脳幹の悪性腫瘍で中枢性の呼吸障害と深昏睡で人工呼吸器を装着して2ヶ月になる中年男性がいる.自発呼吸はかすかにあるが補助呼吸なしには生きられる状態にはない.

もともと家族ができるだけの治療を希望すると言っていると前医より情報提供を受けていたため呼吸が悪化し家族が到着するまでの間に呼吸器を装着せざるを得なくなった.

悪性脳腫瘍の末期で意識がなくなった場合に呼吸器をつける適応はないと思う.しかし,この場合も家族に説明し同意を得なければ問題が起きると考えられる.

だが,本当に家族の同意あるいは家族の意志にはどういう意味があるのだろうか?

本人が悪性腫瘍の予後について説明を受け自分の最期をどういうものにしたいか希望があるのならそれに従ってあげることには最期の願いを聞いてあげるという意味でやぶさかではない.

問題は本人の意思がわからない場合に家族の希望を聞くのが果たしていいのかどうかである.

意識がない状態での延命治療は本人にとっては意味がない.家族のために延命するわけである.それは場合によっては親戚が集まるための時間稼ぎであり,時には入院期間の延長による保険金目当てであることもあるだろう.

その患者の血圧が下がりはじめて大学からの当直医は患者の意志が確認できないので家族の希望で昇圧剤の投与を開始していた.この延命がなぜ家族にとって必要なのか私にはわからないし知ろうとする気も起こらない.

意識障害のある患者の最期を決定するのは患者でも医師でもなくなった.それはどうやら家族が決めることのようだ.

これが臓器移植になると本人の意志が非常に尊重される.生前の本人の同意がないと家族の意志は関係ない.もっと本人の意思があっても家族の反対にあうとやっぱりもめるようだが.

これが治療で助かる可能性がある患者の家族が治療を拒否する事態になると見殺しといった事態が起きうるのでさらに問題である.実際に親が植物状態になる可能性を話したら治療を拒否する家族もいるのだから世の中はわからない.

寝たきりになった患者を看るのも,亡くなった患者の葬儀をするのも家族だからそれでいいのかもしれない.保険金が少しでも多く出て病院の収益があがるのだから誰も困らないという考え方もあるだろう.

だが,尊厳死と言うほどではないにせよ患者の最期に対する家族の希望と医者の責任回避が一致したような感じに嫌気がしてきているのは私だけだろうか.
今日外来に来たおばあさんが話の最後に言った言葉でここ数年間の疑問が解けた.その最後の言葉とは

『わたしののんでるバーファリンというおくすりは納豆食べちゃいけないってともだちに言われたけど本当ですか?』

一瞬の沈黙の後私は答えた.

『それはワーファリンといって別な薬のことだから心配しなくていいよ』

『納豆食べれるか?』と外来で聞いてくる患者さんは珍しくないんだが,このおばあさんの歯の抜けて間延びした発音でバッファリンと言われると確かにワーファリンと聞き間違えそうだ.

例の健康番組で納豆の話でも聞いたのだろうか.

いずれにしてもなぜ納豆に関するまちがった話が広まっているのか原因がわかったような気がした.

納豆のビタミンKとワーファリンは有名な話だが,今のところブロッコリー食べても大丈夫かと聞いてきた患者さんはいない.

ワーファリンを服用している方は是非外来でワーファリン手帳というものをもらって一読することをおすすめします.
『体外受精した受精卵の一部を、母胎に戻す前に取り出して性別や遺伝病の有無などを調べる「着床前診断」を、神戸市灘区の大谷産婦人科=大谷徹郎(おおたに・てつお)院長(48)=が学会に申請せずに三例実施していたことが、四日分かった。

 着床前診断の実施を明らかにしたのは日本では初めて。異常があった受精卵は廃棄することになるため「命の選別」との批判がある着床前診断について、日本産科婦人科学会は実施条件を「重い遺伝性疾患に限る」と定め、これまで実施を承認したケースはない。

