研修医には悪いが...
2006年9月7日 医療の問題 コメント (5)『 --「医療ミス」と遺族提訴 研修医がカテーテル挿入 --
栃木県立がんセンター(宇都宮市)で昨年8月、男性患者=当時(73)=が死亡したのはカテーテル挿入時のミスが原因として、遺族が5日、県に約4500万円の損害賠償を求める訴訟を宇都宮地裁に起こした。
訴状によると、男性は膵臓(すいぞう)がんのため昨年7月に入院。同8月9日、首の静脈へのカテーテル挿入の際、研修医が誤って動脈などを傷つけたため、出血性ショックによる多臓器不全で同月23日に死亡した。
原告側は「主治医が立ち会わず、研修医らに行わせたなどの過失がある」と主張している。
同センターは「訴状が届き次第対応する」としている。
宇都宮南署は今年3月、業務上過失致死容疑で研修医を書類送検した。』
主治医が立ち会っていても事故が予防できたかどうかは疑問である.研修期間中は指導医が必ずつくにしても,それで事故が起きて今度は指導医の指導が悪いと訴えられることはないのであろうか.
さっき入院患者さんの右鎖骨下静脈にIVHカテを入れてきたばかりでこれを見たのだが,ここに研修医がいなくて良かったとつい思ってしまった.
栃木県立がんセンター(宇都宮市)で昨年8月、男性患者=当時(73)=が死亡したのはカテーテル挿入時のミスが原因として、遺族が5日、県に約4500万円の損害賠償を求める訴訟を宇都宮地裁に起こした。
訴状によると、男性は膵臓(すいぞう)がんのため昨年7月に入院。同8月9日、首の静脈へのカテーテル挿入の際、研修医が誤って動脈などを傷つけたため、出血性ショックによる多臓器不全で同月23日に死亡した。
原告側は「主治医が立ち会わず、研修医らに行わせたなどの過失がある」と主張している。
同センターは「訴状が届き次第対応する」としている。
宇都宮南署は今年3月、業務上過失致死容疑で研修医を書類送検した。』
主治医が立ち会っていても事故が予防できたかどうかは疑問である.研修期間中は指導医が必ずつくにしても,それで事故が起きて今度は指導医の指導が悪いと訴えられることはないのであろうか.
さっき入院患者さんの右鎖骨下静脈にIVHカテを入れてきたばかりでこれを見たのだが,ここに研修医がいなくて良かったとつい思ってしまった.
『 -- 医療過誤訴訟:金沢大病院「過失ない」争う姿勢 --
金沢大付属病院(金沢市)に入院していた小松市の女性(59)が、脳こうそくを発症して神経に障害が残ったのは病院側の治療後の措置に過失のためとして、同大相手に1億円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が4日、金沢地裁(倉田慎也裁判長)であった。金沢大側は「過失はなかった」として争う姿勢を見せた。
訴状によると、女性は01年12月10日に心不全で同大に入院。心臓検査のため、頸(けい)静脈にカテーテルを挿入した。同13日にカテーテルを抜いた後、ベッド交換のために移動したところ、挿入口から多量の空気が静脈に入り、脳こうそくを発症。付き添い介護が必要な後遺症が残った。
病院側はこれに対し、▽発症したのは脳こうそくではなく、脳塞栓(そくせん)▽カテーテルを抜去後の処置は医学水準に合致した手法で、挿入口から空気混入は考えられない▽ベッド交換が直接の原因とは断定できない----などと反論した。』
頸静脈のカテーテルの挿入口から多量の空気が静脈に入り空気塞栓による脳梗塞を起したという事故なんて経験したこともないし聞いたこともなかった.だが,起きる可能性はあったのではないだろうかと私は思う.
非常に稀な現象だろうが,心臓検査のためのカテーテルとあるから比較的径の太いカテーテルにより瘻孔が形成されていたところへ,起立と呼吸により静脈圧が陰圧となり空気が入り込み,さらに移動の際に今度は右心系の圧が上昇し,心内の右-左シャントを介して奇異性塞栓を起したという可能性はあるのではないだろうか.
本当にこんなことが起きるのだろうかという疑問は残るのだが,発症時の頭部CTで梗塞部位の脳血管内に空気がみとめられていたなら可能性は否定できないだろう.予防としては,やはりカテーテルの抜去は常に臥位で行い,気密性の高い被覆材を使うくらいしかないだろうか.いずれにしても明日は我が身,可能性のあることはすべて起きるというのが持論の私としてはちょっと気になる話だ.
金沢大付属病院(金沢市)に入院していた小松市の女性(59)が、脳こうそくを発症して神経に障害が残ったのは病院側の治療後の措置に過失のためとして、同大相手に1億円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が4日、金沢地裁(倉田慎也裁判長)であった。金沢大側は「過失はなかった」として争う姿勢を見せた。
訴状によると、女性は01年12月10日に心不全で同大に入院。心臓検査のため、頸(けい)静脈にカテーテルを挿入した。同13日にカテーテルを抜いた後、ベッド交換のために移動したところ、挿入口から多量の空気が静脈に入り、脳こうそくを発症。付き添い介護が必要な後遺症が残った。
病院側はこれに対し、▽発症したのは脳こうそくではなく、脳塞栓(そくせん)▽カテーテルを抜去後の処置は医学水準に合致した手法で、挿入口から空気混入は考えられない▽ベッド交換が直接の原因とは断定できない----などと反論した。』
頸静脈のカテーテルの挿入口から多量の空気が静脈に入り空気塞栓による脳梗塞を起したという事故なんて経験したこともないし聞いたこともなかった.だが,起きる可能性はあったのではないだろうかと私は思う.
非常に稀な現象だろうが,心臓検査のためのカテーテルとあるから比較的径の太いカテーテルにより瘻孔が形成されていたところへ,起立と呼吸により静脈圧が陰圧となり空気が入り込み,さらに移動の際に今度は右心系の圧が上昇し,心内の右-左シャントを介して奇異性塞栓を起したという可能性はあるのではないだろうか.
本当にこんなことが起きるのだろうかという疑問は残るのだが,発症時の頭部CTで梗塞部位の脳血管内に空気がみとめられていたなら可能性は否定できないだろう.予防としては,やはりカテーテルの抜去は常に臥位で行い,気密性の高い被覆材を使うくらいしかないだろうか.いずれにしても明日は我が身,可能性のあることはすべて起きるというのが持論の私としてはちょっと気になる話だ.
『薬害エイズ事件で「官民癒着の温床」として製薬企業や業界団体への天下りが批判を浴びた旧厚生省(厚生労働省を含む)の局長らOB39人が事件後、計15の製薬企業や業界団体に天下りしていたことが、毎日新聞の調査で分かった。同事件で処分を受けた元幹部2人も含まれている。』
『医薬品の安全性などを審査し、厚生労働省に新薬として承認すべきかどうか通知する独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」(東京都千代田区)が04年4月の設立以降、製薬企業8社のOB9人を雇用していたことが分かった。』
『「薬害という言葉は公害を連想させる。(薬にはある効用が)公害にはなく、誤解を生む」
昨年12月2日、熊本市の熊本市民会館。日本エイズ学会のシンポジウムで、グレーのスーツ姿のパネリストが「薬害」を否定すると、医師ら参加者の多くがうなずいた。
声の主は聖学院大総合研究所の郡司篤晃教授。郡司氏は82-84年、旧厚生省で生物製剤課長を務めた。危機感を抱き安部英(たけし)・元帝京大副学長を委員長とする「エイズ研究班」を招集したが、有効な対策を打てず被害が拡大した。郡司氏は「薬は当時のベストの治療。後で社会的制裁を加えては、安全性の結論は出ない」と続けた。 壇上には元東京HIV訴訟原告で松本大学非常勤講師、川田龍平さん(30)の姿もあった。川田さんは「(旧)厚生省や企業、医師が『責任はない』と繰り返していることが、被害者としては苦しい」と訴えたが、会場の反応は鈍かった。』
薬害という言葉は別にどうでもいいが,医療業界の「官民癒着の温床」が一向に改善されていないらしいことだけはよくわかった.
天下りについて厚労省人事課は「再就職は個人情報で、コメントする立場にない。問題ないと考えている。」とコメント.政府の個人情報保護とはやはり隠蔽の手段なのだろう.
『医薬品の安全性などを審査し、厚生労働省に新薬として承認すべきかどうか通知する独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」(東京都千代田区)が04年4月の設立以降、製薬企業8社のOB9人を雇用していたことが分かった。』
『「薬害という言葉は公害を連想させる。(薬にはある効用が)公害にはなく、誤解を生む」
昨年12月2日、熊本市の熊本市民会館。日本エイズ学会のシンポジウムで、グレーのスーツ姿のパネリストが「薬害」を否定すると、医師ら参加者の多くがうなずいた。
声の主は聖学院大総合研究所の郡司篤晃教授。郡司氏は82-84年、旧厚生省で生物製剤課長を務めた。危機感を抱き安部英(たけし)・元帝京大副学長を委員長とする「エイズ研究班」を招集したが、有効な対策を打てず被害が拡大した。郡司氏は「薬は当時のベストの治療。後で社会的制裁を加えては、安全性の結論は出ない」と続けた。 壇上には元東京HIV訴訟原告で松本大学非常勤講師、川田龍平さん(30)の姿もあった。川田さんは「(旧)厚生省や企業、医師が『責任はない』と繰り返していることが、被害者としては苦しい」と訴えたが、会場の反応は鈍かった。』
薬害という言葉は別にどうでもいいが,医療業界の「官民癒着の温床」が一向に改善されていないらしいことだけはよくわかった.
天下りについて厚労省人事課は「再就職は個人情報で、コメントする立場にない。問題ないと考えている。」とコメント.政府の個人情報保護とはやはり隠蔽の手段なのだろう.
『 - 治療中に呼吸停止 ミスで男児寝たきり 北九州市立医療センター -
医療事故:ミスで男児寝たきり 治療中に呼吸停止----北九州市立医療センター /福岡
◇水頭症治療中に
北九州市は25日、市立医療センター(小倉北区)で今年1月、脳室が肥大する水頭症の治療を受けていた市内の男児(2)が小児科当直医の治療ミスで呼吸が止まり、意識不明となる医療事故があったと発表した。
市病院局によると男児は04年、脳せき髄液を逃がすためのシリコン製チューブを頭部から腹部に渡す治療を受けた。今年1月、おう吐やけいれんの症状を訴え、同病院で胃腸炎と診断され入院した。当直医は、けいれんが続いたことなどからチューブが詰まるか外れるなどの異状を疑ったが、担当医を呼んで確認することをしなかった。2時間後に男児は呼吸停止に陥り、脳神経外科医が所見などからチューブ不全と診断した。男児は今も同病院で人工呼吸器をつけ、寝たきりの状態。
また市は、昨年4月に定めた医療事故の公表基準に基づき、比較的軽微なものも含め市立病院の医療事故を発表した。05年度は4件あり、内訳は医療センター1件、八幡病院3件。タンの吸引びんを誤って患者の額に落とすなど病院側のミスで患者計4人に最長1カ月のけがを負わせた。医療事故は今後も定期的に公表する。』
こんないいかげんな記事で医療不信が増大するのかと思うと情けなくなる.何も知らない国民はまた医療ミスかと思うだけだろうが,これを読んだ小児科医や脳外科医はどう思うのだろうか.
「小児科当直医の治療ミスで呼吸が止まり」と書いてあるが,これはどういう意味なのだろうか.「男児は04年、脳せき髄液を逃がすためのシリコン製チューブを頭部から腹部に渡す治療を受けた」とあるのは脳室-腹腔シャントのことだろうが,だとすれば水頭症治療は脳神経外科の仕事であり小児科医の仕事ではない.
嘔吐による誤嚥からの窒息,痙攣重積発作,閉塞性水頭症などはどれも呼吸停止の原因となりうると思うのだがいったい呼吸停止の本当の原因は何だったのだろうか.「脳神経外科医が所見などからチューブ不全と診断した」とあるが,これは水頭症が原因で呼吸停止したと脳外科医が診断したという意味なのだろうか.
私は小児科当直医が脳神経外科の担当医を呼んで水頭症の悪化を確認したとしても呼吸停止を予見することはできなかった可能性があると思うし,予見できたとしても2歳の子供にすぐに挿管して人工呼吸器を装着したとも思えないのである.つまり,問題は呼吸停止を予見して処置できる可能性があったかどうかであって,水頭症の治療ミスで呼吸停止という言い方は明らかにおかしいだろうと思う.
だからこの市立医療センター(小倉北区)の医療事故の発表にも問題があると思う.医療ミスかどうかの判断はできるかぎり厳密に行うべきであり,少なくとも専門医がみて疑問の余地を残すような報道をされるようでは,世間の無用な不安を煽るだけで意味がないどころか,ますます地方の市立病院を避ける医師が増えるだけだということがわからないのだろうか.
医療事故の結果が悪いと医療ミスと呼んで医師の責任を追及するだけでは医療の質は向上するどころかむしろ低下するということにマスコミも国民もそろそろ気づくべきだと思うのだがどうだろうか.
医療事故:ミスで男児寝たきり 治療中に呼吸停止----北九州市立医療センター /福岡
◇水頭症治療中に
北九州市は25日、市立医療センター(小倉北区)で今年1月、脳室が肥大する水頭症の治療を受けていた市内の男児(2)が小児科当直医の治療ミスで呼吸が止まり、意識不明となる医療事故があったと発表した。
市病院局によると男児は04年、脳せき髄液を逃がすためのシリコン製チューブを頭部から腹部に渡す治療を受けた。今年1月、おう吐やけいれんの症状を訴え、同病院で胃腸炎と診断され入院した。当直医は、けいれんが続いたことなどからチューブが詰まるか外れるなどの異状を疑ったが、担当医を呼んで確認することをしなかった。2時間後に男児は呼吸停止に陥り、脳神経外科医が所見などからチューブ不全と診断した。男児は今も同病院で人工呼吸器をつけ、寝たきりの状態。
また市は、昨年4月に定めた医療事故の公表基準に基づき、比較的軽微なものも含め市立病院の医療事故を発表した。05年度は4件あり、内訳は医療センター1件、八幡病院3件。タンの吸引びんを誤って患者の額に落とすなど病院側のミスで患者計4人に最長1カ月のけがを負わせた。医療事故は今後も定期的に公表する。』
こんないいかげんな記事で医療不信が増大するのかと思うと情けなくなる.何も知らない国民はまた医療ミスかと思うだけだろうが,これを読んだ小児科医や脳外科医はどう思うのだろうか.
