべきであるから同情を禁じえないのである.
1人の産婦人科医の逮捕が全国の医療現場に大きな波紋を呼んでいる。帝王切開を受けた女性=(29)=が死亡した医療事故で、福島県立大野病院の執刀医加藤克彦(かとう・かつひこ)被告(38)=保釈=が2月18日に逮捕されてから、関係学会が異例の抗議声明を出し、訴訟費用のための募金も始まった。一方で「医療は患者のためにある」と過熱ぶりに疑問を投げかける声も出ている。
加藤被告は、癒着した胎盤を無理にはがし、大量出血させたとする業務上過失致死と異状死を届けなかったとする医師法違反の2つの罪で起訴された。過去にも医療事故で医師が逮捕されたことはあったが、無謀な手術だった東京慈恵医大青戸病院事件など悪質なケースがほとんどで、異例の逮捕だった。
医療関係者は猛烈に反発。加藤被告の出身の福島県立医大産科婦人科教室が佐藤章(さとう・あきら)教授名で作成した陳情書には、全国の医師や看護師らから4日間で5000人を超える賛同の署名が集まり、逮捕2日後に県立病院院長らが集まった会議では「医師が怖がってメスを持てない」との声も上がった。
重い胎盤癒着は1万例に1例といい、佐藤教授も「胎盤癒着は、今の技術では事前には分からない。大学病院でも命の保証はできないだろう」と話す。「患者が亡くなった事実は重い。しかし逮捕は意外で納得できない」
首都圏の国立病院の外科医も「今回は医師なら誰でも治療経過にミスは無かったと思える」とする。警察への届け出について、北陸地方のある産婦人科医は「異状死の定義はあいまいで、今回のケースで届ける医師はいない」と訴える。
全国的に産科医不足が問題となる中、加藤被告も1人で地域のお産を支えていた。「逮捕でなり手不足が加速する」と県担当者。ある産婦人科医も「手を尽くしても一定の確率で起きる不幸な事例で逮捕されるなら、怖くて医療はできない。これで産科を志望する医学生がさらに減るのが怖い」と話している。
福島県は2004年12月の事故後、外部の医師らで事故調査委員会を設置、胎盤を無理にはがしたことや対応する医師の不足、輸血対応の遅れを認め遺族に謝罪した。
福島地検も「遺体もなく、身柄を確保したうえで関係者の話を聞く必要があった」とし、ある捜査幹部は「われわれは患者の目線で捜査している」と立証に自信を見せるが「こんなに感情的な反応がくるとは」と驚いている。
医師らの反発を冷静に見る医師もいる。金沢大病院が患者に無断で臨床試験をしたと内部告発した同病院産婦人科の打出喜義(うちで・きよし)講師は「自分の家族が今回と同じ形で亡くなったら、仕方なかったと言って陳情書に署名するだろうか」と話す。
打出講師は「多くの人は『逮捕は行きすぎ』と考えて署名したと思う。その点で警察には説明責任がある」とする一方「産婦人科医が少ないから仕方ないとか、応援を呼べる状態ではなかったとか、正当化しすぎている」と批判。「医者と患者の間に信頼関係があればこういうことは起こらない。信頼関係がなければ医者と患者も不幸になる」と話した。』
「医者と患者の間に信頼関係があればこういうことは起こらない。」とは以前からよく言われていることであるが,すでに患者が医師を絶対的には信頼していないのが現実なのにこんなことをいつまで唱えても意味がないということに医師達も気づいているだけなのである.だが,医師としては患者を信頼したいという気持ちを持ち続けたいというのが多くの医師の気持ちだろうと思う.医師が患者を疑うようになったらおしまいだということは医師自身よくわかっていることである.しかし,ここに来て検察という第3者が介入してくることに医師達は不安といらだちを感じているのだと思う.
医師達が医師免許という国家資格のもとに行う医療行為の適否を医療の現場に無知な検察が判断すること自体がおかしなことなのである.「われわれは患者の目線で捜査している」と立証に自信を見せるというが,それがいったいなんだというのであろうか.患者は被害者であるからその視点で見るとでもいいたいのであろうか.医師の視点で見れば予想できない困難な症例を医師であるが故に治療しなければならない立場になってしまったことが悲劇であるということになるのではないだろうか.
それなら,明らかに安全な症例以外には手を出さないのが自分のためであろう.さらには産科は危険が大きいので避けるという考えも当然ということになろう.先日も書いたが,医師は放っておけば死に至る患者さんにも生存の機会を与えるために努力しているのである.そのような危険の高い症例を失って落ち込んでいるところへ追い討ちをかけるような逮捕.しかも奥さんが妊娠中にである.同じ医師として感情的にならないほうがおかしいであろう.私たちは検察官とは違い犯罪者を追いつめるのが仕事ではない.健康上の理由で弱い立場の人たちを救うのが仕事なのである.
最後に「自分の家族が今回と同じ形で亡くなったら、仕方なかったと言って陳情書に署名するだろうか」ということであるが,自分の妻が同じ状況で命を落としたとしても検察が起訴するというなら,私は陳情書に署名するだろう.少なくとも児だけでも助けてくれたのなら同じ外科系医師としては感謝すべきであるから同情を禁じえないのである.
『 -- 保険医団体も抗議 福島の産婦人科医起訴で --
福島県立大野病院の産婦人科医が業務上過失致死と医師法違反の罪で起訴された事件で、全国保険医団体連合会は14日、「逮捕、起訴は不当」などとする抗議声明を出した。
声明は、事故発生から1年以上経過してからの逮捕を「逃亡や証拠隠滅が想定されず異常」と批判。また、事件の背景に産婦人科医不足など構造的な問題があると指摘、「一産婦人科医の責任に矮小(わいしょう)化することは許されない」としている。
事件をめぐり、日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会も同様の声明を発表。医学界に波紋が広がっている。』
『 -- 起訴の産婦人科医を保釈 地検の準抗告認めず --
福島地裁は14日、帝王切開手術で女性=当時(29)=を死亡させたなどとして業務上過失致死と医師法違反の罪で起訴された福島県立大野病院の産婦人科医加藤克彦(かとう・かつひこ)被告(38)の保釈を認める決定をした。
福島地検は同日、決定を不服として準抗告したが棄却され、加藤被告は保釈された。関係者によると、医療関係者と接触しないことが条件となっているという。
加藤被告は2004年12月、帝王切開の手術をした際、胎盤の癒着で大量出血する恐れがあったのに、胎盤を無理にはがして大量出血で女性を死亡させたなどとして逮捕された。
加藤被告の逮捕、起訴で、医師会などが「逮捕は不当」などと反発を強めている。』
この裁判ではいったいなにが争点になるのであろうか.「胎盤を無理にはがして大量出血で女性を死亡させた」ことだろうか,「帝王切開での異状死」なのだろうか.私はどちらも本来は起訴に値しないと思う.なぜなら,自然分娩したら児も母体も共に死亡していただろうからである.あらかじめ死亡する確率の非常に高いものを助けようとしたのに助けられなかったからといって刑法で裁かれるのではたまったものではないだろう.
少なくとも致死率が50%を超えるものについては医療行為の結果の死は免責にすべきであろう.これらの患者さんは医師が治療を拒否すれば2人に1人は死亡するのであるから.治療の原点は死亡率を下げることであり,その点からは治療の結果として助かる人がいればそれで十分だと考えられないのだろうか.医学の進歩のおかげで助かるのが当たり前のように考え違いをしていないだろうか.
医学の進歩の結果として治療の安全性は戦後から飛躍的に高まり平均寿命も延びているというのに,結果が悪いと医師個人の責任とされるのでは努力して自分で自分の首を絞めているようなものではないだろうか.人の命を助けることに誇りがもてなくなったら医師になる意味はないだろうと思う.今回,検察がやったことは医師の職業上の誇りを傷つけたという意味で医療社会に対する犯罪行為(挑発行為?)といってもいいような気がするのだがどうだろうか.
福島県立大野病院の産婦人科医が業務上過失致死と医師法違反の罪で起訴された事件で、全国保険医団体連合会は14日、「逮捕、起訴は不当」などとする抗議声明を出した。
声明は、事故発生から1年以上経過してからの逮捕を「逃亡や証拠隠滅が想定されず異常」と批判。また、事件の背景に産婦人科医不足など構造的な問題があると指摘、「一産婦人科医の責任に矮小(わいしょう)化することは許されない」としている。
事件をめぐり、日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会も同様の声明を発表。医学界に波紋が広がっている。』
『 -- 起訴の産婦人科医を保釈 地検の準抗告認めず --
福島地裁は14日、帝王切開手術で女性=当時(29)=を死亡させたなどとして業務上過失致死と医師法違反の罪で起訴された福島県立大野病院の産婦人科医加藤克彦(かとう・かつひこ)被告(38)の保釈を認める決定をした。
福島地検は同日、決定を不服として準抗告したが棄却され、加藤被告は保釈された。関係者によると、医療関係者と接触しないことが条件となっているという。
加藤被告は2004年12月、帝王切開の手術をした際、胎盤の癒着で大量出血する恐れがあったのに、胎盤を無理にはがして大量出血で女性を死亡させたなどとして逮捕された。
加藤被告の逮捕、起訴で、医師会などが「逮捕は不当」などと反発を強めている。』
この裁判ではいったいなにが争点になるのであろうか.「胎盤を無理にはがして大量出血で女性を死亡させた」ことだろうか,「帝王切開での異状死」なのだろうか.私はどちらも本来は起訴に値しないと思う.なぜなら,自然分娩したら児も母体も共に死亡していただろうからである.あらかじめ死亡する確率の非常に高いものを助けようとしたのに助けられなかったからといって刑法で裁かれるのではたまったものではないだろう.
少なくとも致死率が50%を超えるものについては医療行為の結果の死は免責にすべきであろう.これらの患者さんは医師が治療を拒否すれば2人に1人は死亡するのであるから.治療の原点は死亡率を下げることであり,その点からは治療の結果として助かる人がいればそれで十分だと考えられないのだろうか.医学の進歩のおかげで助かるのが当たり前のように考え違いをしていないだろうか.
医学の進歩の結果として治療の安全性は戦後から飛躍的に高まり平均寿命も延びているというのに,結果が悪いと医師個人の責任とされるのでは努力して自分で自分の首を絞めているようなものではないだろうか.人の命を助けることに誇りがもてなくなったら医師になる意味はないだろうと思う.今回,検察がやったことは医師の職業上の誇りを傷つけたという意味で医療社会に対する犯罪行為(挑発行為?)といってもいいような気がするのだがどうだろうか.