 男女産み分けは学会の認める診断の対象に含まれておらず、学会に申請せずに実施した今回のケースに専門医から批判の声が上がっているが、記者会見した大谷院長は「中絶しなくていいのならやってあげたかった。申請しても認められないのは分かっていた」と話している。

 大谷院長によると、同産婦人科では二〇〇二年ごろから着床前診断を実施。一例は高齢出産のため染色体異常がないかを心配して診断を希望した。残り二例は男女産み分けを望み、うち一例は妊娠後に流産したが、三十代女性は希望通り女児を妊娠、二月中にも出産の予定という。

 大谷産婦人科は不妊治療を専門にする「不妊センター」を併設し、体外受精のほか、卵子に精子を直接注入する顕微授精や未受精卵子の凍結など先端的な不妊治療を手掛けている。

 着床前診断はこれまでに、鹿児島大が筋ジストロフィーを対象に、北九州市の病院が習慣性流産の防止を目的に、それぞれ同学会に実施を申請したが認められず、現在、名古屋市立大と慶応大が筋ジストロフィーを対象に申請中。』

医師と親になる人が自分たちの都合で子供を作っていることがさらに明確になった.社会的コンセンサスがないまま暴走する産婦人科医にはあきれるばかりだ.

そもそも不妊が人間の生命を脅かしたり,生活機能の障害となるものではない.子供が欲しいという理由で不妊治療を行うことが親の都合と医師の利益の合致を生み出しているだけだと思う.だから本来健康保険の適応となる疾患とは異質なものだろう.

お金がないから子供をつくれない人や満足に育てられない人が世界中にたくさんいるのだが,それら親の願いはどうなるのか.不妊治療や臓器移植には多分に利己的な側面があって最近特に気になる.アジアが児童売買や臓器売買の供給源になっているのもそうしたことと無関係ではないと思う.

不妊治療を先端医療と称して多額の費用をかけて倫理問題は先送りしたり,先天性の障害を持った子供に臓器移植を行ってその苦しみを増大させたりすることにいったい何の意味があるのだろうか.

この場合は家族の希望に沿えばよいというものではないはずだ.あまりに先走る医師たちに危機感を感じるのは私だけだろうか.
北海道の地方医療の崩壊を予防するために以下の問題の解決のための方法を列挙しました。

1.名義貸し医師の医師免許取り消し
2.本人に無断で名義借りした病院の医業停止
3.大学が大学院生に大学病院で医療行為をさせることの禁止
4.医師の基準数の撤廃
5.地方病院の診療報酬のアップもしくは健康保険制度の廃止
6.臨床研修制度の廃止
7.厚生労働省の権限の縮小

『医学部を持つ全国五十一の大学で延べ約千六百人の医師が名義貸しを行っていたことが、文部科学省の調査で判明した。背景には、地方の一般病院での医者不足と大学側の若い医師の低収入・無給という問題がある。「こんな田舎に医者は来てくれない」。名義借りが判明した北海道北部の病院幹部は、構造的な問題にいら立ちを見せた。

 名義貸し問題の発火点となった北海道。東部の町立病院事務長は「厚生労働省が地方病院の医師確保についてきちんとした政策をとってこなかったから、地方にしわ寄せが来ているんだ」と不満を口にする。

 厚労省が実施した二〇〇二年度の病院立ち入り検査では、全国の四分の一の病院で医師の数が基準に達しておらず、特に北海道、東北地方では半数に上った。不足となると診療報酬などが減額されるため、経営難の地方病院は名義借りの"仕組み"を利用した。

 恒常的な医師不足を訴える公立米谷病院(宮城県)の畠山等(はたけやま・ひとし)事務長は「医師免許を取ったら地方の病院で何年か勤務するという制度を義務化してほしい」と提案。「地方であらゆる分野の経験を積むことは、医師個人にとってもプラスになるはずだ」と付け加えた。

 北海道大の西信三(にし・しんぞう)医学部長は「収入がない大学院生の生活支援として、かなり前から続いていた。安易に金が入ることに便乗した」と釈明する。「院生ともなると大学病院の立派な戦力。なのに無給状態。そういう矛盾がある」という。