「小児科当直医の治療ミスで呼吸が止まり」と書いてあるが,これはどういう意味なのだろうか.「男児は04年、脳せき髄液を逃がすためのシリコン製チューブを頭部から腹部に渡す治療を受けた」とあるのは脳室-腹腔シャントのことだろうが,だとすれば水頭症治療は脳神経外科の仕事であり小児科医の仕事ではない.
嘔吐による誤嚥からの窒息,痙攣重積発作,閉塞性水頭症などはどれも呼吸停止の原因となりうると思うのだがいったい呼吸停止の本当の原因は何だったのだろうか.「脳神経外科医が所見などからチューブ不全と診断した」とあるが,これは水頭症が原因で呼吸停止したと脳外科医が診断したという意味なのだろうか.
私は小児科当直医が脳神経外科の担当医を呼んで水頭症の悪化を確認したとしても呼吸停止を予見することはできなかった可能性があると思うし,予見できたとしても2歳の子供にすぐに挿管して人工呼吸器を装着したとも思えないのである.つまり,問題は呼吸停止を予見して処置できる可能性があったかどうかであって,水頭症の治療ミスで呼吸停止という言い方は明らかにおかしいだろうと思う.
だからこの市立医療センター(小倉北区)の医療事故の発表にも問題があると思う.医療ミスかどうかの判断はできるかぎり厳密に行うべきであり,少なくとも専門医がみて疑問の余地を残すような報道をされるようでは,世間の無用な不安を煽るだけで意味がないどころか,ますます地方の市立病院を避ける医師が増えるだけだということがわからないのだろうか.
医療事故の結果が悪いと医療ミスと呼んで医師の責任を追及するだけでは医療の質は向上するどころかむしろ低下するということにマスコミも国民もそろそろ気づくべきだと思うのだがどうだろうか.
杞憂?...だといいのだが.
2006年8月28日 医療の問題『 -脳神経外科医志す若手医師激減 日本脳神経外科学会が異例のPR冊子 -
日本脳神経外科学会(吉本高志理事長、会員数約8000人)は脳神経外科医を志す若手医師が激減しているのを憂慮し、異例のPR冊子(A4判14ページ)を作成した。先輩の仕事への思いや休暇の過ごし方などに触れ、若手の関心を引こうと躍起だ。
全国医学部長病院長会議が4月、全国の医学部と医科大学計80校を対象に調査したところ、臨床研修を終えて脳神経外科を希望した医師は4年前に比べ42%も減少した。調べた15の診療科のうち減少率は最も大きく、小児科や産科と同様、厳しい勤務条件が背景にあるとみられる。
その一方で、全国で約150万人いると推測される脳卒中患者は20年後に倍増する見込みだ。また、脳腫瘍(しゅよう)や脊髄(せきずい)損傷、てんかんなど対象となる疾患は幅広い。同学会は「このままでは脳神経外科が成り立たなくなる」と危機感を募らせ、脳神経外科の魅力を説明する冊子の作成に着手。この夏、80校と、訓練施設になっている医療機関の計約390施設に2万部を配布した。
冊子の表紙には「君の未来はここにある」と記載。「一人前になるには何年かかるのか」「とても忙しいのか」という10項目の質問に答えているほか、「1週間のうち手術が約3日、外来担当が約2日。CTやMRIなどの利用で負担は減っている」とした現場報告を盛り込んだ。また、若手医師の「忙しい時もあるが、やりたい仕事なので精神的な疲れはない」などの声を寄せた。
作成に携わり、冊子の中でも登場している宝金(ほうきん)清博・札幌医大教授(51)は「きつい職場であることを否定しない。だが、計り知れないほどのやりがいがある。その魅力をアピールしていかなければならない」と話している。』
私はまだ実物を見ていなし,たぶん実物を見る前だからここに書けるのであるが,私の知っている第一線で働く脳神経外科医の姿を正直に書いている冊子だとしたら果たしてそれがPRになっているのかどうか心配になる脳神経外科医は私だけだろうか.
日本脳神経外科学会(吉本高志理事長、会員数約8000人)は脳神経外科医を志す若手医師が激減しているのを憂慮し、異例のPR冊子(A4判14ページ)を作成した。先輩の仕事への思いや休暇の過ごし方などに触れ、若手の関心を引こうと躍起だ。
全国医学部長病院長会議が4月、全国の医学部と医科大学計80校を対象に調査したところ、臨床研修を終えて脳神経外科を希望した医師は4年前に比べ42%も減少した。調べた15の診療科のうち減少率は最も大きく、小児科や産科と同様、厳しい勤務条件が背景にあるとみられる。
その一方で、全国で約150万人いると推測される脳卒中患者は20年後に倍増する見込みだ。また、脳腫瘍(しゅよう)や脊髄(せきずい)損傷、てんかんなど対象となる疾患は幅広い。同学会は「このままでは脳神経外科が成り立たなくなる」と危機感を募らせ、脳神経外科の魅力を説明する冊子の作成に着手。この夏、80校と、訓練施設になっている医療機関の計約390施設に2万部を配布した。
冊子の表紙には「君の未来はここにある」と記載。「一人前になるには何年かかるのか」「とても忙しいのか」という10項目の質問に答えているほか、「1週間のうち手術が約3日、外来担当が約2日。CTやMRIなどの利用で負担は減っている」とした現場報告を盛り込んだ。また、若手医師の「忙しい時もあるが、やりたい仕事なので精神的な疲れはない」などの声を寄せた。
作成に携わり、冊子の中でも登場している宝金(ほうきん)清博・札幌医大教授(51)は「きつい職場であることを否定しない。だが、計り知れないほどのやりがいがある。その魅力をアピールしていかなければならない」と話している。』
私はまだ実物を見ていなし,たぶん実物を見る前だからここに書けるのであるが,私の知っている第一線で働く脳神経外科医の姿を正直に書いている冊子だとしたら果たしてそれがPRになっているのかどうか心配になる脳神経外科医は私だけだろうか.
『 -- 青年医師よ地方を目指せ 医療の原点見つめるために 核心評論「故若月俊一さんに学ぶ -- 」
地方の医療が崩壊の危機にある。離島、山村などへき地は言うに及ばず、地方都市も小児科や産婦人科などの医師はどこでも足りない。半面、都会では大きな病院で充実した先端医療が受けられる。医療格差是正へ国が対策に本腰を入れるのは当然だが、今後の医療の担い手になる若者たちの意識に問題はないのか。
22日に96歳で亡くなった農村医療の泰斗、若月俊一(わかつき・としかず)さんの生き方を思い返してみたい。
1995年に「地域医療の原点」をテーマに全国を取材した。かつて老人医療費を無料にした岩手県沢内村(現西和賀町)をはじめ、新潟県・八海山のふもとにある「ゆきぐに大和病院」など各地の関係者に話を聞くと、どこでも決まって若月さんの名前が出た。
1910年、東京・芝の洋品店に生まれ、東京帝大医学部を卒業。45年3月に赴任した長野県の佐久病院(現佐久総合病院)で、「予防は治療に勝る」として巡回診療や集団健診を柱とする健康管理方式を取り入れ、新しい農村医療として注目された。
「必要なのは弱い者に共感する心です」。若月さんの主張に共鳴する医師の卵が次々と同病院の門をたたき、ここから各地の病院へ散らばっていった。自治医大の卒業生たちも積極的に地方医療を支えてきた。
しかし、この10年、医療過誤訴訟、研修医の過労死問題など医療をめぐる流れも変わり、若い医師の意識も変わってきた。それが決定的になったのは2004年から義務付けられた2年間の臨床研修だ。受け入れ態勢のしっかりした都会の病院に希望者が集中し、地方病院離れが進んだ。
この結果、へき地の医療はさらに厳しくなることが予想され、厚生労働省は大学医学部の地域枠拡充や、一定期間、地元で医療に従事することを条件にした奨学金の増額などいくつかの打開策を打ち出そうとしている。
しかし、問題は国の施策だけではない。医療に携わる側の意識も大きい。都会育ちの若月さんが信州の地にこだわり続けた理由は何だったのか。田舎のおじちゃん、おばちゃんの診察を続けることによっていくつもの人間ドラマに出合い、自身も成長する醍醐味(だいごみ)を味わったからだろう。それこそ医療の原点というものだ。
新聞記者の世界でも入社後の地方勤務は常識で、わたしも10年ほど支社局にいた。地方で暮らす人々の気持ちが分からなければ、中央で記事を書かせるわけにはいかない、との判断からである。
医師の世界も同じではないか。厚労省は、病院長や開業を目指す医師にへき地などで一定期間の実務を義務付ける構想を導入しようとしたが、関係者の反対に遭い、見送ったと聞く。残念なことである。
離島の外科医を主人公にしテレビドラマにもなった「Dr.コトー診療所」(小学館)というコミックがある。この作品に心を動かされた医師の卵がいたら、若月さんが書いた「村で病気とたたかう」(岩波新書)も読んで地方の現場で一時期、汗を流すことを考えてほしい。(共同通信編集委員 上野敏彦)』
こんな記事を読んだら,僻地で働いている医師達は激怒するか,ため息をつくかのどちらかだろう.そもそも離島、山村などへき地の場合と地方都市では医師不足は同じでもその理由が違う.医師不足は医療に携わる側の意識の問題というのは見当違いもいいところで,こういう精神論の嘘こそ地方都市の医師不足の元凶であることをマスコミは知るべきだろう.地方都市の医師は忙しすぎて疲弊しているのであって,やる気がないわけではないだ.
私は脳神経外科医なので離島や僻地で働いたことはないが,十分な施設もなく人手も足りないところで頑張っても事故があれば刑事訴訟になるのでは怖くて働けないだろう.臨床研修で受け入れ態勢のしっかりした都会の病院に希望者が集中するのは,研修医が自分の身を守れるだけのスキルを身につけ,少しでも労働条件のよい職場につきたいと願うからである.
中には自己犠牲の精神で働く若い医師もいるかもしれないが,そんな修道士のような人間がそういるわけもないし,強制したりお願いするものではないだろう. 「必要なのは弱い者に共感する心です」確かに患者に共感することは医師の基本的な資質であると思う.だが,それは医師の心に余裕がある場合の話だろう.就職難を避けて医師になるものが増え,医師になっても過労で肉体的余裕も無く,医療訴訟に怯える毎日というのでは無理な話だ.
最後に,この記事に一言いわせてもらおう.「医師の世界も同じではないか。厚労省は、病院長や開業を目指す医師にへき地などで一定期間の実務を義務付ける構想を導入しようとしたが、関係者の反対に遭い、見送ったと聞く。残念なことである。」とあるが,これこそ医療に無知なマスコミの暴言だと思う.マスコミが自分の価値観で放言するだけでは無意味だろう.
もっとも,マスコミの場合,何を言っても言論の自由ですまされ,社会に与えた影響の責任もとらないわけだから,なんとも気楽な商売だと思うのは私だけだろうか.
地方の医療が崩壊の危機にある。離島、山村などへき地は言うに及ばず、地方都市も小児科や産婦人科などの医師はどこでも足りない。半面、都会では大きな病院で充実した先端医療が受けられる。医療格差是正へ国が対策に本腰を入れるのは当然だが、今後の医療の担い手になる若者たちの意識に問題はないのか。
22日に96歳で亡くなった農村医療の泰斗、若月俊一(わかつき・としかず)さんの生き方を思い返してみたい。
1995年に「地域医療の原点」をテーマに全国を取材した。かつて老人医療費を無料にした岩手県沢内村(現西和賀町)をはじめ、新潟県・八海山のふもとにある「ゆきぐに大和病院」など各地の関係者に話を聞くと、どこでも決まって若月さんの名前が出た。
1910年、東京・芝の洋品店に生まれ、東京帝大医学部を卒業。45年3月に赴任した長野県の佐久病院(現佐久総合病院)で、「予防は治療に勝る」として巡回診療や集団健診を柱とする健康管理方式を取り入れ、新しい農村医療として注目された。
「必要なのは弱い者に共感する心です」。若月さんの主張に共鳴する医師の卵が次々と同病院の門をたたき、ここから各地の病院へ散らばっていった。自治医大の卒業生たちも積極的に地方医療を支えてきた。
しかし、この10年、医療過誤訴訟、研修医の過労死問題など医療をめぐる流れも変わり、若い医師の意識も変わってきた。それが決定的になったのは2004年から義務付けられた2年間の臨床研修だ。受け入れ態勢のしっかりした都会の病院に希望者が集中し、地方病院離れが進んだ。
この結果、へき地の医療はさらに厳しくなることが予想され、厚生労働省は大学医学部の地域枠拡充や、一定期間、地元で医療に従事することを条件にした奨学金の増額などいくつかの打開策を打ち出そうとしている。
しかし、問題は国の施策だけではない。医療に携わる側の意識も大きい。都会育ちの若月さんが信州の地にこだわり続けた理由は何だったのか。田舎のおじちゃん、おばちゃんの診察を続けることによっていくつもの人間ドラマに出合い、自身も成長する醍醐味(だいごみ)を味わったからだろう。それこそ医療の原点というものだ。
新聞記者の世界でも入社後の地方勤務は常識で、わたしも10年ほど支社局にいた。地方で暮らす人々の気持ちが分からなければ、中央で記事を書かせるわけにはいかない、との判断からである。
医師の世界も同じではないか。厚労省は、病院長や開業を目指す医師にへき地などで一定期間の実務を義務付ける構想を導入しようとしたが、関係者の反対に遭い、見送ったと聞く。残念なことである。
離島の外科医を主人公にしテレビドラマにもなった「Dr.コトー診療所」(小学館)というコミックがある。この作品に心を動かされた医師の卵がいたら、若月さんが書いた「村で病気とたたかう」(岩波新書)も読んで地方の現場で一時期、汗を流すことを考えてほしい。(共同通信編集委員 上野敏彦)』
こんな記事を読んだら,僻地で働いている医師達は激怒するか,ため息をつくかのどちらかだろう.そもそも離島、山村などへき地の場合と地方都市では医師不足は同じでもその理由が違う.医師不足は医療に携わる側の意識の問題というのは見当違いもいいところで,こういう精神論の嘘こそ地方都市の医師不足の元凶であることをマスコミは知るべきだろう.地方都市の医師は忙しすぎて疲弊しているのであって,やる気がないわけではないだ.