医師はもう信用しない
2006年3月13日 医療の問題 コメント (3)『 -- 帝王切開の執刀医を起訴 福島県立病院医療事故で --
福島県大熊町の福島県立大野病院で2004年、帝王切開した女性=当時(29)=が死亡した医療事故で、福島地検は10日、業務上過失致死と医師法違反の罪で、執刀した医師加藤克彦(かとう・かつひこ)容疑者(38)=同県大熊町=を起訴した。
起訴状などによると、加藤被告は04年12月17日、帝王切開の手術を執刀した際、胎盤の癒着で大量出血する可能性があり、生命の危険を未然に回避する必要があったにもかかわらず、癒着した胎盤を漫然とはがし大量出血で福島県楢葉町の女性を死亡させた。また女性の死体検案を24時間以内に警察署に届けなかった。
日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会は、加藤被告の起訴について「術前診断が難しく、治療の難度が最も高い事例で対応が極めて困難。産婦人科医不足という現在の医療体制の問題点に根差しており、医師個人の責任を追及するにはそぐわない部分がある」との声明を発表。
加藤被告の逮捕に反発し、インターネットで情報交換している医師グループの1人も「加藤医師に過失はなく起訴は不当」としている。』
医師はもう司法の大岡裁きを待つしかないのだろうか.一連の経過や産婦人科医たちのコメントを聞いたところでは,なにもわかっていない警察の不当逮捕と医療の現場が理解できない検察のピントはずれな起訴という評価しかできない.
起訴された以上は司法の判断を待つしかないだろうが,無知ゆえに社会への影響を考えることのできない一部の人たちのためにどれほどの妊婦さんや外科の患者さんたちが不利益を被るのかは想像できない.結果が悪ければ医学的に不可避と思えるような事態であっても,刑事告訴は免れないだけでなく逮捕もされるという現実が今回の一件で明らかになったわけである.
これでは合併症のリスクの高い手術や救命率の低い処置はすべて避けるようになるのが賢い医師の選択ということになるだろう.一定の確率で不測の事態に陥ることがわかっている外科医であればこそ,検察が仕掛けた地雷原の中にわざわざ目隠しで入り込むようなまねはしないだろう.そんなことをしていたら命がいくつあっても足りないからである.逮捕されてしまえばたとえ何年後かに裁判で勝ったとしても外科医としての生命は終わってしまうのである.
インフォームドコンセントの際にリスクの説明をしても本当にその意味を理解できる家族は実際には非常に少ないし,救命救急の場では十分に説明している時間もないのが現実である.結果が悪ければ今回のようにリスクを十分に説明してもらえなかったとかそんなに危険なものとは思わなかったとか言い出す家族は必ずいると思ったほうがいいだろうし,そういう家族がいれば警察そして検察も動くであろうことは容易に想像ができる.
自分が医の倫理にしたがってできるだけのことをやっていれば逮捕されたり訴えられたりしないと自信を持って言える医師がいたとすればきっとリスクの高い患者はみんなその医師のところに紹介されてくることになるだろう.医師法にはより適切な治療のできるところに患者を移すのは医師の義務であると書かれている.紹介しないで結果が悪ければ解釈次第で医師法違反で逮捕することも可能なのである.
後ろ向きな発言はしたくはないが,今回の逮捕劇にはこういった疑心暗鬼を医師に抱かせるに十分な要素が含まれていると思われる.臨床をちゃんとやってない医師や医師でない人たちにはこの異常な事態がきっと十分に理解できないのだろう.現在でも「患者が医者を信用しない」というお寒い状況のようだが,これからは「医者も患者を信用しない」とか「逮捕が怖いから治療しない」という医療の氷河期がくるかも知れないと言ったら少しはわかりやすいだろうか.
福島県大熊町の福島県立大野病院で2004年、帝王切開した女性=当時(29)=が死亡した医療事故で、福島地検は10日、業務上過失致死と医師法違反の罪で、執刀した医師加藤克彦(かとう・かつひこ)容疑者(38)=同県大熊町=を起訴した。
起訴状などによると、加藤被告は04年12月17日、帝王切開の手術を執刀した際、胎盤の癒着で大量出血する可能性があり、生命の危険を未然に回避する必要があったにもかかわらず、癒着した胎盤を漫然とはがし大量出血で福島県楢葉町の女性を死亡させた。また女性の死体検案を24時間以内に警察署に届けなかった。
日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会は、加藤被告の起訴について「術前診断が難しく、治療の難度が最も高い事例で対応が極めて困難。産婦人科医不足という現在の医療体制の問題点に根差しており、医師個人の責任を追及するにはそぐわない部分がある」との声明を発表。
加藤被告の逮捕に反発し、インターネットで情報交換している医師グループの1人も「加藤医師に過失はなく起訴は不当」としている。』
医師はもう司法の大岡裁きを待つしかないのだろうか.一連の経過や産婦人科医たちのコメントを聞いたところでは,なにもわかっていない警察の不当逮捕と医療の現場が理解できない検察のピントはずれな起訴という評価しかできない.
起訴された以上は司法の判断を待つしかないだろうが,無知ゆえに社会への影響を考えることのできない一部の人たちのためにどれほどの妊婦さんや外科の患者さんたちが不利益を被るのかは想像できない.結果が悪ければ医学的に不可避と思えるような事態であっても,刑事告訴は免れないだけでなく逮捕もされるという現実が今回の一件で明らかになったわけである.
これでは合併症のリスクの高い手術や救命率の低い処置はすべて避けるようになるのが賢い医師の選択ということになるだろう.一定の確率で不測の事態に陥ることがわかっている外科医であればこそ,検察が仕掛けた地雷原の中にわざわざ目隠しで入り込むようなまねはしないだろう.そんなことをしていたら命がいくつあっても足りないからである.逮捕されてしまえばたとえ何年後かに裁判で勝ったとしても外科医としての生命は終わってしまうのである.
インフォームドコンセントの際にリスクの説明をしても本当にその意味を理解できる家族は実際には非常に少ないし,救命救急の場では十分に説明している時間もないのが現実である.結果が悪ければ今回のようにリスクを十分に説明してもらえなかったとかそんなに危険なものとは思わなかったとか言い出す家族は必ずいると思ったほうがいいだろうし,そういう家族がいれば警察そして検察も動くであろうことは容易に想像ができる.
自分が医の倫理にしたがってできるだけのことをやっていれば逮捕されたり訴えられたりしないと自信を持って言える医師がいたとすればきっとリスクの高い患者はみんなその医師のところに紹介されてくることになるだろう.医師法にはより適切な治療のできるところに患者を移すのは医師の義務であると書かれている.紹介しないで結果が悪ければ解釈次第で医師法違反で逮捕することも可能なのである.
後ろ向きな発言はしたくはないが,今回の逮捕劇にはこういった疑心暗鬼を医師に抱かせるに十分な要素が含まれていると思われる.臨床をちゃんとやってない医師や医師でない人たちにはこの異常な事態がきっと十分に理解できないのだろう.現在でも「患者が医者を信用しない」というお寒い状況のようだが,これからは「医者も患者を信用しない」とか「逮捕が怖いから治療しない」という医療の氷河期がくるかも知れないと言ったら少しはわかりやすいだろうか.
『 -- あわや医療事故9万1000件 05年上半期250機関調査 看護師不足背景に --
一歩間違えば医療事故になりかねない「ヒヤリハット」事例が、調査対象となった全国の250医療機関で、2005年1-6月の半年間に9万1000件あったことが8日、日本医療機能評価機構のまとめで分かった。
また、医療事故の報告が義務付けられている旧国立や大学などの272病院で、05年の1年間に1114件の医療事故が発生、うち143人が死亡、159人に障害が残る可能性が高いことも判明した。
全国には38万余りの医療機関があり、ヒヤリハット事例は相当数にのぼるとみられる。同機構は「重大な事故の背景には『ヒヤリ』や『ハッ』が隠れている。未然に防げるものもあり、医療機関は他山の石として1つでも医療事故を減らすよう努力してほしい」としている。
同機構の報告書によると、最も多かったのは「薬の処方」で27%。次いで「チューブ類の使用」が16%、「入浴・食事・移動など」が13%。手術中は2%だった。
看護師がガーゼの枚数不足を指摘したが、医師が無視し、後に患者の腹部からガーゼが見つかったり、名前の似た痛風と狭心症の薬を取り違えて患者に渡したりしたケースもあった。
当事者別では看護師が80%、医師が4%。原因別では「確認や観察が不十分」が40%を占めた。「多忙だった」「夜勤・当直だった」を理由に挙げた人も多く、看護師不足が事故と隣り合わせの状況を生んでいる実態が浮かび上がった。
また、医療事故は「手術や診療中」に起きた事例が30%と最も多く、次いで「入浴や食事など」の際が23%だった。ヒヤリハット事例と同様に確認や観察を怠ったのが原因となったケースが目立った。』
まず目に付くのは「あわや医療事故」というセンセーショナルなタイトルである.医療従事者であればヒヤリハットレポートくらいだれでも知っている.そしてこれは事故報告書とは目的も違うことも知っているだろう.医療現場の感覚ではヒヤリハットレポートは通常業務であり自分たちの仕事の手順やマニュアルを確認し改善していくためのものと考えたほうがいいだろう.
確かに中には重大事故につながる可能性のあるものもあるのだが,すべてが医療事故になるというほど重大なミスというわけでもない.医療機器の故障から病院施設の問題まですべてを含んだものである.頻度としてはやはり誤薬が圧倒的に多いのはどこの施設も同じであろう.この場合の薬とは内服薬だけでなく注射薬や点滴を含めての話である.ガーゼの枚数不足の指摘を医師が無視してあとで患者の腹部からガーゼが見つかるなんていうのはヒヤリハット事例ではないだろう.
原因別で「確認や観察が不十分」はわかるが,「多忙だった」「夜勤・当直だった」というのはどうなんだろうか.これをすぐに「看護師不足が事故と隣り合わせの状況を生んでいる実態」という結論に結びつけるのはちょっと勇み足だろうと思う.実際,誤薬なんていうのは暇な病棟でも忙しい病棟でも起きるものである.忙しいだろうからと2人で手分けをして薬を配ったら同じ患者さんに2人で重複して配り,患者さんが気づかず服用してしまったなんていうこともあった.信じられないけれども2人で確認して2人とも誤認することなんて珍しくないのだから.
医療事故対策委員会というのがどこの病院にもあって私も委員や委員長をやってきているが,それほど珍しいヒヤリハット事例にはめったにお目にかかることはない.人的原因のほとんどは経験年数が少なければ知識不足や経験不足であり,経験年数が上がると慣れからくる確認不足や注意不足などである.これらは人間がやる以上は一定の確率で起こるものなのであろう.
私はヒヤリハット事例は予防しようがないとか言うつもりはない.中には重大事故につながる可能性があり,また未然に防げるものもあるだろうからヒヤリハットレポートは業務として重要であると思っている.むしろこれを材料に安易に看護師不足や医療事故と関連づけられてしまうと,医療に対する不信感がさらに増えるばかりで本来の意味が失われるような気がするのだがどうだろうか.