 ある大学院生は「院生は授業料を払って働かされている。『仕事をすることで教えていただいている』形だけど、断ることはもちろんできない。大学を追われて島流しになる」と打ち明ける。

 地方の医師不足解消に向けて厚労省、文科省、総務省は昨年十一月、関係省庁連絡会議を設置。地域での大学、医療機関、都道府県の連携の在り方や医師養成方法などを検討中で、二月初旬までには当面の取り組みをまとめる予定。

 新人医師については、今年四月から義務化される臨床研修制度の中で一定の収入が確保され、名義貸しの一因とされた若手医師の低収入問題も部分的には手当てされることになる。

 厚労省幹部は「新しい研修制度で名義貸しも解消に向かう」と胸を張った。医学生が目指す研修先と病院側の希望をコンピューターで組み合わせる昨年十一月実施の「マッチング」の結果、研修医の大学への集中が緩和され、地域への流れが見られたためだ。

 ただ、坂口力厚労相は二十三日の閣議後会見で「研修医でなく、給料のない大学院生の問題もある。大学病院を取り巻く医療集団の在り方が問われているのだろう」と、名義貸しが突き付ける課題の重さを指摘した。』

追)すでに報道でも地方自治体名は出せなくなったらしい。出張医から敬遠されて地元はかなりのダメージを受けているのだろう。

運命

2004年2月3日
外来の最後に来た患者さんは脳梗塞だった。それ自体はめずらしいことではないが問診をしながら画像をチェックし動脈硬化がかなり強かったので喫煙本数を尋ねると1日30本だという。

自業自得と言ってしまえばそれまでだが、患者さんの人生を垣間見るような気がするのは今日に限ったことではない。

現在起きていることを説明することはできるのだが、未来に起きることを知る能力は人間にはない。だが、動脈硬化が進行して脳梗塞になってしまい、しかも脳の主幹動脈に高度狭窄をきたしているのが見つかった人の未来が明るくないことは脳外科医ならだれでも経験的に知っていることだ。

だが、今日の私はそれを意識して予後の話を避けた。理由は2つある。ひとつは患者本人に病識がなさそうで説明しても深刻さは伝わらないと感じたこと、もうひとつは患者の態度とは反対に娘さんとおぼしき女性の私の説明を聞く視線があまりにも真剣だったためである。

もしかすると彼女は父親の健康を普段から心配していたのであろうか。だが、残念ながら彼女を元気づけるようないい話をしてあげることはできないのだ。私は入院後の症状悪化の可能性を淡々と話し1ヶ月の入院見込みを告げて診察室を出た。

運命といえばそれまでなのだが、実際にこれからこの患者さんがどうなっていくのかはわからない。現在の状態に対して適切と思われる処置をして改善を待つほかはないのである。そこには私たちの感情が入り込む余地はないのだ。病気には待ったはない。

私はなぜ病気になるかという質問に適切に答えることはできないが、人間の持つ生物学的要因とそれをとりまく環境に原因があることは明らかだ。つまり病気になる人間はなるべくしてなったということである。これを運命というならそれでもよい。

人間は未来に起こることを知りえないからこそ幸せなのかもしれない。今頃になって自分が患者に説明しなかった部分についてどう説明するのがよかったのかを考えている。
『東京医科大学病院(東京都新宿区)は2日、先月31日に60代の女性患者にカテーテルを挿入した際、誤って動脈を傷つけて大量出血し、一時心臓停止に陥る医療ミスがあったと発表した。患者は一命は取り留めたが、意識が十分に回復していない。病院側は家族に謝罪するとともに厚生労働省と東京都に届け出た。同病院では昨年11月、3件の医療事故が相次いで発覚している。

 病院側によると、患者は肝硬変で肝臓がんの疑いがあり、点滴治療などのため内科医が右鎖骨の下からカテーテルを挿入するための針(太さ1・65ミリ)を刺した際、動脈を傷つけて出血。100〜200CCの血が気管を圧迫して呼吸困難となり、一時心停止した。気管切開などで蘇生したが、現在は呼びかけにわずかに反応する程度だという。

 内科医は卒業後10年目で同じ針の挿入経験は豊富だという。』

IVHカテーテルの挿入は沢山やっていれば誰でも動脈に刺したり,気胸を起こした経験はあるはずで,これを恐れていたら仕事にならない.