私は脳神経外科医なので離島や僻地で働いたことはないが,十分な施設もなく人手も足りないところで頑張っても事故があれば刑事訴訟になるのでは怖くて働けないだろう.臨床研修で受け入れ態勢のしっかりした都会の病院に希望者が集中するのは,研修医が自分の身を守れるだけのスキルを身につけ,少しでも労働条件のよい職場につきたいと願うからである.
中には自己犠牲の精神で働く若い医師もいるかもしれないが,そんな修道士のような人間がそういるわけもないし,強制したりお願いするものではないだろう. 「必要なのは弱い者に共感する心です」確かに患者に共感することは医師の基本的な資質であると思う.だが,それは医師の心に余裕がある場合の話だろう.就職難を避けて医師になるものが増え,医師になっても過労で肉体的余裕も無く,医療訴訟に怯える毎日というのでは無理な話だ.
最後に,この記事に一言いわせてもらおう.「医師の世界も同じではないか。厚労省は、病院長や開業を目指す医師にへき地などで一定期間の実務を義務付ける構想を導入しようとしたが、関係者の反対に遭い、見送ったと聞く。残念なことである。」とあるが,これこそ医療に無知なマスコミの暴言だと思う.マスコミが自分の価値観で放言するだけでは無意味だろう.
もっとも,マスコミの場合,何を言っても言論の自由ですまされ,社会に与えた影響の責任もとらないわけだから,なんとも気楽な商売だと思うのは私だけだろうか.
『 タバコの使用はいかなる形式であっても心筋梗塞のリスクを増大させる
喫煙の有害性と心血管系リスクは国や文化の境界を超えており、紙巻タバコ1本吸うごとに心筋梗塞発症のリスクが1.056倍に増えることが、大規模患者対照研究で示された
Reviewed by Gary D. Vogin, MD
タバコを吸うと、非致死性の心筋梗塞(MI)のリスクが有意に増加し、それは直接喫煙あるいは受動喫煙かにかかわらず、世界各地で見られるさまざま曝露形式から独立していることが、大規模な国際的患者対照研究で示された。この知見は、喫煙や他の方法によるタバコの使用が心疾患の原因となっていることを示す、大量の疫学的証拠に対する世界的な認識をいっそう強めるものである。
『Lancet』8月19日号に掲載された今回の分析では、現在の喫煙行為には、まったく喫煙経験がない者の調整したMIリスクを3倍近くにする有害性があり、その有害性はタバコの使用方法を変えても回避出来ないことが示されている。この研究ではタバコの影響について、無煙タバコだけでなく、南中央アジアなど特定の地域に主に限定されているあまり一般的でない喫煙方法についても調べられた。
「今回の結果は、タバコがいかなる形式であっても有害であることを示している」と、著者であるマクマスター大学(オハイオ州ハミルトン)のKoon K. Teo, MDらが記述している。その他の注目すべき知見としては、1日の紙巻タバコ消費本数が例え2,3本であっても、消費本数とMI発症の可能性傾向との間に有意な用量反応関係があることなどである。
この研究に関して、マサチューセッツ大学医学部(ウースター)のIra S. Ockene, MDがheartwireに寄せたコメントによれば、今回の研究はかなり昔の仕事を再現したものだが、地理的な面だけでなく、タバコ曝露のほぼすべての形式にわたり検討した点で、世界的に客観性を含んだ「これまで以上の大きな成果もある」。今回のデータの中では、噛みタバコと受動喫煙のリスクに関するデータが重要であり、「タバコを止めたことで利益が得られるのにかかる時間についての、これまでの知見がさらに進んだ」と、博士は述べた。しかし、禁煙することで肺癌リスクが改善されるためには多年を要するのに対して、心血管系への利益は比較的早期に現われることについては、ほとんどの心臓専門医でもその真の価値を認識していないと、博士は言う。
heartwireとのインタビューの中で、筆頭著者のTeo博士も禁煙で劇的に現われる利益について言及した。「たとえヘビースモーカーであっても、リスクは約半分になる。禁煙するのに遅すぎることはなく、その利益はかなり早くに現われる。これが私が今、患者に向けて伝えているメッセージだ」。
Teo博士らは、急性MIの初回患者12,133例と、年齢・性別をマッチングさせた地域住民対照群14,435例を対象にして、タバコ使用の種類を調査した。募集した国は、ほぼ全大陸の52カ国に及ぶ。極めて一般的な使用方法である紙巻タバコ喫煙を、人口統計学的、地理学的、そして他の変数で調整した分析では、
・総じて、現在の喫煙者における非致死性MIのリスク(オッズ比[OR])は禁煙経験のない者に対して2.95(P<0.0001)であった。リスクは、高齢者よりも若年者で高く、男性よりも女性で低かった。
・過去の喫煙者で、止めてから3年以内の者のリスクはほんの1.85であった。い一方、タバコを止めて20年経った者でもリスクは1.22で持続した。
・MIリスクは、1日の紙巻タバコ喫煙数が1本から9本の者では1.63であったが、1日に20本を超えると4.59に激増した(いずれの結果ともP<0.0001)。分析によれば、1日に吸う本数が1本増えるごとに、リスクが5.6%増加した。
・コントロール群のうち、受動喫煙に曝露していないと報告したものは半分に満たなかった。1週間の曝露時間が1時間から7時間までの者であっても、MIリスクはまったく曝露しない者に比べて1.24になり、有意に高かった。曝露時間が1週間あたり21時間を超えると、このリスクは1.62に達した。
有害性は、従来の紙巻タバコに限られていなかった。本研究グループが「少量のタバコを乾燥したボンベイコクタンの葉で巻き糸で縛ったもの」と記載した、南アジアでは紙巻タバコより一般的な糸で縛った手巻きタバコ(ビーディ)の喫煙によるリスクは、タバコ未経験者に比べて2.89になった。中東で一般的な喫煙方法である水パイプを通した水タバコ(シーシャ)のリスクは、2.16であった。
タバコ製品を喫煙しないで用いる方法は、南中央アジアで最も一般的である。製品自体を噛む噛みタバコでは、MIリスクが2倍以上になった。噛みタバコと紙巻タバコの喫煙を両方行う者のMIリスクは、未喫煙者の4倍になった。
こうした情報は、自らの喫煙方法が紙巻タバコと同程度に有害であるとは思っていないことが多い多様な文化背景の患者を指導する際に有用だと、Teo博士は言う。「例えば南アジア出身の患者に、(タバコの)有害性が北米の研究で証明されたと話したとしても、患者は、それは米国人やカナダ人についてであって、自分は違う国の出身だと言うでしょう」。そうした場合にも今回の研究の説得力は強いはずだと、博士は述べた。
関連する論説記事において、「莫大な量のデータから得られた今回の圧倒的な結論とは、タバコ曝露は、紙巻タバコ、パイプ、葉巻、ビーディ、シーシャ、煙なしであろうが、受動喫煙または能動喫煙であろうが、フィルター付きであろうがなかろうが、ほんの少量であろうが、世界中の男性と女性において心筋梗塞の原因として大きな部分を占める、ということだ」と、ハーバード大学公衆衛生学部(マサチューセッツ州ボストン)のSarah A. Rosner博士とMeir J. Stampfer博士が記している。「ほんの低レベルの能動喫煙であってもリスクが顕著に増大するという知見は、受動喫煙も大きなリスク因子であることの信憑性をさらに高めるものである」Lancet. 2006;368:621-622, 647-658.』
これでも人前で煙草を吸う人は,酒酔い運転で他車に追突して死亡事故を起こす運転手と基本的にはあまり差がないと思います.もちろん自分が死亡するリスクの方が高いですが.
喫煙の有害性と心血管系リスクは国や文化の境界を超えており、紙巻タバコ1本吸うごとに心筋梗塞発症のリスクが1.056倍に増えることが、大規模患者対照研究で示された
Reviewed by Gary D. Vogin, MD
タバコを吸うと、非致死性の心筋梗塞(MI)のリスクが有意に増加し、それは直接喫煙あるいは受動喫煙かにかかわらず、世界各地で見られるさまざま曝露形式から独立していることが、大規模な国際的患者対照研究で示された。この知見は、喫煙や他の方法によるタバコの使用が心疾患の原因となっていることを示す、大量の疫学的証拠に対する世界的な認識をいっそう強めるものである。
『Lancet』8月19日号に掲載された今回の分析では、現在の喫煙行為には、まったく喫煙経験がない者の調整したMIリスクを3倍近くにする有害性があり、その有害性はタバコの使用方法を変えても回避出来ないことが示されている。この研究ではタバコの影響について、無煙タバコだけでなく、南中央アジアなど特定の地域に主に限定されているあまり一般的でない喫煙方法についても調べられた。
「今回の結果は、タバコがいかなる形式であっても有害であることを示している」と、著者であるマクマスター大学(オハイオ州ハミルトン)のKoon K. Teo, MDらが記述している。その他の注目すべき知見としては、1日の紙巻タバコ消費本数が例え2,3本であっても、消費本数とMI発症の可能性傾向との間に有意な用量反応関係があることなどである。
この研究に関して、マサチューセッツ大学医学部(ウースター)のIra S. Ockene, MDがheartwireに寄せたコメントによれば、今回の研究はかなり昔の仕事を再現したものだが、地理的な面だけでなく、タバコ曝露のほぼすべての形式にわたり検討した点で、世界的に客観性を含んだ「これまで以上の大きな成果もある」。今回のデータの中では、噛みタバコと受動喫煙のリスクに関するデータが重要であり、「タバコを止めたことで利益が得られるのにかかる時間についての、これまでの知見がさらに進んだ」と、博士は述べた。しかし、禁煙することで肺癌リスクが改善されるためには多年を要するのに対して、心血管系への利益は比較的早期に現われることについては、ほとんどの心臓専門医でもその真の価値を認識していないと、博士は言う。
heartwireとのインタビューの中で、筆頭著者のTeo博士も禁煙で劇的に現われる利益について言及した。「たとえヘビースモーカーであっても、リスクは約半分になる。禁煙するのに遅すぎることはなく、その利益はかなり早くに現われる。これが私が今、患者に向けて伝えているメッセージだ」。
Teo博士らは、急性MIの初回患者12,133例と、年齢・性別をマッチングさせた地域住民対照群14,435例を対象にして、タバコ使用の種類を調査した。募集した国は、ほぼ全大陸の52カ国に及ぶ。極めて一般的な使用方法である紙巻タバコ喫煙を、人口統計学的、地理学的、そして他の変数で調整した分析では、
・総じて、現在の喫煙者における非致死性MIのリスク(オッズ比[OR])は禁煙経験のない者に対して2.95(P<0.0001)であった。リスクは、高齢者よりも若年者で高く、男性よりも女性で低かった。
・過去の喫煙者で、止めてから3年以内の者のリスクはほんの1.85であった。い一方、タバコを止めて20年経った者でもリスクは1.22で持続した。
・MIリスクは、1日の紙巻タバコ喫煙数が1本から9本の者では1.63であったが、1日に20本を超えると4.59に激増した(いずれの結果ともP<0.0001)。分析によれば、1日に吸う本数が1本増えるごとに、リスクが5.6%増加した。
・コントロール群のうち、受動喫煙に曝露していないと報告したものは半分に満たなかった。1週間の曝露時間が1時間から7時間までの者であっても、MIリスクはまったく曝露しない者に比べて1.24になり、有意に高かった。曝露時間が1週間あたり21時間を超えると、このリスクは1.62に達した。
有害性は、従来の紙巻タバコに限られていなかった。本研究グループが「少量のタバコを乾燥したボンベイコクタンの葉で巻き糸で縛ったもの」と記載した、南アジアでは紙巻タバコより一般的な糸で縛った手巻きタバコ(ビーディ)の喫煙によるリスクは、タバコ未経験者に比べて2.89になった。中東で一般的な喫煙方法である水パイプを通した水タバコ(シーシャ)のリスクは、2.16であった。
タバコ製品を喫煙しないで用いる方法は、南中央アジアで最も一般的である。製品自体を噛む噛みタバコでは、MIリスクが2倍以上になった。噛みタバコと紙巻タバコの喫煙を両方行う者のMIリスクは、未喫煙者の4倍になった。
こうした情報は、自らの喫煙方法が紙巻タバコと同程度に有害であるとは思っていないことが多い多様な文化背景の患者を指導する際に有用だと、Teo博士は言う。「例えば南アジア出身の患者に、(タバコの)有害性が北米の研究で証明されたと話したとしても、患者は、それは米国人やカナダ人についてであって、自分は違う国の出身だと言うでしょう」。そうした場合にも今回の研究の説得力は強いはずだと、博士は述べた。
関連する論説記事において、「莫大な量のデータから得られた今回の圧倒的な結論とは、タバコ曝露は、紙巻タバコ、パイプ、葉巻、ビーディ、シーシャ、煙なしであろうが、受動喫煙または能動喫煙であろうが、フィルター付きであろうがなかろうが、ほんの少量であろうが、世界中の男性と女性において心筋梗塞の原因として大きな部分を占める、ということだ」と、ハーバード大学公衆衛生学部(マサチューセッツ州ボストン)のSarah A. Rosner博士とMeir J. Stampfer博士が記している。「ほんの低レベルの能動喫煙であってもリスクが顕著に増大するという知見は、受動喫煙も大きなリスク因子であることの信憑性をさらに高めるものである」Lancet. 2006;368:621-622, 647-658.』
これでも人前で煙草を吸う人は,酒酔い運転で他車に追突して死亡事故を起こす運転手と基本的にはあまり差がないと思います.もちろん自分が死亡するリスクの方が高いですが.
いつかはハワイで散歩写真
2006年8月5日 医療の問題
夏休みといえばハワイにいく人も多いのだろうが,私はもう何年も行っていない.毎年,候補にあがるのだが何かの理由で却下されてしまうのだ.今年も他に予定が入って日程的に厳しくなったのと,子供の希望優先でやはり却下となった.
行っても特に何かをしたいというわけでもないのだが,なかなか行けないとなると南の島というのは行きたくなるものだ.せめてコダクロームがまだ残っているうちにハワイで散歩写真を撮りたいものだ.
では,皆さま今週もご苦労様でした.天気が良くて気温が上がると熱射病や脱水による脳梗塞のリスクが高まります.週末はスケジュールに余裕を持ち水分補給などに気をつけて安全に休日を楽しんでください.
行っても特に何かをしたいというわけでもないのだが,なかなか行けないとなると南の島というのは行きたくなるものだ.せめてコダクロームがまだ残っているうちにハワイで散歩写真を撮りたいものだ.