一歩間違えば医療事故になりかねない「ヒヤリハット」事例が、調査対象となった全国の250医療機関で、2005年1-6月の半年間に9万1000件あったことが8日、日本医療機能評価機構のまとめで分かった。
また、医療事故の報告が義務付けられている旧国立や大学などの272病院で、05年の1年間に1114件の医療事故が発生、うち143人が死亡、159人に障害が残る可能性が高いことも判明した。
全国には38万余りの医療機関があり、ヒヤリハット事例は相当数にのぼるとみられる。同機構は「重大な事故の背景には『ヒヤリ』や『ハッ』が隠れている。未然に防げるものもあり、医療機関は他山の石として1つでも医療事故を減らすよう努力してほしい」としている。
同機構の報告書によると、最も多かったのは「薬の処方」で27%。次いで「チューブ類の使用」が16%、「入浴・食事・移動など」が13%。手術中は2%だった。
看護師がガーゼの枚数不足を指摘したが、医師が無視し、後に患者の腹部からガーゼが見つかったり、名前の似た痛風と狭心症の薬を取り違えて患者に渡したりしたケースもあった。
当事者別では看護師が80%、医師が4%。原因別では「確認や観察が不十分」が40%を占めた。「多忙だった」「夜勤・当直だった」を理由に挙げた人も多く、看護師不足が事故と隣り合わせの状況を生んでいる実態が浮かび上がった。
また、医療事故は「手術や診療中」に起きた事例が30%と最も多く、次いで「入浴や食事など」の際が23%だった。ヒヤリハット事例と同様に確認や観察を怠ったのが原因となったケースが目立った。』
まず目に付くのは「あわや医療事故」というセンセーショナルなタイトルである.医療従事者であればヒヤリハットレポートくらいだれでも知っている.そしてこれは事故報告書とは目的も違うことも知っているだろう.医療現場の感覚ではヒヤリハットレポートは通常業務であり自分たちの仕事の手順やマニュアルを確認し改善していくためのものと考えたほうがいいだろう.
確かに中には重大事故につながる可能性のあるものもあるのだが,すべてが医療事故になるというほど重大なミスというわけでもない.医療機器の故障から病院施設の問題まですべてを含んだものである.頻度としてはやはり誤薬が圧倒的に多いのはどこの施設も同じであろう.この場合の薬とは内服薬だけでなく注射薬や点滴を含めての話である.ガーゼの枚数不足の指摘を医師が無視してあとで患者の腹部からガーゼが見つかるなんていうのはヒヤリハット事例ではないだろう.
原因別で「確認や観察が不十分」はわかるが,「多忙だった」「夜勤・当直だった」というのはどうなんだろうか.これをすぐに「看護師不足が事故と隣り合わせの状況を生んでいる実態」という結論に結びつけるのはちょっと勇み足だろうと思う.実際,誤薬なんていうのは暇な病棟でも忙しい病棟でも起きるものである.忙しいだろうからと2人で手分けをして薬を配ったら同じ患者さんに2人で重複して配り,患者さんが気づかず服用してしまったなんていうこともあった.信じられないけれども2人で確認して2人とも誤認することなんて珍しくないのだから.
医療事故対策委員会というのがどこの病院にもあって私も委員や委員長をやってきているが,それほど珍しいヒヤリハット事例にはめったにお目にかかることはない.人的原因のほとんどは経験年数が少なければ知識不足や経験不足であり,経験年数が上がると慣れからくる確認不足や注意不足などである.これらは人間がやる以上は一定の確率で起こるものなのであろう.
私はヒヤリハット事例は予防しようがないとか言うつもりはない.中には重大事故につながる可能性があり,また未然に防げるものもあるだろうからヒヤリハットレポートは業務として重要であると思っている.むしろこれを材料に安易に看護師不足や医療事故と関連づけられてしまうと,医療に対する不信感がさらに増えるばかりで本来の意味が失われるような気がするのだがどうだろうか.
データのリスクマネジメント
2006年3月8日 医療の問題 コメント (2)『 -- 共同データセンターに補助 電子カルテ普及で厚労省 --
厚生労働省は、コンピューターでカルテを作ったり保存できる電子カルテを利用した地域医療ネットワークの拡大に向け、2006年度から都道府県が設立し運営する「共同利用型データセンター」に対する補助事業を始める。
同省はセンターを設立する都道府県に、基本システム導入費用の半額を補助。ネットワークに加入する医療機関は、患者の診療情報を入力した電子カルテをセンターに保管したり、センター経由で他の医療機関にデータを送ったり、共有もできる。センターを共同利用することで、電子カルテ普及率が低い中小病院や診療所のコストを軽減、加入しやすくする。
地域医療ネットワーク整備への補助事業は02年度に始まり、05年度までに計18地域の病院、医師会などが対象となった。06年度予算案は病院向けと合わせ約2億3000万円で、今後、細部を詰めた上で公募する。
電子カルテを使うと、患者が診療所の紹介で病院に行く際、それまでの治療内容をスムーズに伝えることができる。患者が主治医以外の医師に助言を求めるセカンド・オピニオンを得る場合にも役立つ。
厚労省の調査によると、病院の電子カルテ普及率は02年の1・2%(うちベッド数400床以上の大病院は2・5%)から上昇しているが、04年はまだ3・7%(同11・7%)にとどまっている。』
診療報酬請求(レセプト)をデジタル化して不正請求のチェックをやりやすくするところまではわからないでもないが,電子カルテ化とそのデータをセンターで管理する意図はなんなのだろうか.電子カルテといってもカルテの記載事項が各科で標準化されたりするわけではないから中身はブログと大差はないものになるだろう.カルテとは診療録つまり診療日誌なのだから.
紙資源の節約のためにも記録の電子化には賛成であるが,どうもこの共同データセンターというのが胡散臭いのである.そもそも各病院管理の個人データであるカルテを集中させる必要はどこにあるのだろうか.導入コストが本当に安くなるのだろうか.天下り先の大手コンピュータメーカーの利益のためなのではないだろうかと疑いたくもなる.
データのセキュリティや災害時のことを考えてもデータセンターに集中させるのはあまりよい方法とは思えない.それこそWinnyのようなP2Pの分散型ネットワークの方がいいのではないだろうか.それとデータの暗号化も必須だろう.データセンターの職員がデータを横流しする可能性だってあるのだから.主治医と患者本人のキーコードがないと読めないくらいは当たり前だろう.
厚生労働省はちゃんと考えているのだろうか.誰がどんな病気で病院にかかっているかなんていう情報に簡単にアクセスできるなんていうのは気味が悪くないのだろうか.
厚生労働省は、コンピューターでカルテを作ったり保存できる電子カルテを利用した地域医療ネットワークの拡大に向け、2006年度から都道府県が設立し運営する「共同利用型データセンター」に対する補助事業を始める。
同省はセンターを設立する都道府県に、基本システム導入費用の半額を補助。ネットワークに加入する医療機関は、患者の診療情報を入力した電子カルテをセンターに保管したり、センター経由で他の医療機関にデータを送ったり、共有もできる。センターを共同利用することで、電子カルテ普及率が低い中小病院や診療所のコストを軽減、加入しやすくする。
地域医療ネットワーク整備への補助事業は02年度に始まり、05年度までに計18地域の病院、医師会などが対象となった。06年度予算案は病院向けと合わせ約2億3000万円で、今後、細部を詰めた上で公募する。
電子カルテを使うと、患者が診療所の紹介で病院に行く際、それまでの治療内容をスムーズに伝えることができる。患者が主治医以外の医師に助言を求めるセカンド・オピニオンを得る場合にも役立つ。
厚労省の調査によると、病院の電子カルテ普及率は02年の1・2%(うちベッド数400床以上の大病院は2・5%)から上昇しているが、04年はまだ3・7%(同11・7%)にとどまっている。』
診療報酬請求(レセプト)をデジタル化して不正請求のチェックをやりやすくするところまではわからないでもないが,電子カルテ化とそのデータをセンターで管理する意図はなんなのだろうか.電子カルテといってもカルテの記載事項が各科で標準化されたりするわけではないから中身はブログと大差はないものになるだろう.カルテとは診療録つまり診療日誌なのだから.
紙資源の節約のためにも記録の電子化には賛成であるが,どうもこの共同データセンターというのが胡散臭いのである.そもそも各病院管理の個人データであるカルテを集中させる必要はどこにあるのだろうか.導入コストが本当に安くなるのだろうか.天下り先の大手コンピュータメーカーの利益のためなのではないだろうかと疑いたくもなる.
データのセキュリティや災害時のことを考えてもデータセンターに集中させるのはあまりよい方法とは思えない.それこそWinnyのようなP2Pの分散型ネットワークの方がいいのではないだろうか.それとデータの暗号化も必須だろう.データセンターの職員がデータを横流しする可能性だってあるのだから.主治医と患者本人のキーコードがないと読めないくらいは当たり前だろう.
厚生労働省はちゃんと考えているのだろうか.誰がどんな病気で病院にかかっているかなんていう情報に簡単にアクセスできるなんていうのは気味が悪くないのだろうか.
『 -- 認知症も精神病床で 厚労省、診療報酬手厚く --
厚生労働省は、4月の診療報酬改定で、精神病床に重度の認知症患者が入院した場合の報酬を手厚くし、受け入れ態勢を強化する。約76万人が介護施設に入所している認知症高齢者は、2002年で約149万人とされるが、15年には250万人に増えると見込まれ、受け皿を確保するのが狙い。ただ精神病床は介護態勢が十分とは言えず、生活の質の問題など課題もある。
診療報酬改定では、精神病床で重度の認知症患者を受け入れた場合、3カ月までに限って報酬を加算。急性期を中心に積極的に重度の認知症患者を受け入れる仕組みを導入した。
同省は「問題行動が激しいなど急性期の治療を手厚くするため」としている。
国は12年度をめどに、約7万人とされる退院可能な精神病床の社会的入院の解消を計画しており、その空きベッドなどが利用される見通しだ。
厚労省によると、精神病床の入院患者のうちアルツハイマー病など認知症の人の割合は約14%。ただ、治療が目的となるため、特別養護老人ホームやグループホームなどの介護施設と比べ、生活の場としての環境は整っていない。
精神医療関係者からは「介護施設と精神病床にいる認知症の人の症状にはっきりした区別はない。どこに入るかで、生活環境に大きな差が出ることになる」との指摘もある。』
精神科の先生方は歓迎するかどうかはわからないが,精神病床の社会的入院の解消で減収になる病院の院長や理事長たちは少し喜んだかもしれない.もっとも厚生労働省のいつもの思いつき策だからまたいつ撤回されるかはわかったものではない.