脳外科ではさらに危険な脳血管撮影という検査や血管内手術という治療まであり避けて通ることはできない.

しかるに最近の風潮は確率的に当然起こりうるミスであっても,その結果が悪いと刑事処分されるということである.この報道も一般の人が読むと経験豊富な医師がつい油断してミスをしたかのよう思われるかもしれない.

だが,実際には穿刺した針の先がどこに行っているかを目で見て確かめることはできない手技なのである.つまり勘と経験と指先の感覚が頼りの職人技なのだ.だから当然ミスもありうる手技なのだということが一般人には理解できないだろう.

良い医師は病気の人を助けるために最善を尽くす努力を常にしているものだ.それがもちろん前提である.しかし,最善をつくしたつもりが裏目に出たときに逮捕されるのでは医師はまったく報われない仕事となる.

こういった点にも気をつけながら医療事故というものについて一般の方々に考えていただきたい.
今夜も当直で病院にいる。医師になってからずいぶん経つが、いったい何回くらい当直したのかわからない。もっとも多かったのは大学院生だった時で1ヶ月に10日以上当直したこともあった。大学院生は無収入なのでアルバイトをしないとやっていけなかったし、大学外からの当直依頼に行く人を決める仕事もやらされたので人がいないと自分がいくはめになったりしたからだ。

専門医になる前は救急部や救急センターでの当直はいろいろな患者が来て面白かったが、それもひととおり経験し脳外科専門医になってからは内科の患者さんはすぐ内科医に依頼し、外傷も頭部外傷がなければ外科か整形外科のどちらに依頼するか決めるだけになってしまう。子供はもちろん小児科に依頼する。最近の親は自分はまったく子供を看ないくせにすぐに小児科医を呼べというような人が多いので、小児科医には悪いと思いつつもすぐに呼ぶほうが親と話す面倒がない。

現在は夜間救急患者の少ない病院なので当直は病院に泊まるだけだ。書類書きや勉強の時間ができて便利ではあるのだが退屈である。こんな当直がなぜ必要なのだか最近特に疑問を感じるようになった。救急センター以外ではもう当直医制度は廃止してもいいのではないだろうか。

外来救急患者への対応を除いた場合の当直医の必要性はなんだろうか。入院患者の急変時の対応という意味ならちゃんとした集中治療室には麻酔科医が常駐することになっている。一般病棟で危篤状態の場合には当直医ではなく主治医が残るのがいいだろう。

では、一般病室での急変時の対応と考えるかもしれないが実際にはそんなことはほとんど起こらないし、それを言うなら自宅にいてもいつ急変するかはわからないわけで応急処置は救命救急士でも看護師でもいいはずである。

当直の弊害は多い。その最たるものが無駄な医師の配置による医師の必要数の増加と病院のコストの圧迫であろう。大学病院では通常は各科当直なのでさらにたくさんの人員が必要でその結果大学院生まで働かされるわけである。地方の病院でも当直ローテーションのために大学院生にきてもらっているところも多い。

今回の名義貸し騒ぎでもっとも迷惑したのは名義貸しをしていなかったのに当直医が来なくなった地方の病院である。診療報酬はカットされ医師数が足りないとさらに収入を減らされる。その結果といえば、現場医師は少ない人手で低コストの医療を提供することを強いられ、さらに当直の回数も増えるという最悪の事態だ。

これは厚生労働省による都市と地方の医療格差の拡大の加速だと思う。そう考えるとこんな無意味な当直制度はもう廃止して夜はゆっくり休ませて欲しいのだが。こんなことを考える医師は私だけなんだろうか。

介護保険はどうなる

2004年1月19日
厚生労働省がまたも弱者救済ならぬ弱者の切り捨てをおこなおうとしているらしい.