では,皆さま今週もご苦労様でした.天気が良くて気温が上がると熱射病や脱水による脳梗塞のリスクが高まります.週末はスケジュールに余裕を持ち水分補給などに気をつけて安全に休日を楽しんでください.
『 -- 医療費 --
病気やけがの治療で医療機関に支払われた医療費の総額は、国民医療費と呼ばれ、患者負担も含む。2003年度は31兆5000億円で過去最高。内訳は保険料が50%、国と地方自治体が34%、患者負担は16%。経済協力開発機構(OECD)によると、各国で医療費の定義に差があるものの、GDPに占める医療費の割合(03年)は、日本は8・0%。先進7カ国の中で一番高いのは米国で15・2%。ドイツ(10・9%)、フランス(10・4%)なども高い。日本は英国(7・9%)と並んで低い水準。』
皆保険制度と現在の医療水準を維持したいならせめて医療費のGDPに占める比率は10%と法律で定めてもらいたいと思うのは私だけだろうか.
それとも2007年問題もあるから医療費を下げて医療水準を下げれば一石二鳥とでも考えているのだろうか.
病気やけがの治療で医療機関に支払われた医療費の総額は、国民医療費と呼ばれ、患者負担も含む。2003年度は31兆5000億円で過去最高。内訳は保険料が50%、国と地方自治体が34%、患者負担は16%。経済協力開発機構(OECD)によると、各国で医療費の定義に差があるものの、GDPに占める医療費の割合(03年)は、日本は8・0%。先進7カ国の中で一番高いのは米国で15・2%。ドイツ(10・9%)、フランス(10・4%)なども高い。日本は英国(7・9%)と並んで低い水準。』
皆保険制度と現在の医療水準を維持したいならせめて医療費のGDPに占める比率は10%と法律で定めてもらいたいと思うのは私だけだろうか.
それとも2007年問題もあるから医療費を下げて医療水準を下げれば一石二鳥とでも考えているのだろうか.
賠償責任保険を2億円にして欲しい
2006年8月1日 医療の問題 コメント (6)『 -- 医療ミス:枚方市民病院のミスを認定 1億5900万円賠償命令 --
くも膜下出血で左の手足に重い運動障害を負った大阪府枚方市の男性(32)が、医療ミスが原因だとして、枚方市民病院を運営する同市に2億1343万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。角隆博裁判長は「髄膜炎と診断し、くも膜下出血を見落とした」と担当医の過失を認め、同市に1億5908万円の支払いを命じた。
判決によると、男性は02年1月19日、頭痛や発熱などを訴えて同病院を受診。担当の内科医が髄膜炎と診て治療した結果、いったん症状が改善し、2月2日に退院した。ところが、男性は同9日、自宅で意識をなくし、脳動脈瘤(りゅう)が再破裂したことによる重いくも膜下出血と分かった。』
くも膜下出血の見落としというのは出血量が少なくて,強い頭痛の訴えもないような場合には起こり易いのだろう.このケースでは頭痛と発熱があったので髄膜炎を疑い髄液検査もやっていたようで,その結果を誤診した可能性を裁判では指摘されているようだ.脳神経外科の専門医であれば少しでも脳動脈瘤破裂が疑われるような状況であればまず見落とさないだろうから,この内科医にはかわいそうだが控訴しても勝ち目はないだろう.
それにしても1億5900万円とは死亡事故なみの額であるが,日本脳神経外科学会の医師賠償責任保険は1事故1億円までである.最近の医療事故の賠償金は1億2000万〜1億5000万円となってきているのだから保険金も1事故2億円にしてもらいたいものだ.自動車事故の対人損害賠償だって2億円になっているくらいだから保険料が倍になってもそろそろ増額してもらいたいと思うのは私だけだろうか.
くも膜下出血で左の手足に重い運動障害を負った大阪府枚方市の男性(32)が、医療ミスが原因だとして、枚方市民病院を運営する同市に2億1343万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。角隆博裁判長は「髄膜炎と診断し、くも膜下出血を見落とした」と担当医の過失を認め、同市に1億5908万円の支払いを命じた。
判決によると、男性は02年1月19日、頭痛や発熱などを訴えて同病院を受診。担当の内科医が髄膜炎と診て治療した結果、いったん症状が改善し、2月2日に退院した。ところが、男性は同9日、自宅で意識をなくし、脳動脈瘤(りゅう)が再破裂したことによる重いくも膜下出血と分かった。』
くも膜下出血の見落としというのは出血量が少なくて,強い頭痛の訴えもないような場合には起こり易いのだろう.このケースでは頭痛と発熱があったので髄膜炎を疑い髄液検査もやっていたようで,その結果を誤診した可能性を裁判では指摘されているようだ.脳神経外科の専門医であれば少しでも脳動脈瘤破裂が疑われるような状況であればまず見落とさないだろうから,この内科医にはかわいそうだが控訴しても勝ち目はないだろう.
それにしても1億5900万円とは死亡事故なみの額であるが,日本脳神経外科学会の医師賠償責任保険は1事故1億円までである.最近の医療事故の賠償金は1億2000万〜1億5000万円となってきているのだから保険金も1事故2億円にしてもらいたいものだ.自動車事故の対人損害賠償だって2億円になっているくらいだから保険料が倍になってもそろそろ増額してもらいたいと思うのは私だけだろうか.
外科医を減らすつもり?
2006年7月26日 医療の問題 コメント (4)『-- 診療報酬:医師の技量で格差 「競争原理」検討へ----中医協 --
厚生労働相の諮問機関、中央社会保険医療協議会(中医協)は今月末から、医師の技能に応じて診療報酬にランクをつける検討を始める。手術のうまい医師の収入をアップさせる競争原理の導入で、個々の能力を高めるのが狙い。次期診療報酬改定(08年度)での導入を目指すが、医師側には能力評価への拒否反応が強く、どのように、どこまで差をつけられるかなどが課題になる。
医療技術を診療報酬で評価するため、従来は手術件数の多い医療機関に報酬を上乗せしていたが、「手術件数と治療成績の因果関係が不明」として、06年度の改定でいったん廃止された。このため、中医協は31日「手術に係る施設基準等調査分科会」を設置し、医療機関の手術数と成績に関するデータをそろえて検証をスタートさせる。
これを機に、「技術をもつ医師は個人としても評価されるべきだ」という考えの厚労省は、医療機関の手術数だけでなく、医師個人の手術数と治療成績の関係も分科会で調べることにした。
現行の診療報酬は、医師の技量にかかわらず一律で、これが能力向上を妨げているほか、腕のいい医師に謝礼を払う慣行がなくならず、医療費の不透明さを招いている、との指摘がある。
同省は、初・再診料や手術料に医師の技術次第で差をつけ、最高と最低の医師では、手術料の差が2倍程度となるよう設定したい考えだ。
しかし、評価を受ける医師側には反対論が根強くある。日本医師会は学問的な観点からの評価は容認しているが、腕によって報酬に差をつけることについては「数を稼ぐ目的での手術の乱発もおこりうる。医師に点数までつけるのはどうか」と慎重な姿勢を崩していない。』
手術のうまい医師の収入をアップさせる競争原理の導入で、個々の能力を高めるのが狙いというのは本当だろうか.最高と最低の医師で手術料の差が2倍程度となる設定とはいっても,どうせ以前に施設の手術数でやったのと同様に最高の医師の技術料が今までどおりで,最低の医師を50%減額して診療報酬を減らすのが目的だろう.
http://diarynote.jp/d/41284/20040408.html
仮に最高ランクの医師の技術料がアップしたとしても,経営の厳しい病院ではそれが医師の収入アップにつながることなんて期待できない.健康保険制度下で「競争原理」を導入したら,腕のいい医者は都市部の経営のいい病院に集まり,地方の公立病院の外科医はいなくなることだろう.医師個人の技量で評価するなら経験の足りない若い外科医の手術の機会もさらに減少するのではないだろうか.
結果として都市部と地方の医療格差の拡大と外科医志望の医師のさらなる減少をまねくことが危惧される.中途半端な「競争原理」の導入はむしろ健康保険医療の崩壊を加速させるだけではないだろうか.現場を知らない懲りない人たちのつまらないアイデアが医療をさらに荒廃させていくのだろう.
厚生労働相の諮問機関、中央社会保険医療協議会(中医協)は今月末から、医師の技能に応じて診療報酬にランクをつける検討を始める。手術のうまい医師の収入をアップさせる競争原理の導入で、個々の能力を高めるのが狙い。次期診療報酬改定(08年度)での導入を目指すが、医師側には能力評価への拒否反応が強く、どのように、どこまで差をつけられるかなどが課題になる。
医療技術を診療報酬で評価するため、従来は手術件数の多い医療機関に報酬を上乗せしていたが、「手術件数と治療成績の因果関係が不明」として、06年度の改定でいったん廃止された。このため、中医協は31日「手術に係る施設基準等調査分科会」を設置し、医療機関の手術数と成績に関するデータをそろえて検証をスタートさせる。
これを機に、「技術をもつ医師は個人としても評価されるべきだ」という考えの厚労省は、医療機関の手術数だけでなく、医師個人の手術数と治療成績の関係も分科会で調べることにした。
現行の診療報酬は、医師の技量にかかわらず一律で、これが能力向上を妨げているほか、腕のいい医師に謝礼を払う慣行がなくならず、医療費の不透明さを招いている、との指摘がある。
同省は、初・再診料や手術料に医師の技術次第で差をつけ、最高と最低の医師では、手術料の差が2倍程度となるよう設定したい考えだ。
しかし、評価を受ける医師側には反対論が根強くある。日本医師会は学問的な観点からの評価は容認しているが、腕によって報酬に差をつけることについては「数を稼ぐ目的での手術の乱発もおこりうる。医師に点数までつけるのはどうか」と慎重な姿勢を崩していない。』
手術のうまい医師の収入をアップさせる競争原理の導入で、個々の能力を高めるのが狙いというのは本当だろうか.最高と最低の医師で手術料の差が2倍程度となる設定とはいっても,どうせ以前に施設の手術数でやったのと同様に最高の医師の技術料が今までどおりで,最低の医師を50%減額して診療報酬を減らすのが目的だろう.
http://diarynote.jp/d/41284/20040408.html
仮に最高ランクの医師の技術料がアップしたとしても,経営の厳しい病院ではそれが医師の収入アップにつながることなんて期待できない.健康保険制度下で「競争原理」を導入したら,腕のいい医者は都市部の経営のいい病院に集まり,地方の公立病院の外科医はいなくなることだろう.医師個人の技量で評価するなら経験の足りない若い外科医の手術の機会もさらに減少するのではないだろうか.
結果として都市部と地方の医療格差の拡大と外科医志望の医師のさらなる減少をまねくことが危惧される.中途半端な「競争原理」の導入はむしろ健康保険医療の崩壊を加速させるだけではないだろうか.現場を知らない懲りない人たちのつまらないアイデアが医療をさらに荒廃させていくのだろう.
厚労省得意の責任転嫁?
2006年7月25日 医療の問題 コメント (1)『 -- 日本人の寿命、6年ぶり縮む=女性85.49歳、世界一維持−厚労省 --
日本人の平均寿命は、男性が78.53歳、女性が85.49歳で、男女とも6年ぶりに前年の年齢を下回ったことが25日、厚生労働省がまとめた2005年の簡易生命表でわかった。前年と比べ、男性は0.11歳、女性は0.10歳縮んだ。
女性は1985年以来の21年連続世界一を保ったが、男性は香港、スイスに抜かれ、前年の2位から4位に落ちた。厚労省は「昨年2月から4月にインフルエンザが流行したのが影響した」とみている。 』
以前より言われていたことだが,医療費削減により今後はさらに平均寿命は縮むのだろう.癌,心臓病,脳卒中に続く死因は肺炎である.老人医療費が上がり予防接種や外来受診を控えたのが本当の原因ではないだろうか.インフルエンザが流行した影響というのが厚生労働省の言い逃れだということが今後きっと明らかになることだろう.
日本人の平均寿命は、男性が78.53歳、女性が85.49歳で、男女とも6年ぶりに前年の年齢を下回ったことが25日、厚生労働省がまとめた2005年の簡易生命表でわかった。前年と比べ、男性は0.11歳、女性は0.10歳縮んだ。
女性は1985年以来の21年連続世界一を保ったが、男性は香港、スイスに抜かれ、前年の2位から4位に落ちた。厚労省は「昨年2月から4月にインフルエンザが流行したのが影響した」とみている。 』
以前より言われていたことだが,医療費削減により今後はさらに平均寿命は縮むのだろう.癌,心臓病,脳卒中に続く死因は肺炎である.老人医療費が上がり予防接種や外来受診を控えたのが本当の原因ではないだろうか.インフルエンザが流行した影響というのが厚生労働省の言い逃れだということが今後きっと明らかになることだろう.
医師免許にも地域格差をつくってどうする?
2006年7月22日 医療の問題 コメント (5)『 -- 県により大学定員増も 医師不足問題で川崎厚労相 --
地方の医師不足が指摘されている問題で、川崎二郎(かわさき・じろう)厚生労働相は21日の閣議後会見で「人口200万人を超える県で大学が1つ、入学定数が100人しかないところでは(医師不足を)解決し得ない問題があるのではないか」と述べ、地域によっては大学医学部の入学定数を増やすことも検討していく考えを示した。
川崎厚労相は人口100万内外の県では、入学時に地域枠を設定し、卒業後に地元での医療に貢献してもらうことで、医師の需要は満たされると指摘。将来的には全国の医師数が30万人を超えると予測されているため「長期的には医師が足りないという話にはならない」とした。
同省の検討会は19日まとめた最終報告案で、大学医学部の定員増について「(卒業生の)地域定着策の実施を前提として定員の暫定的な調整を検討すべきだ」との意見を付記している。』
入学時に地域枠を設定するということは地方出身者を優遇して合格させるということで,まず大学のレベルが下がるということだ.そして地域枠で合格したら卒業後に地元での医療に貢献してもらうということは地域限定の医師免許をもらえるということだ.
それでも医師が地元にきてくれれば住民はありがたいのだろうか.そうして人手不足で財政難の地域に縛られて働くことを強制されても医師になりたい者がいるのだろうか.こんなことをして医師が増えても医療の地域格差は改善するとは思えない.地方の住民や医師志望者をずいぶんとバカにした話のように聞こえるのは私だけだろうか.