ただ,市中病院や在宅で認知症の患者を抱えている医師にとってみれば精神科に紹介しやすくなることはいい話なのかもしれない.だが,患者さんや家族にとっていい話になるのかどうかはなってみなければわからないだろう.
診療報酬を手厚くなんていうと聞こえはいいが,この手の診療報酬改定は厚生労働省の思惑どおりに事を運ぶための策にすぎないことが多く,そういう策が奏功したためしはないような気がする.ちょっと思いつくとやってみてダメなら撤回というのが今までのやり方で,今回もまた同じ愚行を繰り返しているように見えるのだがどうだろうか.
診療報酬というのは医療行為に対する対価を決めるものであって,等価な医療行為に対する報酬は同じでなければならないはずである.最近の厚生労働省はこれを医療機関への影響力の行使のためにもっぱら用いているようであるが,これが医療を歪めている元凶ではないだろうか.
医師は鼻先のにんじんのために走る馬だとでも言いたいのだろうか.
厚生労働省は、4月の診療報酬改定で、精神病床に重度の認知症患者が入院した場合の報酬を手厚くし、受け入れ態勢を強化する。約76万人が介護施設に入所している認知症高齢者は、2002年で約149万人とされるが、15年には250万人に増えると見込まれ、受け皿を確保するのが狙い。ただ精神病床は介護態勢が十分とは言えず、生活の質の問題など課題もある。
診療報酬改定では、精神病床で重度の認知症患者を受け入れた場合、3カ月までに限って報酬を加算。急性期を中心に積極的に重度の認知症患者を受け入れる仕組みを導入した。
同省は「問題行動が激しいなど急性期の治療を手厚くするため」としている。
国は12年度をめどに、約7万人とされる退院可能な精神病床の社会的入院の解消を計画しており、その空きベッドなどが利用される見通しだ。
厚労省によると、精神病床の入院患者のうちアルツハイマー病など認知症の人の割合は約14%。ただ、治療が目的となるため、特別養護老人ホームやグループホームなどの介護施設と比べ、生活の場としての環境は整っていない。
精神医療関係者からは「介護施設と精神病床にいる認知症の人の症状にはっきりした区別はない。どこに入るかで、生活環境に大きな差が出ることになる」との指摘もある。』
精神科の先生方は歓迎するかどうかはわからないが,精神病床の社会的入院の解消で減収になる病院の院長や理事長たちは少し喜んだかもしれない.もっとも厚生労働省のいつもの思いつき策だからまたいつ撤回されるかはわかったものではない.
ただ,市中病院や在宅で認知症の患者を抱えている医師にとってみれば精神科に紹介しやすくなることはいい話なのかもしれない.だが,患者さんや家族にとっていい話になるのかどうかはなってみなければわからないだろう.
診療報酬を手厚くなんていうと聞こえはいいが,この手の診療報酬改定は厚生労働省の思惑どおりに事を運ぶための策にすぎないことが多く,そういう策が奏功したためしはないような気がする.ちょっと思いつくとやってみてダメなら撤回というのが今までのやり方で,今回もまた同じ愚行を繰り返しているように見えるのだがどうだろうか.
診療報酬というのは医療行為に対する対価を決めるものであって,等価な医療行為に対する報酬は同じでなければならないはずである.最近の厚生労働省はこれを医療機関への影響力の行使のためにもっぱら用いているようであるが,これが医療を歪めている元凶ではないだろうか.
医師は鼻先のにんじんのために走る馬だとでも言いたいのだろうか.
アカデミック・ハラスメント
2006年3月6日 医療の問題 コメント (1)『 -- ヒトクローン胚研究、女性研究者からの卵子提供を禁止 --
ヒトクローン胚(はい)研究の指針作りを進めている文部科学省は、胚の作製や利用にあたる研究チームが、チーム内の女性や研究者の親族の女性から卵子提供を受けるのを禁止する方針を固めた。6日の同省科学技術・学術審議会の作業部会で決定する。
研究に必要な卵子の確保は、ボランティアで提供してくれる人は少なく、非常に難しいのが実情だ。このため、上司の研究者が、部下の女性研究者に卵子の提供を強要する“アカデミック・ハラスメント”が起こる恐れがある。
実際、ヒトクローン胚由来のES細胞の論文をねつ造した韓国ソウル大の黄禹錫(ファン・ウソク)教授は、研究チームの女性研究者から卵子提供を受け、倫理的問題が指摘されていた。作業部会はそれを教訓にした。
指針では、研究チームに属する女性研究者からの卵子提供は全面的に禁止する。男性研究者の妻や女性親族なども禁止するが、どこまでを禁止の対象とするかは今後検討する。』
アカデミック・ハラスメントとは研究教育の場における権力を利用した嫌がらせ行為で研究教育の場でのセクハラも含んだもののようである.卵子提供は女性にしかできないことであるから女性研究者からの卵子提供はセクハラの要素もかなり高い.男性研究者の妻や女性親族などを対象にすることも同様だろう.
だが,それ以上に不妊治療の女性などが対象になっているのではないかということがふと気になったのだがどうなのだろうか.どうしても治療してもらっているほうは立場が弱いので研究のためと言われると断りたくても断りにくいということはないのだろうか.
臓器移植に関しても同様のことが危惧される.2003年11月30日の日記に書いたが,「件数が伸び悩んでいる脳死臓器移植の普及を図ろうと、日本低温医学会は二十七日、札幌市内で開いたシンポジウムに医師や看護師、医薬品メーカー社員などの医療従事者約二百人を集め、率先してドナーカードを持つよう呼び掛けた。」などというのも考えようによっては踏み絵のようなものでこの業界にいる人に臓器提供を押し付けているようなものだろう.
ドナーカードに臓器提供拒否と書いていない人は提供者というのもデフォルトを賛成にすれば提供者が増えるというとんでもない期待感があるのが明らかで,あまり公正なやり方とは思えない.中国の死刑囚から日本人への臓器移植だって人権意識の低い中国ならではの方法であり売春ツアーと根っこは同じような気がする.
話をもとに戻すが,研究の結果を要求するあまり倫理観を失うのは科学者にありがちなことであるが,目的のために手段を選ばないというのはやはりあってはならないことだし,そうして得られた成果は一時的には評価されても歴史的には自ら輝きを失うに違いない.中でもライフサイエンスを研究対象とするものには強い自制心が必要だろう.
ヒトクローン胚(はい)研究の指針作りを進めている文部科学省は、胚の作製や利用にあたる研究チームが、チーム内の女性や研究者の親族の女性から卵子提供を受けるのを禁止する方針を固めた。6日の同省科学技術・学術審議会の作業部会で決定する。
研究に必要な卵子の確保は、ボランティアで提供してくれる人は少なく、非常に難しいのが実情だ。このため、上司の研究者が、部下の女性研究者に卵子の提供を強要する“アカデミック・ハラスメント”が起こる恐れがある。
実際、ヒトクローン胚由来のES細胞の論文をねつ造した韓国ソウル大の黄禹錫(ファン・ウソク)教授は、研究チームの女性研究者から卵子提供を受け、倫理的問題が指摘されていた。作業部会はそれを教訓にした。
指針では、研究チームに属する女性研究者からの卵子提供は全面的に禁止する。男性研究者の妻や女性親族なども禁止するが、どこまでを禁止の対象とするかは今後検討する。』
アカデミック・ハラスメントとは研究教育の場における権力を利用した嫌がらせ行為で研究教育の場でのセクハラも含んだもののようである.卵子提供は女性にしかできないことであるから女性研究者からの卵子提供はセクハラの要素もかなり高い.男性研究者の妻や女性親族などを対象にすることも同様だろう.
だが,それ以上に不妊治療の女性などが対象になっているのではないかということがふと気になったのだがどうなのだろうか.どうしても治療してもらっているほうは立場が弱いので研究のためと言われると断りたくても断りにくいということはないのだろうか.
臓器移植に関しても同様のことが危惧される.2003年11月30日の日記に書いたが,「件数が伸び悩んでいる脳死臓器移植の普及を図ろうと、日本低温医学会は二十七日、札幌市内で開いたシンポジウムに医師や看護師、医薬品メーカー社員などの医療従事者約二百人を集め、率先してドナーカードを持つよう呼び掛けた。」などというのも考えようによっては踏み絵のようなものでこの業界にいる人に臓器提供を押し付けているようなものだろう.
ドナーカードに臓器提供拒否と書いていない人は提供者というのもデフォルトを賛成にすれば提供者が増えるというとんでもない期待感があるのが明らかで,あまり公正なやり方とは思えない.中国の死刑囚から日本人への臓器移植だって人権意識の低い中国ならではの方法であり売春ツアーと根っこは同じような気がする.
話をもとに戻すが,研究の結果を要求するあまり倫理観を失うのは科学者にありがちなことであるが,目的のために手段を選ばないというのはやはりあってはならないことだし,そうして得られた成果は一時的には評価されても歴史的には自ら輝きを失うに違いない.中でもライフサイエンスを研究対象とするものには強い自制心が必要だろう.
『 -- 認知症で退去「問題」 国民生活センター改善要望 --
急増する有料老人ホームについて調べていた国民生活センターは3日、「終身利用」「終身介護」などと宣伝しながら、認知症や介護度の重度化などを理由に退去させることができる重要事項説明書の条項には問題がある、とする報告書をまとめ、厚生労働省に改善を要望した。
昨夏、全国1530施設にアンケート用紙を送り、785施設(51.3%)から回答を得た。
過去3年間に退去者(死亡を除く)がいるホームは82.7%。理由は「病気治療」(63.2%)「けがの治療」(17.6%)が多かったが、「大声や暴力、徘徊(はいかい)など利用者が迷惑」(9.1%)「高齢化に対応できない」(5.9%)もあった。事業者側は契約時の重要事項説明書にある「信頼関係を維持できなくなった場合」「共同生活の秩序を乱す行為があったとき」などの条項を根拠としているという。
同センターは「事業者側は契約前に、提供するサービスの内容について種類や回数を明示するとともに、介護できないケースも具体的に示す必要がある」としている。
00年の介護保険スタート後、有料老人ホームは急増。99年の303カ所から約5倍に増えた。同センターなどへの消費者相談も00年以降、約900件に上っている。 』
実はこの問題は有料老人ホームだけではない.グループホームなどに一時的に入所しても認知症が悪化して介護できなくなるケースが珍しくない.認知症の老人は生活環境を変えると症状が悪化することはよくあることなのだ.最近は高齢者が他の病気で入院中に認知症が悪化したために入院の原因となった病気が治っても自宅へ帰れなくこともある.
社会的入院といわれている中にはこのような患者さんたちも実は含まれていたのだが,療養型病床の再編によってこれからはこういった入院は難しくなるだろう.厚生労働省はこういった患者さんを自宅または介護保険施設に引き取らせるつもりなのだろうが,そう上手いくのだろうか.やはり官僚お得意の机上の空論のような気がしてならない.