以前は介護保険の導入のときにあったのだが,医療業界にいてもわからないくらい巧妙にサービスの低下を定着させたというのが私の感想だった.

その結果は自治体によりサービスに格差が生じ,費用もかさんで介護保険の保険料もこれからさらに増加するのは見えている.

だが,ここにきてさらにひどいことが計画されているようだ.それは介護保険に身体障害者福祉とさらに精神障害者福祉も便乗させようということである.

病院で健康保険で行われていたサービスを介護保険の名のもとに自治体まかせ保険者まかせにし,さらに公的扶助として国が行っていた身体障害者福祉も介護保険へ丸投げし,さらに今まで国がきちんと取り組んで来なかった精神障害者福祉も取り込ませるとはどういうことだ.

これでは弱い自治体ではお手上げになるのは見えている.都市と高齢者しかいない過疎の村では福祉に大きな格差が生じるに違いない.

おまけに介護保険の保険料を20歳から徴収するようにするという念の入れようだ.

自分の失敗をじぶんより弱い立場のものに押し付けさらに自分のできなかったこともやれと命令しているようなものだ.

私は,こんなことしかできないなら厚生労働省も外務省と一緒に解体してしまえといいたい.

政府として国民への福祉をきちんとやる姿勢はそこにはない.国がやっている税金の無駄使いを減らさずに,国民への福祉のコスト削減のみをやっているような厚生労働省そのものを真っ先に節税対象とするべきだ.

政府が決めた新しい制度だからきっとみんなが幸福になるなんてことがないことにそろそろ国民が気がついてもいい頃だとおもうのだが.

著作権は関係ない

2004年1月13日
韓国で日本のミュージシャンのCDが日本の半額で売られているそうだ.

著作権料も韓国では半値になるのだろうか

CDのコピーが原因で売り上げが落ちた日本の音楽業界は韓国で販売しているCDの日本への逆輸入を禁止する法律をつくらせようとしているらしい.

なぜCDの値段を韓国と同じにできないのだろうか.

そもそも日本のCDの値段は高すぎる.
それとコピーコントロールCDとかいうCD類似品も結局コピーできるから買った人はバカをみる.

今度の件でもやっぱり消費者はばかにされていると感じた.それでも買う人は買うんだろうが私はCDが半額以下になるまで買うのはもう辞めることにした.DVDレンタルのほうがずっといい.

ところでコピーといえばパソコンのソフトのコピーの問題もあるのだが,最近はネットで認証が必要なものが増えてきている.

WindowsXPは最悪.すぐに再インストールが必要になるくせに認証が面倒で,さらに毎日のようにアップデータが出るもんだから使えない時間が多いし,最新版を使うにはネットに常時つながってないとならないとは何事だ.

アップデーターのダウンロードに使った時間分ソフトの代金を払い戻したらどうだ.

それから地上波デジタル放送は1回しかコピーできないそうな.これもなんだか理由がよくわからないが著作権と関係あるのだろうか.

まあ,IT化もいいが提供する側は情報は受け手があって初めて価値がでるということを忘れてきているようだ.

情報で繰作されるだけでなく情報の入手もコントロールされるようではどこに表現の自由が残る余地があるのだろうか.
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どこかの新聞に病院での診断書料が3000円から8000円くらいまでと病院によってまちまちまちなのは困るといったことが書かれていた.

診断書料は診療情報提供書とは異なり健康保険のコスト算定の対象外であるから,病院が料金を決めていいのだからそうなるのである.

日本人にはどこでも同じ医療を受けられるのが当然のように思っている人が多いからきっと病院の料金が病院ごとに異なることに抵抗があるのだろう.

国民皆保険のもと健康保険制度がいきわたり今や保険診療の点数はだいたいどこでも標準化されてきている.これは実は査定と言って社会保険や国民健康保険といった機関が病院の診療報酬請求を監査して医療費の抑制を行うことによって達成されてきた.

つまり保険機関の目によって治療内容が意図的にコントロールされてきたわけである.だから金額的にはどこの病院にかかってもあまり大きな差はない.だから診断書料のように2倍もの差が出ることはあり得ない.