医師免許は自動車免許にたとえるとわかりやすいかもしれない.仕事だからと古い車で田舎の狭い崖の上のでこぼこ道をひとりで走り続けたいひとはいるだろうか.医師はプロドライバーである.料金は全国一律で,当直は労働時間にもならず過重労働である.どんなに疲れても乗車拒否はできず,おまけに事故を起せば警察に逮捕されマスコミの餌食となる.どこにいても我慢しなければならないならせめて都会のきれいな車で,渋滞はしても崖から転落の心配がない広い道をみんなで我慢しながら走ったほうがましだと思うのは私だけだろうか.
これが現状なのに,さらに,地方に自動車学校をつくり,地元出身者には免許をあげるかわりに田舎の道しか走ってはいけないというような川崎厚労相が医療行政のトップだというのだから頭がまともな医師はあきれて失望するしかないのである.
地方の医師不足が指摘されている問題で、川崎二郎(かわさき・じろう)厚生労働相は21日の閣議後会見で「人口200万人を超える県で大学が1つ、入学定数が100人しかないところでは(医師不足を)解決し得ない問題があるのではないか」と述べ、地域によっては大学医学部の入学定数を増やすことも検討していく考えを示した。
川崎厚労相は人口100万内外の県では、入学時に地域枠を設定し、卒業後に地元での医療に貢献してもらうことで、医師の需要は満たされると指摘。将来的には全国の医師数が30万人を超えると予測されているため「長期的には医師が足りないという話にはならない」とした。
同省の検討会は19日まとめた最終報告案で、大学医学部の定員増について「(卒業生の)地域定着策の実施を前提として定員の暫定的な調整を検討すべきだ」との意見を付記している。』
入学時に地域枠を設定するということは地方出身者を優遇して合格させるということで,まず大学のレベルが下がるということだ.そして地域枠で合格したら卒業後に地元での医療に貢献してもらうということは地域限定の医師免許をもらえるということだ.
それでも医師が地元にきてくれれば住民はありがたいのだろうか.そうして人手不足で財政難の地域に縛られて働くことを強制されても医師になりたい者がいるのだろうか.こんなことをして医師が増えても医療の地域格差は改善するとは思えない.地方の住民や医師志望者をずいぶんとバカにした話のように聞こえるのは私だけだろうか.
医師免許は自動車免許にたとえるとわかりやすいかもしれない.仕事だからと古い車で田舎の狭い崖の上のでこぼこ道をひとりで走り続けたいひとはいるだろうか.医師はプロドライバーである.料金は全国一律で,当直は労働時間にもならず過重労働である.どんなに疲れても乗車拒否はできず,おまけに事故を起せば警察に逮捕されマスコミの餌食となる.どこにいても我慢しなければならないならせめて都会のきれいな車で,渋滞はしても崖から転落の心配がない広い道をみんなで我慢しながら走ったほうがましだと思うのは私だけだろうか.
これが現状なのに,さらに,地方に自動車学校をつくり,地元出身者には免許をあげるかわりに田舎の道しか走ってはいけないというような川崎厚労相が医療行政のトップだというのだから頭がまともな医師はあきれて失望するしかないのである.
交通事故による脳脊髄液減少症の診断基準は?
2006年7月13日 医療の問題 コメント (1)『 -- 「特定疾患に認めて」 脳脊髄液減少症の全国組織 --
交通事故などに遭った後、頭痛やしびれを引き起こす脳脊髄(せきずい)液減少症の患者栂紀久代(とが・きくよ)さん(54)=大阪市=の呼び掛けで、全国の患者を支援する会「サン・クラブ」がこのほど発足した。
全国から趣旨に賛同する人が集まり、会員数は既に患者200人を含む1000人に。同会は会員を中心に患者の症状や生活への影響について8月末までに実態調査をする予定で、栂さんは「一人一人の声を国に届けることで、特定疾患として認めてもらいたい」と話している。
栂さんは1980年に鳥取県で交通事故に遭った。頭痛や体のしびれや耳鳴りに悩まされてきたが、病院では「仮病」と言われたり、「うつ病」と診断されたりした。自ら医師を探し出し、脳脊髄液減少症と診断されるまで23年かかった。
脳脊髄液減少症は脳と脊髄を覆う脳脊髄液が漏れ、液に浮かんでいる脳の位置がずれることで、頭や首、手足の痛み、記憶力低下や不眠などを引き起こす。同会によると、全国で約5000人が治療を受けているとされるが、患者数の実態は把握されていない。
腰椎(ようつい)に注射した血液の凝固作用で漏れを止める「ブラッドパッチ」という治療法があるが、厚生労働省は「学会からの要望がない」などとして健康保険の適用を認めていない。近年、重い後遺症として交通事故との因果関係を認める判決が相次いでいる。』
先日,徳島県議会が「脳脊髄(せきずい)液減少症(低髄液圧症候群)」の実態調査や治療法確立などを求める意見書を採択し小泉首相らへ提出するそうだ.裁判で後遺症として交通事故との因果関係を認めているのは知っていたが,交通事故による脳脊髄液減少症の病態については私も経験がなく文献を読んでもよく理解できない点も多い.
問題なのは,確定診断に至る診断法や診断基準などが確立されていないことや学会レベルでの認知が低いことだろう.つまり,医療者側の診断や治療の方法論が一般診療レベルに達していない状況で,患者,マスコミ,司法で病名がひとり歩きしているような感じがするのである.
患者さんのニーズがかなり強いことはこうした患者団体が存在することからもわかる.ただ,現状では特定疾患とするにしてもそれ以前にこの病態についてもっと調査研究する必要があると思うが,行政に問題提起するという点では十分意味がある行動だろう.現に,厚生労働省は「学会からの要望がない」などとして「ブラッドパッチ」に健康保険の適用を認めていないとあるが,これなどは例によって責任を医師に押し付けているだけである.
今のところ自称「脳脊髄液減少症」の患者さんが外来で声を荒げて診断書を要求するなどという事態にはなっていないが,テレビを見て自分がこの病気だと信じて疑わない人は他の疾患でもよくいるのである.厚生労働省が得意の研究班でもつくってこの病態の診断法と診断基準を早急に公示してもらいたい脳外科医はたぶん私だけではないだろう.
交通事故などに遭った後、頭痛やしびれを引き起こす脳脊髄(せきずい)液減少症の患者栂紀久代(とが・きくよ)さん(54)=大阪市=の呼び掛けで、全国の患者を支援する会「サン・クラブ」がこのほど発足した。
全国から趣旨に賛同する人が集まり、会員数は既に患者200人を含む1000人に。同会は会員を中心に患者の症状や生活への影響について8月末までに実態調査をする予定で、栂さんは「一人一人の声を国に届けることで、特定疾患として認めてもらいたい」と話している。
栂さんは1980年に鳥取県で交通事故に遭った。頭痛や体のしびれや耳鳴りに悩まされてきたが、病院では「仮病」と言われたり、「うつ病」と診断されたりした。自ら医師を探し出し、脳脊髄液減少症と診断されるまで23年かかった。
脳脊髄液減少症は脳と脊髄を覆う脳脊髄液が漏れ、液に浮かんでいる脳の位置がずれることで、頭や首、手足の痛み、記憶力低下や不眠などを引き起こす。同会によると、全国で約5000人が治療を受けているとされるが、患者数の実態は把握されていない。
腰椎(ようつい)に注射した血液の凝固作用で漏れを止める「ブラッドパッチ」という治療法があるが、厚生労働省は「学会からの要望がない」などとして健康保険の適用を認めていない。近年、重い後遺症として交通事故との因果関係を認める判決が相次いでいる。』
先日,徳島県議会が「脳脊髄(せきずい)液減少症(低髄液圧症候群)」の実態調査や治療法確立などを求める意見書を採択し小泉首相らへ提出するそうだ.裁判で後遺症として交通事故との因果関係を認めているのは知っていたが,交通事故による脳脊髄液減少症の病態については私も経験がなく文献を読んでもよく理解できない点も多い.
問題なのは,確定診断に至る診断法や診断基準などが確立されていないことや学会レベルでの認知が低いことだろう.つまり,医療者側の診断や治療の方法論が一般診療レベルに達していない状況で,患者,マスコミ,司法で病名がひとり歩きしているような感じがするのである.
患者さんのニーズがかなり強いことはこうした患者団体が存在することからもわかる.ただ,現状では特定疾患とするにしてもそれ以前にこの病態についてもっと調査研究する必要があると思うが,行政に問題提起するという点では十分意味がある行動だろう.現に,厚生労働省は「学会からの要望がない」などとして「ブラッドパッチ」に健康保険の適用を認めていないとあるが,これなどは例によって責任を医師に押し付けているだけである.
今のところ自称「脳脊髄液減少症」の患者さんが外来で声を荒げて診断書を要求するなどという事態にはなっていないが,テレビを見て自分がこの病気だと信じて疑わない人は他の疾患でもよくいるのである.厚生労働省が得意の研究班でもつくってこの病態の診断法と診断基準を早急に公示してもらいたい脳外科医はたぶん私だけではないだろう.
大学院生はいまだに奴隷生活か
2006年7月11日 医療の問題 コメント (4)『 -- 「過重労働」で事故死 医師の両親が鳥取大提訴 --
徹夜勤務明けに交通事故で死亡したのは、過重労働による極度の睡眠不足や過労が原因として、死亡した鳥取大医学部大学院生で医師だった男性=当時(33)=の両親が7日までに、鳥取大に約1億4700万円の損害賠償を求める訴訟を鳥取地裁に起こした。
訴状によると、男性は2003年3月、鳥取大病院でほぼ24時間徹夜で勤務した後、そのまま派遣先の病院へ乗用車で出勤中、大型トラックと衝突し死亡した。
男性は恒常的に長時間労働をし、事故前の3カ月は1日3時間以下の睡眠しか取れず、直前の1カ月は時間外労働が計約250時間にも及んだという。
両親は「病院が過重な労働に従事させたのは、明らかな安全配慮義務違反だ」と訴えている。
大学側は「訴状の内容を検討し、誠実に対応したい」としている。』
大学病院の医局特に外科系は昔から体育会系である.1年目は上の先生の言いなりでどんな命令でも聞かなければならなかったし,反抗すれば仕事をさせてもらえないのだった.大学院生も論文のために研究をし,上の先生の研究も手伝うのは当たり前だとしても,さらに病棟の当直をやらされたり大学病院の外来を手伝わなくてはならない理由はなんであろうか.しかも大学院生は学生だから無給で手伝うというのも変である.最近は当直料はもらえるようだが,大学で当直するより市中病院の当直料の方が何倍も高いのが当たり前である.生活のためなら市中病院で当直させるべきであろう.
大学院生は学位のために卒業後のお礼奉公といわれる地方巡業のほかに学生時代からこういった大学のスタッフのために働かなければならない義務を負わされてきたのだが,医局という言葉がなくなってもこういう慣習はなくなっていないのだろう.学費を払っているのに賦役もあるというのはおかしなことのように思えるのだが,大学院の先生たちは博士号のための大学での研究と,大学病院の先生方のお手伝いと,生活のための市中病院でのアルバイトで過重労働気味の毎日をじっと耐えているのだろう.
これでは私が大学院生の頃と何も変わってはいない.研修医の待遇は非常に改善されたようだが,これとて診療科を決めた時にそこが産婦人科や小児科やメジャー外科系のような人手不足の科であれば待っているのは過酷な労働なのである.睡眠不足で病棟カンファレンスや患者さんと話している最中に居眠りしても死亡事故になどならないが,病院間の移動中に居眠り運転で事故を起せば自分だけでなく他人をも死亡事故に巻き込む可能性は高いだろう.
大学病院の研修医不足による病院スタッフの仕事量増大のしわ寄せがより立場の弱い大学院生にまわっているとしたらまったくひどい話である.大学院生が自分から訴えることのできないことにつけ込むようなことを医局がしていないかどうかを大学側は監督する責任があるのではないだろうか.大学院生は授業料を払っている学生であるということを大学側は忘れるべきでないだろう.
徹夜勤務明けに交通事故で死亡したのは、過重労働による極度の睡眠不足や過労が原因として、死亡した鳥取大医学部大学院生で医師だった男性=当時(33)=の両親が7日までに、鳥取大に約1億4700万円の損害賠償を求める訴訟を鳥取地裁に起こした。
訴状によると、男性は2003年3月、鳥取大病院でほぼ24時間徹夜で勤務した後、そのまま派遣先の病院へ乗用車で出勤中、大型トラックと衝突し死亡した。
男性は恒常的に長時間労働をし、事故前の3カ月は1日3時間以下の睡眠しか取れず、直前の1カ月は時間外労働が計約250時間にも及んだという。
両親は「病院が過重な労働に従事させたのは、明らかな安全配慮義務違反だ」と訴えている。
大学側は「訴状の内容を検討し、誠実に対応したい」としている。』
大学病院の医局特に外科系は昔から体育会系である.1年目は上の先生の言いなりでどんな命令でも聞かなければならなかったし,反抗すれば仕事をさせてもらえないのだった.大学院生も論文のために研究をし,上の先生の研究も手伝うのは当たり前だとしても,さらに病棟の当直をやらされたり大学病院の外来を手伝わなくてはならない理由はなんであろうか.しかも大学院生は学生だから無給で手伝うというのも変である.最近は当直料はもらえるようだが,大学で当直するより市中病院の当直料の方が何倍も高いのが当たり前である.生活のためなら市中病院で当直させるべきであろう.
大学院生は学位のために卒業後のお礼奉公といわれる地方巡業のほかに学生時代からこういった大学のスタッフのために働かなければならない義務を負わされてきたのだが,医局という言葉がなくなってもこういう慣習はなくなっていないのだろう.学費を払っているのに賦役もあるというのはおかしなことのように思えるのだが,大学院の先生たちは博士号のための大学での研究と,大学病院の先生方のお手伝いと,生活のための市中病院でのアルバイトで過重労働気味の毎日をじっと耐えているのだろう.
これでは私が大学院生の頃と何も変わってはいない.研修医の待遇は非常に改善されたようだが,これとて診療科を決めた時にそこが産婦人科や小児科やメジャー外科系のような人手不足の科であれば待っているのは過酷な労働なのである.睡眠不足で病棟カンファレンスや患者さんと話している最中に居眠りしても死亡事故になどならないが,病院間の移動中に居眠り運転で事故を起せば自分だけでなく他人をも死亡事故に巻き込む可能性は高いだろう.
大学病院の研修医不足による病院スタッフの仕事量増大のしわ寄せがより立場の弱い大学院生にまわっているとしたらまったくひどい話である.大学院生が自分から訴えることのできないことにつけ込むようなことを医局がしていないかどうかを大学側は監督する責任があるのではないだろうか.大学院生は授業料を払っている学生であるということを大学側は忘れるべきでないだろう.