私の外来にもグループホーム入所中の70歳前後の脳梗塞後遺症の男性が認知症が悪化したために女性職員に連れられて受診してきた.グループホームで手に負えないから入院させてくれとグループホームの人は言いたいらしい.だが,すでにベッドは満床だし認知症は入院しても改善するどころか悪化することが多いのである.4月からは療養病床の診療報酬区分がどのようになるのかもまだよくわからない.結局,丁重にお断りした.その直後である.施設の女性はその老人を怒鳴りつけ,追い立てながら帰っていったのである.
家族だって自宅で看てあげられないから施設に入所させているのだろう.認知症の人に罪はないだろうに,なんであんな目に遭わなければならないのだろうか.家族は知っているのだろうか.私は介護保険施設を訪問したことはないが,暗い一面を見たようでいやな思いがしたのを憶えている.老人ホームからも施設からもそして病院からも追い出された認知症の人たちはいったいどこへ流されていくのだろうか.
急増する有料老人ホームについて調べていた国民生活センターは3日、「終身利用」「終身介護」などと宣伝しながら、認知症や介護度の重度化などを理由に退去させることができる重要事項説明書の条項には問題がある、とする報告書をまとめ、厚生労働省に改善を要望した。
昨夏、全国1530施設にアンケート用紙を送り、785施設(51.3%)から回答を得た。
過去3年間に退去者(死亡を除く)がいるホームは82.7%。理由は「病気治療」(63.2%)「けがの治療」(17.6%)が多かったが、「大声や暴力、徘徊(はいかい)など利用者が迷惑」(9.1%)「高齢化に対応できない」(5.9%)もあった。事業者側は契約時の重要事項説明書にある「信頼関係を維持できなくなった場合」「共同生活の秩序を乱す行為があったとき」などの条項を根拠としているという。
同センターは「事業者側は契約前に、提供するサービスの内容について種類や回数を明示するとともに、介護できないケースも具体的に示す必要がある」としている。
00年の介護保険スタート後、有料老人ホームは急増。99年の303カ所から約5倍に増えた。同センターなどへの消費者相談も00年以降、約900件に上っている。 』
実はこの問題は有料老人ホームだけではない.グループホームなどに一時的に入所しても認知症が悪化して介護できなくなるケースが珍しくない.認知症の老人は生活環境を変えると症状が悪化することはよくあることなのだ.最近は高齢者が他の病気で入院中に認知症が悪化したために入院の原因となった病気が治っても自宅へ帰れなくこともある.
社会的入院といわれている中にはこのような患者さんたちも実は含まれていたのだが,療養型病床の再編によってこれからはこういった入院は難しくなるだろう.厚生労働省はこういった患者さんを自宅または介護保険施設に引き取らせるつもりなのだろうが,そう上手いくのだろうか.やはり官僚お得意の机上の空論のような気がしてならない.
私の外来にもグループホーム入所中の70歳前後の脳梗塞後遺症の男性が認知症が悪化したために女性職員に連れられて受診してきた.グループホームで手に負えないから入院させてくれとグループホームの人は言いたいらしい.だが,すでにベッドは満床だし認知症は入院しても改善するどころか悪化することが多いのである.4月からは療養病床の診療報酬区分がどのようになるのかもまだよくわからない.結局,丁重にお断りした.その直後である.施設の女性はその老人を怒鳴りつけ,追い立てながら帰っていったのである.
家族だって自宅で看てあげられないから施設に入所させているのだろう.認知症の人に罪はないだろうに,なんであんな目に遭わなければならないのだろうか.家族は知っているのだろうか.私は介護保険施設を訪問したことはないが,暗い一面を見たようでいやな思いがしたのを憶えている.老人ホームからも施設からもそして病院からも追い出された認知症の人たちはいったいどこへ流されていくのだろうか.
『 -- PET検診、がんの85%見落とし…がんセンター調査 --
国立がんセンター(東京)の内部調査で、画像検査PET(ペット、陽電子放射断層撮影)によるがん検診では85%のがんが見落とされていたことが分かった。
PET検診は「全身の小さながんが一度に発見できる、がん検診の切り札」と期待され、急速に広がっているが、効果に疑問符がついた形だ。
PETは、放射性物質が含まれた薬剤を注射し、がんに集まる放射線を検出してがんを発見する装置。
同センター内に設置された「がん予防・検診研究センター」では、2004年2月から1年間に、約3000人が超音波、CT、血液などの検査に加えPET検査を受け、150人にがんが見つかった。
ところが、この150人のうち、PETでがんがあると判定された人は23人(15%)しかいなかった。残りの85%は超音波、CT、内視鏡など他の方法でがんが発見されており、PETでは検出できなかった。
がんの種類別では、大腸がんが見つかった32人のうち、PETでもがんと判定された人は4人(13%)。胃がんでは22人中1人(4%)だった。
PETによる発見率が比較的高いとされる肺がんでも28人中6人(21%)、甲状腺がんで11人中4人(36%)にとどまった。
PETは1994年ごろから使われ始め、現在は100近くの医療機関が導入、多くでがん検診にも使われている。がん検診には保険がきかないため、10〜20万円程度の費用がかかる。日本核医学会の調査では、2004年9月の1か月間だけで4600人が受診した。PET検診と温泉ツアーなどをセットにした旅行企画も売り出されている。
国立がんセンターの村松幸男検診部長は「PETでは『小さながんを見つけやすい』と言われてきたが、早期がんでは他の検査に比べ検出率が低かった。PET検診の意義は小さいのではないか」と話している。
民間医療機関のがん検診では、がんのうちPETで検出されたのは64%、48%などのデータがある。国立がんセンターの超音波、CTなどを併用した検診では、がん発見率は一般の医療機関に比べ高いため、相対的にPETでの発見率が低下した可能性がある。』
PET検診なんて自由診療だから扱いとしては美容整形と同じである.だから信じる人だけ受診すればよいのだからそれでいいのではと思うのだが,そうもいかないらしい.がんがあるのにないと診断される確率が85%もあるのでは検診といえるかどうか疑問である.
「民間医療機関のがん検診では、がんのうちPETで検出されたのは64%、48%などのデータがある。」などといっても自分に都合のいいデータしか出さない施設が多いだろうから信用できない.むしろ利害の少ないがんセンターのデータの方が信憑性が高いだろう.
温泉ツアーやゴルフツアーなどの観光とのセットに惹かれてわざわざ北海道まで出かける人もいるようだが,まあ仕事を休む口実としてはいいのかもしれない.
国立がんセンター(東京)の内部調査で、画像検査PET(ペット、陽電子放射断層撮影)によるがん検診では85%のがんが見落とされていたことが分かった。
PET検診は「全身の小さながんが一度に発見できる、がん検診の切り札」と期待され、急速に広がっているが、効果に疑問符がついた形だ。
PETは、放射性物質が含まれた薬剤を注射し、がんに集まる放射線を検出してがんを発見する装置。
同センター内に設置された「がん予防・検診研究センター」では、2004年2月から1年間に、約3000人が超音波、CT、血液などの検査に加えPET検査を受け、150人にがんが見つかった。
ところが、この150人のうち、PETでがんがあると判定された人は23人(15%)しかいなかった。残りの85%は超音波、CT、内視鏡など他の方法でがんが発見されており、PETでは検出できなかった。
がんの種類別では、大腸がんが見つかった32人のうち、PETでもがんと判定された人は4人(13%)。胃がんでは22人中1人(4%)だった。
PETによる発見率が比較的高いとされる肺がんでも28人中6人(21%)、甲状腺がんで11人中4人(36%)にとどまった。
PETは1994年ごろから使われ始め、現在は100近くの医療機関が導入、多くでがん検診にも使われている。がん検診には保険がきかないため、10〜20万円程度の費用がかかる。日本核医学会の調査では、2004年9月の1か月間だけで4600人が受診した。PET検診と温泉ツアーなどをセットにした旅行企画も売り出されている。
国立がんセンターの村松幸男検診部長は「PETでは『小さながんを見つけやすい』と言われてきたが、早期がんでは他の検査に比べ検出率が低かった。PET検診の意義は小さいのではないか」と話している。
民間医療機関のがん検診では、がんのうちPETで検出されたのは64%、48%などのデータがある。国立がんセンターの超音波、CTなどを併用した検診では、がん発見率は一般の医療機関に比べ高いため、相対的にPETでの発見率が低下した可能性がある。』
PET検診なんて自由診療だから扱いとしては美容整形と同じである.だから信じる人だけ受診すればよいのだからそれでいいのではと思うのだが,そうもいかないらしい.がんがあるのにないと診断される確率が85%もあるのでは検診といえるかどうか疑問である.
「民間医療機関のがん検診では、がんのうちPETで検出されたのは64%、48%などのデータがある。」などといっても自分に都合のいいデータしか出さない施設が多いだろうから信用できない.むしろ利害の少ないがんセンターのデータの方が信憑性が高いだろう.
温泉ツアーやゴルフツアーなどの観光とのセットに惹かれてわざわざ北海道まで出かける人もいるようだが,まあ仕事を休む口実としてはいいのかもしれない.