だが,よく考えて欲しい.値段が同じなら買ったものが同じ品質なんてことは普通はないってことを.保険機関はコストパフォーマンスは追及していないのだ.ただ安ければいいというのが実際の査定である.

この4月の改定では診療報酬は下げられなかったけれども最近の改定はただコストを下げていっているだけである.医療機関はコストパフォーマンスを追及するからコストが下がれば質を落とすしかない.つまり理想的な医療をする病院はつぶれていくしかないのである.

小泉首相は病院を株式会社にすると言っていたが,健康保険制度でコストを抑えられては株式会社のような自由競争はできないのだ.医学の知識もなく経営感覚にも疑問のある人に例によって無責任なことは言われたくない.

薬はディスカウントできても診療行為のディスカウントは成り立たない.診療のコストを下げること,それは生命にかけるお金を減らせと言うのと同義である.

さて,診断書の話にもどるがこれを書くというのはたいてい入院証明なのであり,高い料金をとるのもこれが生命保険などのお金を請求する際に必要になるからなのである.

実は証明は書類のみとは限らない.書類で不明瞭な点や疑問点があると生命保険会社は面談と称して調査員を病院にまで送り込んでくる.このときの面談料の相場は10000円くらいだと思う.

さて結論だが診断書は面倒なだけなので私は書きたくないのだ.診断書料は病院の副収入にすぎないからまあいくらでもいいのだが,病名と入院期間だけにしてもらいたい.そして料金は保険会社が病院に払うのがいいんじゃないでしょうか.

どうしても私が書かなきゃだめというなら,そして診断書料が自分に入るというんだったら私の場合料金は《時価》もしくは《季節料金》とつけたいところなんですが...

War is NOT OVER

2004年1月8日
久々にJohn Lennonを聞いた.
戦争は終わったどころか日本にとってはこれから悪夢がはじまろうというところである.

普段は一人またひとりという形でしか死をとらえていない脳外科医であるが,メディカルスタッフでもない一般人であれば死を現実のものとして感じるのは身近な人の死だけであろう.

John Lennonのイマジンでも聞きながら考えてもらいたい.9・11を起こしたのはビンラディン.イラク戦争はブッシュ.いずれも犠牲になったのはなんの罪もない民衆.テロ?レジスタンス?先進国の正義?理由はなんでも結果はだれがみてもただの無差別殺人だ.

大きな視点,global,そう地球規模で考えて欲しい.これは地球市民と一部の権力者たちとの戦争なのである.もちろんわが国も米国の手先としてイラクの援助という名目で犠牲を強いられるわけだ.

やっぱりどこか間違っているのではないだろうか.自衛隊が発砲してイラクの一般人に死傷者がでたら私たちはどうすればいいのであろうか.

逆に自衛隊員がやられたら米国みたいにさらなる暴力で平和を築こうとする愚行を小泉首相は正当化するつもりなのか.

きっとあなたも自分の身内が街中で爆死したら戦争についてまじめに考えることができるだろう.人間という生き物は残念ながらそういう状況にでもならないと死を自覚することができないらしい.

患者さんと話していても死に至る病気である人にかなりはっきりと死の危険を説明しても実感としてとらえることのできる人はほんのわずかのように感じる.人間は自分で経験しないと学べない生き物なのか.

太平洋戦争では軍の誤った指導のもとにたくさんの同胞が無駄死にした.どんなに愛国心で美化しようとしても戦争で死ぬのは生きものとしてはやっぱり意味のない死でしかない.そう思えるのは遺族だけなのか.

米国政府の傲慢なやり方はイラクの人々にはそろそろ嫌気がさしてきている頃だろう.家族を米国に奪われた人々にすれば小泉首相のいう国際貢献は誰の目からみても米国への忠誠心の表向きの理由としか映らない.

NASAの火星着陸は確かに人類の叡智の象徴的な歴史的到達点だが戦争という古くから人類が抱えてきた問題を一般人が地球規模で考えなければならい時がきていると思う.