日数制限の根拠はなんだろう
2006年7月7日 医療の問題 コメント (1)『 -- リハビリに日数制限 撤廃求め44万人署名提出 --
診療報酬改定:リハビリに日数制限 不安訴える患者、撤廃求め44万人署名提出
◇自分の命、守れない
4月の診療報酬改定により医療保険で受けられるリハビリの期間に上限が設けられたのを受け、患者などで作る「リハビリ診療報酬を考える会」はこのほど、上限撤廃を求める約44万4000人の請願署名を厚生労働省に提出した。同省は「限られた予算で急性期に重点を置いた措置。必要かつ適切なリハビリは確保されている」と説明するが、患者らは「リハビリが受けられなくなるのでは」と危機感を募らせる。
「リハビリで寒い冬に低下した機能を取り戻してきたのに。打ち切られたら自分の命を守れない……」。03年5月に脳出血で倒れ左半身にまひが残る大阪市内の女性(49)が、不安そうな表情で話す。女性は3年間のリハビリで、バス停一つ分は歩けるようになり今も週1回病院に通う。
女性の場合、医療保険でまかなえるリハビリ期限は9月末。病院には、それ以降リハビリを受けられるかどうかは分からないと告げられた。同省は、今回の措置に伴い介護保険の利用を勧める。そこで女性が訪問介護ステーションに相談したところ、介護保険でリハビリを受けるめどは立っていないと言われた。鍼灸(しんきゅう)の通院費用も、生活保護だけではねん出が難しく、女性は「私たちの実態を見て」と訴える。
リハビリの上限は、▽呼吸器で90日▽心大血管疾患と骨折などの運動器は150日▽脳血管疾患でも180日----などとなるが、医学的に改善が期待される場合は、規定が除外される。
西宮協立脳神経外科病院の小山哲男・リハビリテーション科医長は「基準があいまいで、保険でできると思って受け入れてできなかったらどうしたらいいのか。リハビリで機能低下を防いでいる例もあるのに」と、ため息をもらす。
日本リハビリテーション医学会などは「時期にかかわらず必要なリハビリが提供できる仕組みを」などとする意見書をまとめる予定だ。』
リハビリの上限が,呼吸器で90日,心大血管疾患と骨折などの運動器は150日,脳血管疾患は180日とあるが,この日数の根拠はいったいなんなのだろうか.病院でのリハビリテーションは改善がそれ以上認められない状態がゴールと考えるから,それぞれの疾患にこれくらいの日数があれば十分という判断なのだろうが,医療費抑制の大義名分のためとはいえずいぶん一方的な話である.
もちろん,それだけではまずいと思ったので「医学的に改善が期待される場合は、規定が除外される」と付け加えたのであろうが,こんな言葉を鵜呑みにするほど医療機関はお人好しではない.おそらく実際の診療報酬請求の際には日数制限だけで一方的に査定され,それを超えたリハビリテーションが病院の赤字となると思われるからである.過去にもこのようにして痛い目をみている医療機関は,厚生労働省は病院の都合など考えないということをよく知っている.
この女性が「私たちの実態を見て」というのもよくわかる.病院で医療保険によるリハビリテーションを自費で受けることは制度的に不可能であるが,介護保険で受けられると言われているリハビリテーションが病院で受けられるものとは違うということが議論から抜け落ちているということが問題である.ちょっと考えればわかることだが,介護保険で病院と同じレベルのリハビリテーションを受けるには病院並みのコストが発生するということである.介護保険では介護レベルを越える費用は自費になるわけだから,当然患者さんの経済的負担は増えるのである.
小泉首相は6月22日の経済財政諮問会議で「歳出をどんどん切り詰めていけば『やめてほしい』という声が出てくる。増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない」と発言していたそうだから,厚生労働省も保険医療費のカットをやめてほしいと言うまで続ける気なのだろうか.診療報酬のルールを作るのはいいが,少なくともルールをそう決めた理由をわかりやすく国民に説明したり,ルールの適用をもっと明確に公示する義務が厚生労働省にはあるのではないだろうか.
診療報酬改定:リハビリに日数制限 不安訴える患者、撤廃求め44万人署名提出
◇自分の命、守れない
4月の診療報酬改定により医療保険で受けられるリハビリの期間に上限が設けられたのを受け、患者などで作る「リハビリ診療報酬を考える会」はこのほど、上限撤廃を求める約44万4000人の請願署名を厚生労働省に提出した。同省は「限られた予算で急性期に重点を置いた措置。必要かつ適切なリハビリは確保されている」と説明するが、患者らは「リハビリが受けられなくなるのでは」と危機感を募らせる。
「リハビリで寒い冬に低下した機能を取り戻してきたのに。打ち切られたら自分の命を守れない……」。03年5月に脳出血で倒れ左半身にまひが残る大阪市内の女性(49)が、不安そうな表情で話す。女性は3年間のリハビリで、バス停一つ分は歩けるようになり今も週1回病院に通う。
女性の場合、医療保険でまかなえるリハビリ期限は9月末。病院には、それ以降リハビリを受けられるかどうかは分からないと告げられた。同省は、今回の措置に伴い介護保険の利用を勧める。そこで女性が訪問介護ステーションに相談したところ、介護保険でリハビリを受けるめどは立っていないと言われた。鍼灸(しんきゅう)の通院費用も、生活保護だけではねん出が難しく、女性は「私たちの実態を見て」と訴える。
リハビリの上限は、▽呼吸器で90日▽心大血管疾患と骨折などの運動器は150日▽脳血管疾患でも180日----などとなるが、医学的に改善が期待される場合は、規定が除外される。
西宮協立脳神経外科病院の小山哲男・リハビリテーション科医長は「基準があいまいで、保険でできると思って受け入れてできなかったらどうしたらいいのか。リハビリで機能低下を防いでいる例もあるのに」と、ため息をもらす。
日本リハビリテーション医学会などは「時期にかかわらず必要なリハビリが提供できる仕組みを」などとする意見書をまとめる予定だ。』
リハビリの上限が,呼吸器で90日,心大血管疾患と骨折などの運動器は150日,脳血管疾患は180日とあるが,この日数の根拠はいったいなんなのだろうか.病院でのリハビリテーションは改善がそれ以上認められない状態がゴールと考えるから,それぞれの疾患にこれくらいの日数があれば十分という判断なのだろうが,医療費抑制の大義名分のためとはいえずいぶん一方的な話である.
もちろん,それだけではまずいと思ったので「医学的に改善が期待される場合は、規定が除外される」と付け加えたのであろうが,こんな言葉を鵜呑みにするほど医療機関はお人好しではない.おそらく実際の診療報酬請求の際には日数制限だけで一方的に査定され,それを超えたリハビリテーションが病院の赤字となると思われるからである.過去にもこのようにして痛い目をみている医療機関は,厚生労働省は病院の都合など考えないということをよく知っている.
この女性が「私たちの実態を見て」というのもよくわかる.病院で医療保険によるリハビリテーションを自費で受けることは制度的に不可能であるが,介護保険で受けられると言われているリハビリテーションが病院で受けられるものとは違うということが議論から抜け落ちているということが問題である.ちょっと考えればわかることだが,介護保険で病院と同じレベルのリハビリテーションを受けるには病院並みのコストが発生するということである.介護保険では介護レベルを越える費用は自費になるわけだから,当然患者さんの経済的負担は増えるのである.
小泉首相は6月22日の経済財政諮問会議で「歳出をどんどん切り詰めていけば『やめてほしい』という声が出てくる。増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない」と発言していたそうだから,厚生労働省も保険医療費のカットをやめてほしいと言うまで続ける気なのだろうか.診療報酬のルールを作るのはいいが,少なくともルールをそう決めた理由をわかりやすく国民に説明したり,ルールの適用をもっと明確に公示する義務が厚生労働省にはあるのではないだろうか.
臨床医学は科学かギャンブルか?
2006年7月5日 医療の問題 コメント (1)『 -- 山形大で論文データ捏造 「教授の指示」と執筆者 --
山形大医学部(山形市)麻酔科の研究チームが学会誌に発表した論文で、使われたデータの一部に捏造(ねつぞう)の疑いがあることが分かり、山形大は3日、調査委員会を設置した。論文の筆頭執筆者の20代の女性医師は調査委に対し捏造を認め「教授の指示でやった」と話しているという。
論文は、がんがリンパ節に転移する恐れのある患者に大動脈周辺のリンパ節を切除する手術をすると、膵臓(すいぞう)の機能に障害が出る可能性が高いとする内容。麻酔科教授(49)ら医局員5人との共同執筆で、2005年4月に日本麻酔科学会の準機関誌「麻酔」に掲載された。
論文では、手術を受けた患者82人について、手術前後の「血清アミラーゼ」という血液中の酵素の平均値を調べ、手術後に膵臓の異常を示す値が出たことを示したとしているが、手術前の血清アミラーゼ値を調べていない患者がおり、正常の値を代用したという。
調査委員会は今後、教授や執筆にかかわった医局員らから事情を聴き、データの基となった82人分のカルテも調べる方針。
日本麻酔科学会事務局は「執筆者から論文を撤回したいとの申し出があれば、学会誌の編集委員会で検討することになる」としている。』
この記事を読んで自分もやったような気がするが,それほどいけないことかという医師は結構いるだろう.論文のデータの捏造などとんでもないと真面目に怒る医師もきっと同じくらいいると思う.だが,自分の研究のデータのとり方や統計処理が科学的に妥当であることをきちんと説明できる医師はきっとかなり少ないのではないだろうか.
学会に出席すると,教授あるいは指導医に言われたとおりにデータを集めて,言われたとおりに統計処理し,言われたとおりに発表する若い医師がいることがすぐにわかる.この20代の女性医師は手術前の血清アミラーゼ値を正常値で代用するように教授に言われた時にいったいどの程度のことを考えたのか興味深い.何も考えずそういうものだと思ったのか,それとも悪いとは知りながらも論文を早く完成させたかったのか.後者であるとすればそれはギャンブルである.
どちらにしてもこれで研究者としての道は閉ざされるだろうから,今後は臨床で頑張ってもらうことを期待したい.昔なら教授を守るために自分の責任でやったことになっていたような気がするが,「教授の指示でやった」と言えるだけ医学部も透明性を増したことは評価してもいいかもしれない.あるいは教授の権威が凋落しただけなのかもしれないが.
ところで,大動脈周辺のリンパ節を切除する手術をすると、膵臓の機能に障害が出る可能性が高いという仮説は正しいのだろうか.医学が科学であるならばデータの捏造に関係なく誰がやっても正しいものは正しい結果になるはずである.しかし,たとえ仮説が正しくとも全体としてそういう傾向にあるということと,その患者個人に発症するということは意味が違うのが臨床医学である.
手術の合併症の説明と同意ではこの違いを理解してもらえるかどうかが大変重要ではないだろうか.最近はたとえ確率が数千分の1の避けられない合併症であっても,悪い結果に対しては手術ミスだと考える家族に当たってしまう確率が年々高くなっているようだから.このままではいずれ手術は医師にとってギャンブルになってしまうのではないかと心配である.そういう意味では医師はもっと確率に強くなる必要があるかもしれない.
山形大医学部(山形市)麻酔科の研究チームが学会誌に発表した論文で、使われたデータの一部に捏造(ねつぞう)の疑いがあることが分かり、山形大は3日、調査委員会を設置した。論文の筆頭執筆者の20代の女性医師は調査委に対し捏造を認め「教授の指示でやった」と話しているという。
論文は、がんがリンパ節に転移する恐れのある患者に大動脈周辺のリンパ節を切除する手術をすると、膵臓(すいぞう)の機能に障害が出る可能性が高いとする内容。麻酔科教授(49)ら医局員5人との共同執筆で、2005年4月に日本麻酔科学会の準機関誌「麻酔」に掲載された。
論文では、手術を受けた患者82人について、手術前後の「血清アミラーゼ」という血液中の酵素の平均値を調べ、手術後に膵臓の異常を示す値が出たことを示したとしているが、手術前の血清アミラーゼ値を調べていない患者がおり、正常の値を代用したという。
調査委員会は今後、教授や執筆にかかわった医局員らから事情を聴き、データの基となった82人分のカルテも調べる方針。
日本麻酔科学会事務局は「執筆者から論文を撤回したいとの申し出があれば、学会誌の編集委員会で検討することになる」としている。』
この記事を読んで自分もやったような気がするが,それほどいけないことかという医師は結構いるだろう.論文のデータの捏造などとんでもないと真面目に怒る医師もきっと同じくらいいると思う.だが,自分の研究のデータのとり方や統計処理が科学的に妥当であることをきちんと説明できる医師はきっとかなり少ないのではないだろうか.
学会に出席すると,教授あるいは指導医に言われたとおりにデータを集めて,言われたとおりに統計処理し,言われたとおりに発表する若い医師がいることがすぐにわかる.この20代の女性医師は手術前の血清アミラーゼ値を正常値で代用するように教授に言われた時にいったいどの程度のことを考えたのか興味深い.何も考えずそういうものだと思ったのか,それとも悪いとは知りながらも論文を早く完成させたかったのか.後者であるとすればそれはギャンブルである.
どちらにしてもこれで研究者としての道は閉ざされるだろうから,今後は臨床で頑張ってもらうことを期待したい.昔なら教授を守るために自分の責任でやったことになっていたような気がするが,「教授の指示でやった」と言えるだけ医学部も透明性を増したことは評価してもいいかもしれない.あるいは教授の権威が凋落しただけなのかもしれないが.
ところで,大動脈周辺のリンパ節を切除する手術をすると、膵臓の機能に障害が出る可能性が高いという仮説は正しいのだろうか.医学が科学であるならばデータの捏造に関係なく誰がやっても正しいものは正しい結果になるはずである.しかし,たとえ仮説が正しくとも全体としてそういう傾向にあるということと,その患者個人に発症するということは意味が違うのが臨床医学である.
手術の合併症の説明と同意ではこの違いを理解してもらえるかどうかが大変重要ではないだろうか.最近はたとえ確率が数千分の1の避けられない合併症であっても,悪い結果に対しては手術ミスだと考える家族に当たってしまう確率が年々高くなっているようだから.このままではいずれ手術は医師にとってギャンブルになってしまうのではないかと心配である.そういう意味では医師はもっと確率に強くなる必要があるかもしれない.