『 -- 配偶者なし、冬が危険 脳血管・心疾患の死亡統計 --
夫や妻がいない人の冬が最も危ない-。厚生労働省が24日に発表した脳血管疾患と心疾患で死亡した人の統計から、こんな傾向が浮かび上がった。厚労省は「配偶者がいないと食生活が不規則になったり、ストレスが重くなったりするのが影響しているのではないか」と分析している。
厚労省によると、2004年の全死亡数約103万人のうち心筋梗塞(こうそく)や心不全などの心疾患は約16万人。脳梗塞(こうそく)や脳内出血などの脳血管疾患は約13万人。2疾患は循環器系疾患で、合計するとがんの32万人に匹敵する。
月別でみると、2疾患とも1月が最も多く、冬に集中。6月から9月の各月は1月の61-73%にとどまっている。冬は血管の収縮が激しい上、病状悪化の引き金になる風邪をひきやすいためで、がんに比べて季節の影響を受けている。
一方、2000年のデータで、年齢構成を考慮した死亡数(人口10万人当たり)は、心疾患では妻がいる男性が約91人なのに、未婚者は約257人、妻と死別した人は約158人だった。女性は、夫がいる人の約46人に対して、未婚者は約131人、死別した人は約84人で、男女とも配偶者がいない人の死亡率が高かった。脳血管疾患も同様の傾向がみられた。
04年の都道府県別では、男性の心疾患は青森が最も高く、愛媛、岩手が続いた。女性は愛媛、埼玉、徳島の順。脳血管疾患は、男性が青森、岩手、秋田、女性は岩手、青森、栃木の順だった。
厚労省は生活習慣病対策に重点を置き、05年からの10年間で、循環器系疾患の死亡率の25%減を目標にしている。』
『 -- 脳卒中・心筋梗塞、未婚の方が高死亡率 厚労省調査 --
結婚している人より未婚の人の方が、脳卒中や心筋梗塞(こうそく)で亡くなる可能性が高い――そんな傾向があることが厚生労働省の調査でわかった。同省は「配偶者の存在が食生活のバランスや精神面のケアにプラスに働いていることに加え、夫婦で互いの体調の異変に気付きやすく、早期受診につながりやすいためではないか」と分析している。
毎年実施している人口動態統計などをもとに分析した。厚労省は生活習慣病対策を今後の施策の柱に掲げていることもあり、死亡原因でがんに次ぐ心疾患(2位)と、くも膜下出血などの脳血管疾患(3位)について調べた。
年齢構成のばらつきを調整したうえで人口10万人当たりの死亡率(00年)を「配偶者の有無」で比べたところ、心疾患で亡くなった人は、配偶者がいる男性の90.6人に対し、未婚者は257.1人、妻と死別した人は158.4人、離別者271.7人だった。
女性も、有配偶者の死亡者46.2人に対し、未婚者131.4人、死別者83.9人、離別者94.9人。いずれも配偶者がいる人の方が、死亡率は著しく低かった。この傾向は脳血管疾患でも同じだった。
一方、都道府県別の死亡率(04年)をみると、心疾患は男性が青森103.6人で最も高く、次いで愛媛(100.9人)、岩手(97.4人)。女性は愛媛(56.3人)、埼玉(53.8人)、徳島(53.3人)の順だった。 』
同様のことを厚生労働省の資料で調べると脳血管疾患で亡くなった人の年齢調整死亡率(00年)は、配偶者がいる男性の83.3人に対し、未婚者は190.5人、妻と死別した人は139.0人、離別者206.4人だった. 女性も、有配偶者の死亡者46.4人に対し、未婚者103.8人、死別者79.0人、離別者83.2人だった.
1985年頃を境に脳血管疾患による死亡率は心疾患を下回るようになったが,最近では死亡率の低下はゆるやかになっている.面白いのは心疾患の方が脳血管疾患よりも,そして女性より男性の方が配偶者の有無による影響が強いことだろう.それも死別より離別の方が死亡率が高い.
熟年離婚なんかされると男性にとってかなり精神的な痛手が大きいということなのだろうか.女性では死別と離別でそれほど死亡率が違わないし,そもそも全死亡率が男性の半分ほどであるから,女性は循環器系疾患に対しては男性の2倍ほど強いということになるのだろうか.やはり生物学的に女性は男性よりすぐれているのだろう.配偶者との別れという精神的ストレスにも強いようだ.
20代の頃に比べ筋力や瞬発力がかなり落ちてきた自分のことを考えると,女性に比べ格段に耐久性に劣るこの体を大事に使いなんとか長持ちさせないといけないようだし,熟年離婚なんかされて脳血管疾患で寝たきりなんてことにならないようにも気をつけないといけないようだ.私も含め人生も後半戦に入った働き盛りの男性達にとってはなんとも厳しい未来が待っているようである.
夫や妻がいない人の冬が最も危ない-。厚生労働省が24日に発表した脳血管疾患と心疾患で死亡した人の統計から、こんな傾向が浮かび上がった。厚労省は「配偶者がいないと食生活が不規則になったり、ストレスが重くなったりするのが影響しているのではないか」と分析している。
厚労省によると、2004年の全死亡数約103万人のうち心筋梗塞(こうそく)や心不全などの心疾患は約16万人。脳梗塞(こうそく)や脳内出血などの脳血管疾患は約13万人。2疾患は循環器系疾患で、合計するとがんの32万人に匹敵する。
月別でみると、2疾患とも1月が最も多く、冬に集中。6月から9月の各月は1月の61-73%にとどまっている。冬は血管の収縮が激しい上、病状悪化の引き金になる風邪をひきやすいためで、がんに比べて季節の影響を受けている。
一方、2000年のデータで、年齢構成を考慮した死亡数(人口10万人当たり)は、心疾患では妻がいる男性が約91人なのに、未婚者は約257人、妻と死別した人は約158人だった。女性は、夫がいる人の約46人に対して、未婚者は約131人、死別した人は約84人で、男女とも配偶者がいない人の死亡率が高かった。脳血管疾患も同様の傾向がみられた。
04年の都道府県別では、男性の心疾患は青森が最も高く、愛媛、岩手が続いた。女性は愛媛、埼玉、徳島の順。脳血管疾患は、男性が青森、岩手、秋田、女性は岩手、青森、栃木の順だった。
厚労省は生活習慣病対策に重点を置き、05年からの10年間で、循環器系疾患の死亡率の25%減を目標にしている。』
『 -- 脳卒中・心筋梗塞、未婚の方が高死亡率 厚労省調査 --
結婚している人より未婚の人の方が、脳卒中や心筋梗塞(こうそく)で亡くなる可能性が高い――そんな傾向があることが厚生労働省の調査でわかった。同省は「配偶者の存在が食生活のバランスや精神面のケアにプラスに働いていることに加え、夫婦で互いの体調の異変に気付きやすく、早期受診につながりやすいためではないか」と分析している。
毎年実施している人口動態統計などをもとに分析した。厚労省は生活習慣病対策を今後の施策の柱に掲げていることもあり、死亡原因でがんに次ぐ心疾患(2位)と、くも膜下出血などの脳血管疾患(3位)について調べた。
年齢構成のばらつきを調整したうえで人口10万人当たりの死亡率(00年)を「配偶者の有無」で比べたところ、心疾患で亡くなった人は、配偶者がいる男性の90.6人に対し、未婚者は257.1人、妻と死別した人は158.4人、離別者271.7人だった。
女性も、有配偶者の死亡者46.2人に対し、未婚者131.4人、死別者83.9人、離別者94.9人。いずれも配偶者がいる人の方が、死亡率は著しく低かった。この傾向は脳血管疾患でも同じだった。
一方、都道府県別の死亡率(04年)をみると、心疾患は男性が青森103.6人で最も高く、次いで愛媛(100.9人)、岩手(97.4人)。女性は愛媛(56.3人)、埼玉(53.8人)、徳島(53.3人)の順だった。 』
同様のことを厚生労働省の資料で調べると脳血管疾患で亡くなった人の年齢調整死亡率(00年)は、配偶者がいる男性の83.3人に対し、未婚者は190.5人、妻と死別した人は139.0人、離別者206.4人だった. 女性も、有配偶者の死亡者46.4人に対し、未婚者103.8人、死別者79.0人、離別者83.2人だった.
1985年頃を境に脳血管疾患による死亡率は心疾患を下回るようになったが,最近では死亡率の低下はゆるやかになっている.面白いのは心疾患の方が脳血管疾患よりも,そして女性より男性の方が配偶者の有無による影響が強いことだろう.それも死別より離別の方が死亡率が高い.
熟年離婚なんかされると男性にとってかなり精神的な痛手が大きいということなのだろうか.女性では死別と離別でそれほど死亡率が違わないし,そもそも全死亡率が男性の半分ほどであるから,女性は循環器系疾患に対しては男性の2倍ほど強いということになるのだろうか.やはり生物学的に女性は男性よりすぐれているのだろう.配偶者との別れという精神的ストレスにも強いようだ.
20代の頃に比べ筋力や瞬発力がかなり落ちてきた自分のことを考えると,女性に比べ格段に耐久性に劣るこの体を大事に使いなんとか長持ちさせないといけないようだし,熟年離婚なんかされて脳血管疾患で寝たきりなんてことにならないようにも気をつけないといけないようだ.私も含め人生も後半戦に入った働き盛りの男性達にとってはなんとも厳しい未来が待っているようである.
『 -- 副作用情報、「医師から説明」27% 製薬業界団体調査 --
医師に薬を処方してもらった人の7割が副作用について説明してほしいと感じているのに、実際に医師や薬剤師から説明を受けた人は3割にとどまることが、製薬会社の業界団体の調査で分かった。「医師や薬剤師は患者の立場で説明してほしい」と話している。
調査は、製薬会社でつくる「くすりの適正使用協議会」が、昨年10月に20〜69歳の2000人を対象にファクスを送り、1607人から回答を得た。医師の処方が必要な薬が対象で、大衆薬については聞いていない。
薬をもらう時に知りたい情報と医師や薬剤師から実際に説明を受けた内容とを比べると、副作用について知りたいと答えた人が70%なのに説明を受けたのは27%。副作用が出た時の対処方法については、25%の人が知りたいと答えたが、説明を受けたのは8%にとどまった。一方、服用方法については、知りたいと答えた人は36%にとどまったのに、79%の人が説明を受けた。
処方された薬について不安に思ったことがあるかどうか尋ねると、「時々ある」が54%で、「よくある」が5%。合わせると6割が不安を訴えていた。』
こういう話は患者側のアンケートだけみるといかにも医師は説明していないみたいだが,問題は医師側がどの程度まで意識して話していて,それを患者側が理解しているかにかかっている.医師が説明したつもりであっても,患者側が聞いていないといえばそれまでだ.製薬会社にしても「医師や薬剤師は患者の立場で説明してほしい」とはまったく無責任な話である.
臨床でよく経験する副作用なら使っている医師はわかっているからちゃんと理解して説明できるし,重篤なものについては必ず説明していると思う.しかし,稀にしか起こらないものや新薬などについては医師も本当のところわからないのが現実だろう.
可能性の問題で副作用を列挙しても時間の無駄である.処方された薬に不安があるのならちゃんとそのことを医師に伝えて納得してから投与を受けるべきであろう.医師が内服をすすめても承諾されなければ処方はしないだろうし,承諾すればそれ以上の説明に時間を費やしたりはしないだろう.
何らかの理由で医師に直接たずねることが出来なくとも,薬をもらう所には薬剤師がいる.最近は院外処方薬局でもらう人も多いと思うが,そこでは大抵丁寧に説明してくれる.私も自分のアレルギーの薬をもらいにいったら非常に丁寧に説明されてかえって困ってしまったくらいである.入院中であれば看護師さんに聞けば教えてくれるし,わからなければ医師にそのことを伝えてもらえばいいだろう.
医師の説明不足ということで「もっとちゃんと説明しろ」というのなら,患者が主治医にそのことをきちんと伝えればいいわけで,それができないというのなら患者と医師との人間関係に問題があるということで,それなら説明以前の問題ではないだろうか.