『 -- お産ができない! 激減する産婦人科医 柳田邦男(やなぎだ・くにお) 「現論」 --
昨年春、島根県沖に浮かぶ隠岐の島を訪ねた。町民対象の隠岐学セミナーの講師を引き受けたのだが、島の人々の悩みごとを聞いて驚いた。
「来年(つまり今年)3月でこの島には産婦人科医が1人もいなくなるので、その先は島でお産ができなくなるのです」というのだ。
私は事態を想像し絶句した。自分がこの島の若者で伴侶が妊娠中だったら、と。出産の日を待つとは、みずみずしい期待感に胸がふくらむ思いの日々のはずだ。誰でも胎児の定期健診や出産を支えてくれる医療機関が身近にあるのをあたり前だと思っている。
島の若い世代は今後、どうするのか。隠岐の島々には約2万3000人が住んでいる。隠岐病院の産婦人科医は1人だけだった。年間に約130件の出産がある。つまり医師1人が毎月10件余りの出産を担当してきたのだが、高齢出産の増加により、難しい出産に直面することもある。
陣痛はいつ始まるかわからないから、医師は年間を通じて24時間態勢でいなければならない。難産後のケア、未熟児のケアもあれば、外来もある。息抜きもできない過労を強いられていた。最後まで頑張った医師が事情があって退職するというのだ。
▽米紙も報道
私はそのことが気になっていたので、最近になって、隠岐病院の運営に携わる人に聞いた。やはりこの4月から産婦人科は閉じられていた。
出産は松江や出雲などの総合病院に行かなければならない。本土まではフェリーで約2時間半、悪天候で欠航することが多い。出雲までの航空便は1日1便で満席が多い。妊婦は1カ月位前から、本土に渡り、宿泊先で待機しなければならない。もう1人子がいると大変だ。経済的にも精神的にも負担が大きい。
町では急ぎ予算を組んで、本土での出産者に宿代・交通費として1人17万円を補助している。今年4月から11月までの出産者と出産予定者は70人に達している。この日本の異常さは、最近アメリカのワシントン・ポスト紙にルポ記事として大きく報道された。
この国は壊れつつある。続発する高級官僚、銀行、新興投資企業、一流企業などの不正事件や、若者や少年少女の凶悪事件。その報道に接する度に、そう感じる。そこに、「安心して子どもを産み育てられる」ための基盤さえが壊れ始めたのだ。
▽逮捕の衝撃
産婦人科医の減少が加速している。高齢出産などによる異常分娩(ぶんべん)や障害児出産の増加の中で、産婦人科医が医療ミスを提訴される例が全診療科の中で一番多いため、若い医師が産婦人科医になりたがらないのだ。とくに昨年福島県で帝王切開のミスを問われた医師が逮捕、起訴された事件は、研修医や医学生に衝撃を与えた。悪意でないのに凶悪事件と同じに扱われるのはいやだと。
毎年4月に全国の大学病院産婦人科に入局する新人医師数は、3年前までは300人前後だったが、今年は100人近くも激減し213人だった。大学病院の産婦人科は自らの診療態勢の維持が精いっぱいで、地域への医師派遣に苦労している。
産婦人科医が過労に陥らずに安定した診療を行うには、1病院に常勤医が2人以上必要だ。だが、大学病院以外の病院・診療所の産婦人科医数は昨年7月現在で、1施設当たり平均1.74人。1人きりの施設が多い。しかも、全国の産婦人科医の4分の1は60歳以上。10年後を考えると、慄然(りつぜん)とする。
隠岐の島では町長らが医師探しに奔走した結果、県立病院が産婦人科医を増やして、今年11月から隠岐病院に2人常勤態勢で派遣することになった。1人は海外で勤務中の島根出身の女医で、ネットで事情を知り、帰国を決意したという。
隠岐の島の事態は全国に共通する。安心して子を産めない地域は若者に見捨てられ、荒廃する。それは国土と精神の荒廃につながる。この国は言葉では郷土愛を謳(うた)うけれど、未来を担ういのちの誕生を、本気で大事に考えているのか。国の少子化対策は、この問題を視野に入れていない。出生率低下は進むばかりだろう。国、自治体、医療界、医学教育界が挙げて取り組まなければ、手遅れになる。』
原文がどのような物なのかはこの記事からはわからないが,少なくとも少子化問題と診療科による医師減少問題と僻地からの医師引き上げ問題が隠岐病院の産婦人科医を典型例として解説されているように読める.だが,本来これらは別々の問題である.
少子化は根本的に医療の問題ではないと考えるので今回はコメントしないが,診療科による不人気度では脳外科>外科>(小児科)>整形外科>産婦人科の順であり産婦人科はまだましな方である.それに産婦人科が不人気な最大の理由は今回の逮捕ではなく,もともと医療訴訟が最も多い診療科であることであろう.その次が人手不足による過重労働ではないだろうか.
僻地からの医師引き上げも産婦人科に限ったことではないし,離島どころか地方都市でさえも大学による医師引き上げが起きているのが現実である.この最大の理由は新しい臨床研修制度であることは明らかである.それでも派遣医師たちは少ない人数で過重労働に耐えながら地域の医療レベルを下げないように努力してきたことをまず最初に評価するべきである.そうでなければ現在も地方病院で頑張っている派遣医師たちはさらにやる気を失っていくことだろう.
今回の産婦人科医逮捕は晴天の霹靂だったろうが,これに端を発した医師の集約化というのは上記の慢性的な医師不足で疲弊していた産婦人科医にとってはまさに渡りに船だったのではないだろうか.医療の安全確保を合言葉に今後は上記の不人気診療科で同様の医師集約化が公然と進むにちがいない.これが現状で医療界,医学教育界がとり得る最善策であるからである.
この国は未来を担ういのちどころか,過去を担ってきたいのちも現在を担っているいのちさえも医療費抑制という一言で切り捨てようとしている国なのです.財務省,厚生労働省は医療だけでなく地方財政そのものを切り捨てようとしているのではないでしょうか.医療機関は度重なる診療報酬の減額で自分自身の生き残りに必死ですし,医学教育界も問題になっている診療科は臨床研修制度のおかげで大学で教育にあたる医師の確保さえも困難になりつつあるのにこれ以上なにができるというのでしょうか.
自分が病気になるまで,そして後遺障害で寝たきりの家族でもいないことには病院や医師の役割を真剣に考える人はいないでしょうが,柳田邦男様のような見識のある方に医療問題の実態を現場でより多角的に取材していただき,マスコミのような偏った論調ではなく,医療問題の真実を国民に伝えていただきたいものです.国も自治体も医療界も医学教育界もあてにならない現在,国民自らが危機意識を持って声を上げてもらわないことにはどうにもならないのではないかと思いますが,いかがでしょうか.
昨年春、島根県沖に浮かぶ隠岐の島を訪ねた。町民対象の隠岐学セミナーの講師を引き受けたのだが、島の人々の悩みごとを聞いて驚いた。
「来年(つまり今年)3月でこの島には産婦人科医が1人もいなくなるので、その先は島でお産ができなくなるのです」というのだ。
私は事態を想像し絶句した。自分がこの島の若者で伴侶が妊娠中だったら、と。出産の日を待つとは、みずみずしい期待感に胸がふくらむ思いの日々のはずだ。誰でも胎児の定期健診や出産を支えてくれる医療機関が身近にあるのをあたり前だと思っている。
島の若い世代は今後、どうするのか。隠岐の島々には約2万3000人が住んでいる。隠岐病院の産婦人科医は1人だけだった。年間に約130件の出産がある。つまり医師1人が毎月10件余りの出産を担当してきたのだが、高齢出産の増加により、難しい出産に直面することもある。
陣痛はいつ始まるかわからないから、医師は年間を通じて24時間態勢でいなければならない。難産後のケア、未熟児のケアもあれば、外来もある。息抜きもできない過労を強いられていた。最後まで頑張った医師が事情があって退職するというのだ。
▽米紙も報道
私はそのことが気になっていたので、最近になって、隠岐病院の運営に携わる人に聞いた。やはりこの4月から産婦人科は閉じられていた。
出産は松江や出雲などの総合病院に行かなければならない。本土まではフェリーで約2時間半、悪天候で欠航することが多い。出雲までの航空便は1日1便で満席が多い。妊婦は1カ月位前から、本土に渡り、宿泊先で待機しなければならない。もう1人子がいると大変だ。経済的にも精神的にも負担が大きい。
町では急ぎ予算を組んで、本土での出産者に宿代・交通費として1人17万円を補助している。今年4月から11月までの出産者と出産予定者は70人に達している。この日本の異常さは、最近アメリカのワシントン・ポスト紙にルポ記事として大きく報道された。
この国は壊れつつある。続発する高級官僚、銀行、新興投資企業、一流企業などの不正事件や、若者や少年少女の凶悪事件。その報道に接する度に、そう感じる。そこに、「安心して子どもを産み育てられる」ための基盤さえが壊れ始めたのだ。
▽逮捕の衝撃
産婦人科医の減少が加速している。高齢出産などによる異常分娩(ぶんべん)や障害児出産の増加の中で、産婦人科医が医療ミスを提訴される例が全診療科の中で一番多いため、若い医師が産婦人科医になりたがらないのだ。とくに昨年福島県で帝王切開のミスを問われた医師が逮捕、起訴された事件は、研修医や医学生に衝撃を与えた。悪意でないのに凶悪事件と同じに扱われるのはいやだと。
毎年4月に全国の大学病院産婦人科に入局する新人医師数は、3年前までは300人前後だったが、今年は100人近くも激減し213人だった。大学病院の産婦人科は自らの診療態勢の維持が精いっぱいで、地域への医師派遣に苦労している。
産婦人科医が過労に陥らずに安定した診療を行うには、1病院に常勤医が2人以上必要だ。だが、大学病院以外の病院・診療所の産婦人科医数は昨年7月現在で、1施設当たり平均1.74人。1人きりの施設が多い。しかも、全国の産婦人科医の4分の1は60歳以上。10年後を考えると、慄然(りつぜん)とする。
隠岐の島では町長らが医師探しに奔走した結果、県立病院が産婦人科医を増やして、今年11月から隠岐病院に2人常勤態勢で派遣することになった。1人は海外で勤務中の島根出身の女医で、ネットで事情を知り、帰国を決意したという。
隠岐の島の事態は全国に共通する。安心して子を産めない地域は若者に見捨てられ、荒廃する。それは国土と精神の荒廃につながる。この国は言葉では郷土愛を謳(うた)うけれど、未来を担ういのちの誕生を、本気で大事に考えているのか。国の少子化対策は、この問題を視野に入れていない。出生率低下は進むばかりだろう。国、自治体、医療界、医学教育界が挙げて取り組まなければ、手遅れになる。』
原文がどのような物なのかはこの記事からはわからないが,少なくとも少子化問題と診療科による医師減少問題と僻地からの医師引き上げ問題が隠岐病院の産婦人科医を典型例として解説されているように読める.だが,本来これらは別々の問題である.
少子化は根本的に医療の問題ではないと考えるので今回はコメントしないが,診療科による不人気度では脳外科>外科>(小児科)>整形外科>産婦人科の順であり産婦人科はまだましな方である.それに産婦人科が不人気な最大の理由は今回の逮捕ではなく,もともと医療訴訟が最も多い診療科であることであろう.その次が人手不足による過重労働ではないだろうか.
僻地からの医師引き上げも産婦人科に限ったことではないし,離島どころか地方都市でさえも大学による医師引き上げが起きているのが現実である.この最大の理由は新しい臨床研修制度であることは明らかである.それでも派遣医師たちは少ない人数で過重労働に耐えながら地域の医療レベルを下げないように努力してきたことをまず最初に評価するべきである.そうでなければ現在も地方病院で頑張っている派遣医師たちはさらにやる気を失っていくことだろう.
今回の産婦人科医逮捕は晴天の霹靂だったろうが,これに端を発した医師の集約化というのは上記の慢性的な医師不足で疲弊していた産婦人科医にとってはまさに渡りに船だったのではないだろうか.医療の安全確保を合言葉に今後は上記の不人気診療科で同様の医師集約化が公然と進むにちがいない.これが現状で医療界,医学教育界がとり得る最善策であるからである.
この国は未来を担ういのちどころか,過去を担ってきたいのちも現在を担っているいのちさえも医療費抑制という一言で切り捨てようとしている国なのです.財務省,厚生労働省は医療だけでなく地方財政そのものを切り捨てようとしているのではないでしょうか.医療機関は度重なる診療報酬の減額で自分自身の生き残りに必死ですし,医学教育界も問題になっている診療科は臨床研修制度のおかげで大学で教育にあたる医師の確保さえも困難になりつつあるのにこれ以上なにができるというのでしょうか.
自分が病気になるまで,そして後遺障害で寝たきりの家族でもいないことには病院や医師の役割を真剣に考える人はいないでしょうが,柳田邦男様のような見識のある方に医療問題の実態を現場でより多角的に取材していただき,マスコミのような偏った論調ではなく,医療問題の真実を国民に伝えていただきたいものです.国も自治体も医療界も医学教育界もあてにならない現在,国民自らが危機意識を持って声を上げてもらわないことにはどうにもならないのではないかと思いますが,いかがでしょうか.
病院にいる時間ー私の場合
2006年6月30日 医療の問題 コメント (1)
『 -- 医師の超過勤務、「是正に5.6万人必要」 厚労省推計 --
医師の不足や偏在の解消に向けて、厚生労働省は28日、「医師の需給に関する検討会」(座長=矢崎義雄・国立病院機構理事長)に報告書案を示した。病院などに勤務する医師の超過勤務を是正するには、最大で約5万6000人の医師が必要になると推計。ゆとりを持って働ける環境作りの必要性などを提言した。今後、専門家の議論を踏まえ、8月までに最終報告をまとめる。
同省の04年調査によると、病院や診療所で働く医師の数は約26万8000人。医師の全体数は毎年約4000人ずつ増えているが、医療現場での医師不足は深刻化しており、同省研究班の05年調査でも勤務医の勤務時間は週平均63.3時間に達する。
報告書案では、すべての勤務医の勤務時間を仮に週48時間まで減らすためには、どれだけの医師数が必要かを推計。病院にいる時間を「勤務時間」とみた場合、必要となる医師数は約32万4000人で、04年調査時と比べ約5万6000人不足。勤務時間を診療や会議などの時間に限定したとしても、約27万7000人の医師が必要となり、約9000人足りないとした。
その上で、地域や特定の診療科での医師不足を解消するためには、地域の医療ニーズを把握し医師を配置するシステム作りや、産婦人科医などを地域の拠点病院に集めて医師一人ひとりの負担を軽くする「集約化」などの必要性を指摘した。
ただ、将来推計では、病院や診療所で働く医師数は、2015年に約28万5000人、25年に約31万人、35年に約32万1000人と順調に増加すると推定され、同省は「全体では必要な医師数は供給される」と結論づけた。』
2035年になればゆとりを持って働ける環境になるんですね.あと28年ですか.団塊の世代もそのころには大分減っているのでしょうか.私もそれまでには引退して毎日昼間から散歩でもしていたいものです.
でも,この推計で勤務医の勤務時間を仮に週48時間としているのは何故なんでしょうか.厚生労働省のHPでは現在、1週間の法定労働時間は、事業場の規模と業種に応じて左上の表のようになっているはずじゃないのでしょうか.他の業種は週40時間なのに,なぜ勤務医は週48時間労働になるんでしょうか.24時間救急指定病院以外では週休2日の40時間労働でいいと思うのです.24時間救急指定病院だって8時間ずつの3交代制にするべきじゃないでしょうか.そもそもの仮定がこれでは同省の医療の安全確保と医師の不足や偏在の解消案など怪しい物だと思うのは私だけでしょうか.
ところで私の場合を考えてみると病院にいる時間は会議などの時間を除くと78時間くらいで平日の昼休み1時間を除いても73時間です.同省研究班の05年調査の勤務医の勤務時間が週平均63.3時間だというのだから10時間ほど超えています.これでも専門医になる前に比べたら少なくなったと思うのですが,それでも同期の他業種のサラリーマンに比べたら確実に多いのではないでしょうか.
「医師は知性と忍耐力にすぐれた人間がなる神聖な職業である」などと言ったらきっと世間の人は笑うでしょう.それなのに他の労働者と同じく労働条件の改善を要求してはいけないのでしょうか.
医師の不足や偏在の解消に向けて、厚生労働省は28日、「医師の需給に関する検討会」(座長=矢崎義雄・国立病院機構理事長)に報告書案を示した。病院などに勤務する医師の超過勤務を是正するには、最大で約5万6000人の医師が必要になると推計。ゆとりを持って働ける環境作りの必要性などを提言した。今後、専門家の議論を踏まえ、8月までに最終報告をまとめる。
同省の04年調査によると、病院や診療所で働く医師の数は約26万8000人。医師の全体数は毎年約4000人ずつ増えているが、医療現場での医師不足は深刻化しており、同省研究班の05年調査でも勤務医の勤務時間は週平均63.3時間に達する。
報告書案では、すべての勤務医の勤務時間を仮に週48時間まで減らすためには、どれだけの医師数が必要かを推計。病院にいる時間を「勤務時間」とみた場合、必要となる医師数は約32万4000人で、04年調査時と比べ約5万6000人不足。勤務時間を診療や会議などの時間に限定したとしても、約27万7000人の医師が必要となり、約9000人足りないとした。
その上で、地域や特定の診療科での医師不足を解消するためには、地域の医療ニーズを把握し医師を配置するシステム作りや、産婦人科医などを地域の拠点病院に集めて医師一人ひとりの負担を軽くする「集約化」などの必要性を指摘した。
ただ、将来推計では、病院や診療所で働く医師数は、2015年に約28万5000人、25年に約31万人、35年に約32万1000人と順調に増加すると推定され、同省は「全体では必要な医師数は供給される」と結論づけた。』
2035年になればゆとりを持って働ける環境になるんですね.あと28年ですか.団塊の世代もそのころには大分減っているのでしょうか.私もそれまでには引退して毎日昼間から散歩でもしていたいものです.
でも,この推計で勤務医の勤務時間を仮に週48時間としているのは何故なんでしょうか.厚生労働省のHPでは現在、1週間の法定労働時間は、事業場の規模と業種に応じて左上の表のようになっているはずじゃないのでしょうか.他の業種は週40時間なのに,なぜ勤務医は週48時間労働になるんでしょうか.24時間救急指定病院以外では週休2日の40時間労働でいいと思うのです.24時間救急指定病院だって8時間ずつの3交代制にするべきじゃないでしょうか.そもそもの仮定がこれでは同省の医療の安全確保と医師の不足や偏在の解消案など怪しい物だと思うのは私だけでしょうか.
ところで私の場合を考えてみると病院にいる時間は会議などの時間を除くと78時間くらいで平日の昼休み1時間を除いても73時間です.同省研究班の05年調査の勤務医の勤務時間が週平均63.3時間だというのだから10時間ほど超えています.これでも専門医になる前に比べたら少なくなったと思うのですが,それでも同期の他業種のサラリーマンに比べたら確実に多いのではないでしょうか.
「医師は知性と忍耐力にすぐれた人間がなる神聖な職業である」などと言ったらきっと世間の人は笑うでしょう.それなのに他の労働者と同じく労働条件の改善を要求してはいけないのでしょうか.
記者はわかってるのだろうか?
2006年6月28日 医療の問題 コメント (3)『 -- 動脈と静脈間違えて処置 患者死亡で県警捜査 --
千葉県市原市の県循環器病センター(龍野勝彦(たつの・かつひこ)センター長)は27日、約2年前にカテーテルを静脈に挿入する際、誤って動脈に刺す医療事故があり、脳に障害が残った70代の男性入院患者が25日に死亡したと発表した。
同センターから26日に連絡を受けた市原署は、死亡した男性のカルテ類の任意提出を受け、センター長らから事情を聴くなどして、業務上過失致死容疑を視野に捜査を始めた。
同センターによると、男性は2004年4月、腹部大動脈瘤(りゅう)破裂と診断され入院、手術を受けた。大腸菌による血液の凝固を防ぐため04年5月中旬、30代の担当医が薬剤を投与するため、鎖骨下の静脈にカテーテルを挿入しようとしたところ誤って動脈を刺し、出血多量で心肺停止状態になった。
男性は蘇生(そせい)術で一命を取りとめたが、重い脳障害が残り、今年2月には多剤耐性緑膿(りょくのう)菌を検出。今月25日に細菌性肺炎で死亡した。
担当医は当時、カテーテル挿入の経験があり、センター側に「やり方は熟知していた」と説明していたという。
龍野センター長は「2年前は家族の要望があり、警察に届けなかった」としている。』
たとえ事実であっても解説が不十分なためにマスコミが社会に害を及ぼした例として「白インゲン豆ダイエット法」で視聴者が下痢などを訴えた問題がある.総務省は「番組を見た1000人以上が体調不良を訴えるなど重大な被害を引き起こした」と行政指導では最も重い総務相名の警告を出し,TBS側は取締役2人を減俸20%、制作局長ら4人を2〜3日の出勤停止とするなどの処分を発表し,井上弘社長は給与の30%を自主返上することにしたそうである.
マスコミの言うことを鵜呑みにする国民にも問題がないとは言わないが,これだけ影響力があるのだから情報の発信には十分注意する社会的責任がマスコミにはあるのではないだろうか.いままでにも医療事故の不適切な報道は多々あったのだが,今回のニュースはあまりにもずさんな文章なので少しコメントさせてもらうことにした.
記事の内容としては「約2年前に大腸菌による敗血症からDICとなった男性に鎖骨下静脈穿刺による中心静脈ルートを確保しようとしたところ動脈を穿刺してしまい心肺停止となり,蘇生はしたものの脳障害が残った.今年2月に多剤耐性緑膿菌を検出し今月25日に細菌性肺炎で死亡した.」ということだろう.
だがこの記事には疑問な点がたくさんある.
1.細菌性肺炎で死亡したのなら死因は肺炎であるはず.
2.細菌性肺炎の起因菌は2月に検出された多剤耐性緑膿菌緑膿菌だったのか.
3.もしそうなら死因は院内感染による疑いがあるのではないだろうか.
4.脳障害と感染症で死亡する可能性の因果関係を合理的に証明できるか.
5.鎖骨下動脈穿刺が原因の出血多量で心肺停止することがあるのだろうか.
6.DICかつ出血多量の心肺停止がなぜ蘇生できたのか.
7.「2年前は家族の要望があり、警察に届けなかった」とはどういうことか.
それが,何故,「動脈と静脈間違えて処置 患者死亡で県警捜査」というタイトルになるのだろうか.これがもっとも疑問である.どうも不幸にして起きてしまった医療事故と患者の死亡を強引に結びつけているような印象がするのは私だけだろうか.
鎖骨下静脈穿刺という手技は皮膚の上から見えない静脈を穿刺するものであり,動脈を穿刺しての出血や肺を穿刺しての気胸などの合併症は誰がやっても起きる可能性があることもこの記事からはわからないであろう.中心静脈ルートは手足の末梢静脈から投与できない薬を使う上で必須である.頚静脈,鎖骨下静脈,大腿静脈などを穿刺するが,状況によりどこを穿刺するかは主治医の判断や経験によるものである.
外科的手技の起きうる合併症で,死亡したら訴えられるというのでは治療法として選択しにくくなるのは明らかである.患者が自分の病気を治療する際のリスクを負わないというのであれば,医師もリスクを負いたくなくなるのは当然ではないだろうか.救命救急の現場では説明と同意に時間をかけることができない場合も多い.中心静脈ルートをとるために説明に時間をかけていたら患者が蘇生もできずに死亡してしまうことだってあり得るのである.
医療現場の実態もわかってないようなマスコミが医療事故を十分な解説もせずにセンセーショナルなタイトルで報道することはいたずらに医療不信を流布し国民にとって不利益をもたらすだけだと思うのだが,こういったマスコミの行為はだれが監視し規制すべきなのだろうか.繰作された情報に流され医療者を敵にまわして高くて質の悪い医療になっては国民の利益になることは一つもないだろう.医療事故の監視と同様にマスコミの医療事故の報道を監視する第3者機関もつくったほうがいいのではないだろうか.
千葉県市原市の県循環器病センター(龍野勝彦(たつの・かつひこ)センター長)は27日、約2年前にカテーテルを静脈に挿入する際、誤って動脈に刺す医療事故があり、脳に障害が残った70代の男性入院患者が25日に死亡したと発表した。
同センターから26日に連絡を受けた市原署は、死亡した男性のカルテ類の任意提出を受け、センター長らから事情を聴くなどして、業務上過失致死容疑を視野に捜査を始めた。
同センターによると、男性は2004年4月、腹部大動脈瘤(りゅう)破裂と診断され入院、手術を受けた。大腸菌による血液の凝固を防ぐため04年5月中旬、30代の担当医が薬剤を投与するため、鎖骨下の静脈にカテーテルを挿入しようとしたところ誤って動脈を刺し、出血多量で心肺停止状態になった。
男性は蘇生(そせい)術で一命を取りとめたが、重い脳障害が残り、今年2月には多剤耐性緑膿(りょくのう)菌を検出。今月25日に細菌性肺炎で死亡した。
担当医は当時、カテーテル挿入の経験があり、センター側に「やり方は熟知していた」と説明していたという。
龍野センター長は「2年前は家族の要望があり、警察に届けなかった」としている。』
たとえ事実であっても解説が不十分なためにマスコミが社会に害を及ぼした例として「白インゲン豆ダイエット法」で視聴者が下痢などを訴えた問題がある.総務省は「番組を見た1000人以上が体調不良を訴えるなど重大な被害を引き起こした」と行政指導では最も重い総務相名の警告を出し,TBS側は取締役2人を減俸20%、制作局長ら4人を2〜3日の出勤停止とするなどの処分を発表し,井上弘社長は給与の30%を自主返上することにしたそうである.
マスコミの言うことを鵜呑みにする国民にも問題がないとは言わないが,これだけ影響力があるのだから情報の発信には十分注意する社会的責任がマスコミにはあるのではないだろうか.いままでにも医療事故の不適切な報道は多々あったのだが,今回のニュースはあまりにもずさんな文章なので少しコメントさせてもらうことにした.
記事の内容としては「約2年前に大腸菌による敗血症からDICとなった男性に鎖骨下静脈穿刺による中心静脈ルートを確保しようとしたところ動脈を穿刺してしまい心肺停止となり,蘇生はしたものの脳障害が残った.今年2月に多剤耐性緑膿菌を検出し今月25日に細菌性肺炎で死亡した.」ということだろう.
だがこの記事には疑問な点がたくさんある.
1.細菌性肺炎で死亡したのなら死因は肺炎であるはず.
2.細菌性肺炎の起因菌は2月に検出された多剤耐性緑膿菌緑膿菌だったのか.
3.もしそうなら死因は院内感染による疑いがあるのではないだろうか.
4.脳障害と感染症で死亡する可能性の因果関係を合理的に証明できるか.
5.鎖骨下動脈穿刺が原因の出血多量で心肺停止することがあるのだろうか.
6.DICかつ出血多量の心肺停止がなぜ蘇生できたのか.
7.「2年前は家族の要望があり、警察に届けなかった」とはどういうことか.
それが,何故,「動脈と静脈間違えて処置 患者死亡で県警捜査」というタイトルになるのだろうか.これがもっとも疑問である.どうも不幸にして起きてしまった医療事故と患者の死亡を強引に結びつけているような印象がするのは私だけだろうか.
鎖骨下静脈穿刺という手技は皮膚の上から見えない静脈を穿刺するものであり,動脈を穿刺しての出血や肺を穿刺しての気胸などの合併症は誰がやっても起きる可能性があることもこの記事からはわからないであろう.中心静脈ルートは手足の末梢静脈から投与できない薬を使う上で必須である.頚静脈,鎖骨下静脈,大腿静脈などを穿刺するが,状況によりどこを穿刺するかは主治医の判断や経験によるものである.
外科的手技の起きうる合併症で,死亡したら訴えられるというのでは治療法として選択しにくくなるのは明らかである.患者が自分の病気を治療する際のリスクを負わないというのであれば,医師もリスクを負いたくなくなるのは当然ではないだろうか.救命救急の現場では説明と同意に時間をかけることができない場合も多い.中心静脈ルートをとるために説明に時間をかけていたら患者が蘇生もできずに死亡してしまうことだってあり得るのである.
医療現場の実態もわかってないようなマスコミが医療事故を十分な解説もせずにセンセーショナルなタイトルで報道することはいたずらに医療不信を流布し国民にとって不利益をもたらすだけだと思うのだが,こういったマスコミの行為はだれが監視し規制すべきなのだろうか.繰作された情報に流され医療者を敵にまわして高くて質の悪い医療になっては国民の利益になることは一つもないだろう.医療事故の監視と同様にマスコミの医療事故の報道を監視する第3者機関もつくったほうがいいのではないだろうか.