医師に薬を処方してもらった人の7割が副作用について説明してほしいと感じているのに、実際に医師や薬剤師から説明を受けた人は3割にとどまることが、製薬会社の業界団体の調査で分かった。「医師や薬剤師は患者の立場で説明してほしい」と話している。
調査は、製薬会社でつくる「くすりの適正使用協議会」が、昨年10月に20〜69歳の2000人を対象にファクスを送り、1607人から回答を得た。医師の処方が必要な薬が対象で、大衆薬については聞いていない。
薬をもらう時に知りたい情報と医師や薬剤師から実際に説明を受けた内容とを比べると、副作用について知りたいと答えた人が70%なのに説明を受けたのは27%。副作用が出た時の対処方法については、25%の人が知りたいと答えたが、説明を受けたのは8%にとどまった。一方、服用方法については、知りたいと答えた人は36%にとどまったのに、79%の人が説明を受けた。
処方された薬について不安に思ったことがあるかどうか尋ねると、「時々ある」が54%で、「よくある」が5%。合わせると6割が不安を訴えていた。』
こういう話は患者側のアンケートだけみるといかにも医師は説明していないみたいだが,問題は医師側がどの程度まで意識して話していて,それを患者側が理解しているかにかかっている.医師が説明したつもりであっても,患者側が聞いていないといえばそれまでだ.製薬会社にしても「医師や薬剤師は患者の立場で説明してほしい」とはまったく無責任な話である.
臨床でよく経験する副作用なら使っている医師はわかっているからちゃんと理解して説明できるし,重篤なものについては必ず説明していると思う.しかし,稀にしか起こらないものや新薬などについては医師も本当のところわからないのが現実だろう.
可能性の問題で副作用を列挙しても時間の無駄である.処方された薬に不安があるのならちゃんとそのことを医師に伝えて納得してから投与を受けるべきであろう.医師が内服をすすめても承諾されなければ処方はしないだろうし,承諾すればそれ以上の説明に時間を費やしたりはしないだろう.
何らかの理由で医師に直接たずねることが出来なくとも,薬をもらう所には薬剤師がいる.最近は院外処方薬局でもらう人も多いと思うが,そこでは大抵丁寧に説明してくれる.私も自分のアレルギーの薬をもらいにいったら非常に丁寧に説明されてかえって困ってしまったくらいである.入院中であれば看護師さんに聞けば教えてくれるし,わからなければ医師にそのことを伝えてもらえばいいだろう.
医師の説明不足ということで「もっとちゃんと説明しろ」というのなら,患者が主治医にそのことをきちんと伝えればいいわけで,それができないというのなら患者と医師との人間関係に問題があるということで,それなら説明以前の問題ではないだろうか.
『 -- ほぼすべての中絶禁止へ サウスダコタ州下院が法案承認 --
米サウスダコタ州下院は24日、ほぼすべての人工妊娠中絶を禁止する州法制定案を50対18で承認した。AP通信が伝えた。新法制定には知事の署名が必要だが、共和党のラウンズ知事は前向きと伝えられ、7月1日施行の見通し。連邦最高裁の判事構成が変わったことを受け、中絶を合法とした73年の最高裁判決が見直されることを期待しての対応で、他の州議会にも追随する動きがあるという。
AP通信によると、提案された新法は、母体に生命の危険がある時以外の中絶を禁止する内容。レイプ被害や近親間の妊娠の場合でも中絶はできなくなる。違反して中絶にかかわった医師は最高5年の刑に問われる可能性がある。
これに対し、女性の「産む、産まない」の選択を支持することから同州で唯一の中絶医院を運営する組織「プランド・ペアレントフッド」は、法律が最高裁決定を無視しているとして無効確認を求める訴えを起こす方針だ。』
先日の里親制度のニュースのコメントに中絶は胎児を殺すことにほかならないということを強調する意味で殺人という言葉を使ったのだが,女性産婦人科医と思われる方から強い不快感を表明された.その後,中絶にかかわる倫理感ということが頭に少々ひっかかっていた.そのせいかこの二ユースに目が止まったので,また少し考えてみたい.
米国の場合,中絶問題は大統領選の公約になるほど重要な問題であるらしいが,それはキリスト教によるところが大きい.新法皇ベネディクト16世も昨年のクリスマスミサでクリスマスの栄光の一部が「全ての子供を照らし出す。まだ生まれていない子供たちさえも、照らし出すのだ」と述べ、「全ての」という部分をことさらに強調し、出生前の胎児の命を尊重する立場を改めて示している.
わが国の場合は宗教的な倫理観から中絶を否定する意見が取り上げられることはないだろう.むしろ最近の傾向としては中絶は女性の権利であるという声が大きい.民主主義は多数決の原理であるから声が大きいと正しいことになるのだろうが.必ずしも真に正しいわけではない.反対意見が多くなれば昨日まで正しかったことが誤りとされることもあるわけである.だから,中絶が善か悪かを論じようなどというつもりはない.ただ,中絶は胎児というヒトを殺すことになるのかどうかが知りたいだけである.
産婦人科医はどう考えてやっているのだろうか.脳外科医の私には,胎児は母親に生命維持を依存はしているが,母親とは遺伝情報の発現が異なる点でまったく別のヒト個体として扱われるべきものと考えられるのである.そして,中絶とはなんらかの母体側の都合で胎児の生命維持を中止し死に至らしめる行為ではないのだろうか.
なにか面倒な話になったので,一つの例を考えてみた.今後,バイオテクノロジーがさらに進歩して人工子宮ができたとしよう.妊娠の継続を希望しない母体から取り出された胎児が人工子宮で生命維持できるようになったとする.里親制度もあり生まれてもなんの問題もない社会になっているが,母親が人工子宮での生命維持を希望しなかったとする.さて,あなたなら母親の希望は正当であると言えるであろうか.
昔の日本では間引きということが行われていた.お産婆さんがお産の家に行ったときに屏風が逆さに置かれていたら,そのお産は死産とされたそうである.昔は中絶を安全に行える技術がなかったから満期産で生まれた児を殺していたのかもしれない.これは今の時代であれば殺人である.
今後は人工授精でつくった胎児を人工子宮で育て,都合が悪くなったら人工子宮を停止させることもできる時代になるかもしれない.そうなったら胎児の生存権はどうなるのだろうか.そこに倫理観は存在しているのだろうか,未来のことはなってみなければわからないが,将来,胎児に生存権がみとめられたら,現在の中絶はそれこそ殺人以外のなにものでもなくなるのではないだろうか.
米サウスダコタ州下院は24日、ほぼすべての人工妊娠中絶を禁止する州法制定案を50対18で承認した。AP通信が伝えた。新法制定には知事の署名が必要だが、共和党のラウンズ知事は前向きと伝えられ、7月1日施行の見通し。連邦最高裁の判事構成が変わったことを受け、中絶を合法とした73年の最高裁判決が見直されることを期待しての対応で、他の州議会にも追随する動きがあるという。
AP通信によると、提案された新法は、母体に生命の危険がある時以外の中絶を禁止する内容。レイプ被害や近親間の妊娠の場合でも中絶はできなくなる。違反して中絶にかかわった医師は最高5年の刑に問われる可能性がある。
これに対し、女性の「産む、産まない」の選択を支持することから同州で唯一の中絶医院を運営する組織「プランド・ペアレントフッド」は、法律が最高裁決定を無視しているとして無効確認を求める訴えを起こす方針だ。』
先日の里親制度のニュースのコメントに中絶は胎児を殺すことにほかならないということを強調する意味で殺人という言葉を使ったのだが,女性産婦人科医と思われる方から強い不快感を表明された.その後,中絶にかかわる倫理感ということが頭に少々ひっかかっていた.そのせいかこの二ユースに目が止まったので,また少し考えてみたい.
米国の場合,中絶問題は大統領選の公約になるほど重要な問題であるらしいが,それはキリスト教によるところが大きい.新法皇ベネディクト16世も昨年のクリスマスミサでクリスマスの栄光の一部が「全ての子供を照らし出す。まだ生まれていない子供たちさえも、照らし出すのだ」と述べ、「全ての」という部分をことさらに強調し、出生前の胎児の命を尊重する立場を改めて示している.
わが国の場合は宗教的な倫理観から中絶を否定する意見が取り上げられることはないだろう.むしろ最近の傾向としては中絶は女性の権利であるという声が大きい.民主主義は多数決の原理であるから声が大きいと正しいことになるのだろうが.必ずしも真に正しいわけではない.反対意見が多くなれば昨日まで正しかったことが誤りとされることもあるわけである.だから,中絶が善か悪かを論じようなどというつもりはない.ただ,中絶は胎児というヒトを殺すことになるのかどうかが知りたいだけである.
産婦人科医はどう考えてやっているのだろうか.脳外科医の私には,胎児は母親に生命維持を依存はしているが,母親とは遺伝情報の発現が異なる点でまったく別のヒト個体として扱われるべきものと考えられるのである.そして,中絶とはなんらかの母体側の都合で胎児の生命維持を中止し死に至らしめる行為ではないのだろうか.
なにか面倒な話になったので,一つの例を考えてみた.今後,バイオテクノロジーがさらに進歩して人工子宮ができたとしよう.妊娠の継続を希望しない母体から取り出された胎児が人工子宮で生命維持できるようになったとする.里親制度もあり生まれてもなんの問題もない社会になっているが,母親が人工子宮での生命維持を希望しなかったとする.さて,あなたなら母親の希望は正当であると言えるであろうか.
昔の日本では間引きということが行われていた.お産婆さんがお産の家に行ったときに屏風が逆さに置かれていたら,そのお産は死産とされたそうである.昔は中絶を安全に行える技術がなかったから満期産で生まれた児を殺していたのかもしれない.これは今の時代であれば殺人である.
今後は人工授精でつくった胎児を人工子宮で育て,都合が悪くなったら人工子宮を停止させることもできる時代になるかもしれない.そうなったら胎児の生存権はどうなるのだろうか.そこに倫理観は存在しているのだろうか,未来のことはなってみなければわからないが,将来,胎児に生存権がみとめられたら,現在の中絶はそれこそ殺人以外のなにものでもなくなるのではないだろうか.
『 -- 産婦人科でも里親制度PR 中絶希望者も念頭、福島県 --
福島県は24日までに、子育て支援策の一環として県の「里親制度」を産婦人科病院でも積極的にPRし、活用してもらう方針を決めた。県議会に提出している2006年度予算案で、前年度比約2000万円増の約7400万円を計上した。
里親制度は、実の親による児童虐待などで養育が困難な場合、児童相談所の紹介で別の家庭で子どもを育ててもらう仕組み。県は「産む、産まないは本人の意思だが、望まない妊娠で中絶が不可能なケースもあり、制度を知らないまま親子が苦しんだり、虐待などが起こるのを防ぎたい」としている。
06年4月からは県内病院の産婦人科に里親制度を紹介するパンフレットを置くほか、児童相談所・相談センターに実の親と里親などの関係を取り持つコーディネーターと、心のケアをする心理嘱託員を新たに配置するとしている。
福島県によると、乳幼児の場合は施設よりも里親による受け入れが望ましい例が多いとされる。現在151組が里親登録しているが、実際に子どもを受け入れているのは38組にすぎず、受け入れには余裕があるという。』
先日の産婦人科医師逮捕に対しては福島県の産婦人科医はどのように考えているのだろうか.そして,こんな状況でも患者のために協力を惜しまず里親さがしをするのだろうか.産婦人科にパンフレットを置くなどと言っているが県側が計画しているだけのことなのだろうか.ニュースを読んでもわからないことだらけだ.
一見すると先日と同じようだが、こちらのニュースには川手晃副知事の「妊娠中絶を考えている人に『産む』という選択肢も提示した上で、できるだけ産んでもらい、社会で子どもを育てようというのが狙いだ。倫理的な問題を指摘する声があるかもしれないが、出生率の低下や中絶の問題は深刻だ」というコメントが書かれていない.人口減で悩む福島県の本音をつい言ってしまったのがまずいと判断されたのだろうか.
倫理をちらつかせながら人口増をもくろむ県.人工受精と人工中絶で患者ニーズに応える産婦人科開業医,そして公立病院で一人医長で頑張った末に逮捕される産婦人科医.やっぱりどう考えても公立病院の産婦人科は消滅しそうだ.そして,産婦人科領域で一番おいしいのはピルやホルモン補充療法をやってるレディースクリニックだったりするんではないだろうかと思うが,本当のところはどうなんだろうか.
福島県は24日までに、子育て支援策の一環として県の「里親制度」を産婦人科病院でも積極的にPRし、活用してもらう方針を決めた。県議会に提出している2006年度予算案で、前年度比約2000万円増の約7400万円を計上した。
里親制度は、実の親による児童虐待などで養育が困難な場合、児童相談所の紹介で別の家庭で子どもを育ててもらう仕組み。県は「産む、産まないは本人の意思だが、望まない妊娠で中絶が不可能なケースもあり、制度を知らないまま親子が苦しんだり、虐待などが起こるのを防ぎたい」としている。
06年4月からは県内病院の産婦人科に里親制度を紹介するパンフレットを置くほか、児童相談所・相談センターに実の親と里親などの関係を取り持つコーディネーターと、心のケアをする心理嘱託員を新たに配置するとしている。
福島県によると、乳幼児の場合は施設よりも里親による受け入れが望ましい例が多いとされる。現在151組が里親登録しているが、実際に子どもを受け入れているのは38組にすぎず、受け入れには余裕があるという。』
先日の産婦人科医師逮捕に対しては福島県の産婦人科医はどのように考えているのだろうか.そして,こんな状況でも患者のために協力を惜しまず里親さがしをするのだろうか.産婦人科にパンフレットを置くなどと言っているが県側が計画しているだけのことなのだろうか.ニュースを読んでもわからないことだらけだ.
一見すると先日と同じようだが、こちらのニュースには川手晃副知事の「妊娠中絶を考えている人に『産む』という選択肢も提示した上で、できるだけ産んでもらい、社会で子どもを育てようというのが狙いだ。倫理的な問題を指摘する声があるかもしれないが、出生率の低下や中絶の問題は深刻だ」というコメントが書かれていない.人口減で悩む福島県の本音をつい言ってしまったのがまずいと判断されたのだろうか.
倫理をちらつかせながら人口増をもくろむ県.人工受精と人工中絶で患者ニーズに応える産婦人科開業医,そして公立病院で一人医長で頑張った末に逮捕される産婦人科医.やっぱりどう考えても公立病院の産婦人科は消滅しそうだ.そして,産婦人科領域で一番おいしいのはピルやホルモン補充療法をやってるレディースクリニックだったりするんではないだろうかと思うが,本当のところはどうなんだろうか.
『 -- 中絶希望者に里親案内の新制度 福島県が今春から --
人口減に悩む福島県が、従来の「里親制度」を、人工妊娠中絶を減らし、出生率を高めるための施策として活用していく方針を決めた。新年度から新たに「里親コーディネーター」を配置し、出産を迷う妊婦らにも制度を紹介する。女性の「産む、産まない」の選択権が狭められないかなどの論議も予想されるが、同県は「中絶を考えている人に産んでもらい、社会で子育てを担いたい」としている。
里親制度は、虐待などで親との同居が難しくなった子どもを一般家庭で育てる仕組み。各都道府県が所管しているが、厚生労働省によると、出産前に制度を紹介するのは異例だ。
福島県によると、まず産婦人科医に依頼し、出産を迷う妊婦のうち希望者に里親制度など子育て支援策を紹介するパンフレットを配布。問い合わせに応じて児童相談所が詳しく説明し、出産後、実際に子育てが困難な場合には里親を紹介する。里親は、原則18歳まで育てる「養育里親」を想定している。
県は新年度当初予算に約2000万円を計上、新たに里親コーディネーターと心理嘱託員を4人ずつ雇い、児童相談所に配置する。コーディネーターは親と里親の間をとりもち、心理嘱託員は紹介後も継続して親や里親の心のケアなどを担う。
福島県の人工妊娠中絶実施率(女性の人口千人あたりの件数)は04年度で15・8。全国平均の10.6を大きく上回った。15〜19歳では17.7とさらに高率だ。一方で県の人口は97年の約213万人をピークに減り続け、今年1月1日の推計で約209万人に。
里親コーディネーターらの配置は、児童相談所の児童福祉司不足を補うのが目的だったが、予算案を詰める際に中絶実施率の高さを問題視する声が上がり、里親制度の幅広い活用が論議された。
川手晃副知事は「妊娠中絶を考えている人に『産む』という選択肢も提示した上で、できるだけ産んでもらい、社会で子どもを育てようというのが狙いだ。倫理的な問題を指摘する声があるかもしれないが、出生率の低下や中絶の問題は深刻だ」と話している。』
まずは2004年11月2日の日記の後半を読んでいただきたい.
http://diarynote.jp/d/41284/20041102.html
わが国に里親制度が根づくがどうかはわからないが,「妊娠中絶を考えている人に『産む』という選択肢も提示した上で、できるだけ産んでもらい、社会で子どもを育てよう」という主旨は理解できるし,合法的に尊い命が抹殺されてしまう中絶という行為を少しでも減らすのは正しいと思う.
胎児がどこからヒトになるのかとか,人権はどこから与えられるのかという議論は別にして,生命の連続性ということから考えれば発生したときからヒトはヒトであるはずで,それ以外の生物であるはずはない.
そう考えれば合法か非合法かは別として正常に分娩されてくる可能性のある胎児を中絶することは殺人にほかならないと思う.それを自分の都合で抹殺するのであれば,行為そのものは児童虐待となんら変わるところはないだろう.
里親制度は、虐待などで親との同居が難しくなった子どもを一般家庭で育てる仕組みとあるが,まさに中絶も立派な児童虐待であるから同じ制度で対応することは合理的なことだろう.むしろ,出生率の低下や児童虐待が社会問題とされる中で中絶だけが取り上げられないことが奇異に感じられるのは私だけだろうか.
「倫理的な問題を指摘する声があるかもしれない」とあるが,自然に生まれてくる者が親の都合で抹殺されるのを救うことが倫理的に問題になることがあるのだろうか.少なくとも人工授精したり,臓器を移植したりすることに比べれば倫理的ハードルは低いのではないだろうか.
人口減に悩む福島県が、従来の「里親制度」を、人工妊娠中絶を減らし、出生率を高めるための施策として活用していく方針を決めた。新年度から新たに「里親コーディネーター」を配置し、出産を迷う妊婦らにも制度を紹介する。女性の「産む、産まない」の選択権が狭められないかなどの論議も予想されるが、同県は「中絶を考えている人に産んでもらい、社会で子育てを担いたい」としている。
里親制度は、虐待などで親との同居が難しくなった子どもを一般家庭で育てる仕組み。各都道府県が所管しているが、厚生労働省によると、出産前に制度を紹介するのは異例だ。
福島県によると、まず産婦人科医に依頼し、出産を迷う妊婦のうち希望者に里親制度など子育て支援策を紹介するパンフレットを配布。問い合わせに応じて児童相談所が詳しく説明し、出産後、実際に子育てが困難な場合には里親を紹介する。里親は、原則18歳まで育てる「養育里親」を想定している。
県は新年度当初予算に約2000万円を計上、新たに里親コーディネーターと心理嘱託員を4人ずつ雇い、児童相談所に配置する。コーディネーターは親と里親の間をとりもち、心理嘱託員は紹介後も継続して親や里親の心のケアなどを担う。
福島県の人工妊娠中絶実施率(女性の人口千人あたりの件数)は04年度で15・8。全国平均の10.6を大きく上回った。15〜19歳では17.7とさらに高率だ。一方で県の人口は97年の約213万人をピークに減り続け、今年1月1日の推計で約209万人に。
里親コーディネーターらの配置は、児童相談所の児童福祉司不足を補うのが目的だったが、予算案を詰める際に中絶実施率の高さを問題視する声が上がり、里親制度の幅広い活用が論議された。
川手晃副知事は「妊娠中絶を考えている人に『産む』という選択肢も提示した上で、できるだけ産んでもらい、社会で子どもを育てようというのが狙いだ。倫理的な問題を指摘する声があるかもしれないが、出生率の低下や中絶の問題は深刻だ」と話している。』
まずは2004年11月2日の日記の後半を読んでいただきたい.
http://diarynote.jp/d/41284/20041102.html
わが国に里親制度が根づくがどうかはわからないが,「妊娠中絶を考えている人に『産む』という選択肢も提示した上で、できるだけ産んでもらい、社会で子どもを育てよう」という主旨は理解できるし,合法的に尊い命が抹殺されてしまう中絶という行為を少しでも減らすのは正しいと思う.
胎児がどこからヒトになるのかとか,人権はどこから与えられるのかという議論は別にして,生命の連続性ということから考えれば発生したときからヒトはヒトであるはずで,それ以外の生物であるはずはない.
そう考えれば合法か非合法かは別として正常に分娩されてくる可能性のある胎児を中絶することは殺人にほかならないと思う.それを自分の都合で抹殺するのであれば,行為そのものは児童虐待となんら変わるところはないだろう.
里親制度は、虐待などで親との同居が難しくなった子どもを一般家庭で育てる仕組みとあるが,まさに中絶も立派な児童虐待であるから同じ制度で対応することは合理的なことだろう.むしろ,出生率の低下や児童虐待が社会問題とされる中で中絶だけが取り上げられないことが奇異に感じられるのは私だけだろうか.
「倫理的な問題を指摘する声があるかもしれない」とあるが,自然に生まれてくる者が親の都合で抹殺されるのを救うことが倫理的に問題になることがあるのだろうか.少なくとも人工授精したり,臓器を移植したりすることに比べれば倫理的ハードルは低いのではないだろうか.