日本人は戦争を自分の問題として考えないといけない.イラクで自衛隊員がやられ,自爆テロで知り合いがなくなり,北朝鮮の核ミサイルで家族を失ってからではいくらなんでも遅いだろう.
そのむかし一休禅師(大人になった一休)は正月に京の町を竹竿に髑髏(どくろ)をくくりつけて歩いたという.

今年は不景気と戦争で正月気分も盛り上がらないがこの時とばかり沢山の初詣の人がくりだしたようだ.まさに神だのみというところか.

人間はいつも死と隣り合わせであるが,これを日頃から自覚できる人は真に悟った人かもしくは自殺願望を持った変人かというくらい稀だろう.

医学会ではつい最近までは死といえば心臓死のことを指していて法的にもそうであったが,ここ数年で死体からの臓器移植のために便利な脳死という概念が死の定義として認知されるようになった.

もっとも実際の臨床では臓器移植の場合や救急部ではやくベッドを空けたい場合以外にわざわざ煩雑な脳死判定をやる必然性はないと思われるので心臓死をもってご臨終を告げるのがほとんどだろうと思われる.

脳死状態の人はどんなに生命維持のための処置をしようとも確実にほぼ1週間以内には心臓死するから死の定義としても差し支えないのである.

だが,私はあえて一歩踏み込んで考えてみたい.人の死をどのレベルで考えるのが本当はよいのかということを.

死へのステップを逆から考えてみよう.
1.全身のすべての細胞が非可逆的に機能を停止した状態.
2.すべての臓器が非可逆的に機能を停止した状態.
3.自律神経が非可逆的に機能を停止した状態.
4.中枢神経が非可逆的に機能を停止した状態.
5.意識が非可逆的に消失した状態.

これでなるほどと思われては困る.実は人間は中枢神経の一部が機能していれば意識がなくても心臓死には至らないからである.

遷延性意識障害というのはそういう状態である.だが,人間らしいコミュニケーションはなにひとつできない.生物学的には確かに生きているが,姿以外に人間らしいところはない.

これを生きている人と呼ぶのがいいのかどうかわからない.

将来,脳を他人の体に移植できるようになったらこれらの人間は死んでいることにされるのであろうか.

意識もなく寝たきりの家族をかかえる人たちはどう考えるのであろうか.

脳死臓器移植について考えるときにこういったことも一般社会の人たちに考えてもらいたいものである.

私だって...

2003年12月31日
本当は脳神経外科のすばらしさを書きたいのです.

脳卒中になったが一命をとり留め,つらいリハビリテーションを乗り越えて再び仕事や家庭で以前と同じように生活できるようになった話.

長くて危険な手術によって脳腫瘍を克服して元気になった話.

交通事故で数週間も意識がなかったのに回復して元気にリハビリして退院できた話.

だが,今の世の中そんなに単純ではない.医師も政治や経済に無頓着ではいられない.

こんな世の中だから来年こそは患者もハッピー,スタッフもハッピー,そして自分もハッピーという医療をめざしていきたい.

いつも私の日記を読んでくださってる皆様ありがとうございます.

来年も私の日記を読んで是非考えてみてください.

来年もよろしくお願いします.

製造者責任

2003年12月30日
《エイズウイルス(HIV)に感染した献血者の血液が、日本赤十字社が行う高感度の核酸増幅検査(NAT)をすり抜けて出荷され、この血液を輸血された患者がHIVに感染していたことが29日、同社の調べで分かった。99年のNAT導入以降、HIVのすり抜けは2例目だが、実際に汚染血液が患者に輸血されたのは初めて。》

こういう事態になることは当然予想されたことだ.以下にあるがそれは日赤もわかっていた.

《厚生労働省は29日夕、血液事業部会運営委員会を緊急開催し、日赤の田所憲治・事業局技監は「こういう事態は起こり得ると考えていたが、大変残念かつ深刻に受け止めている」と述べた。薬害エイズ被害者の大平勝美委員(はばたき福祉事業団理事長)は「起こり得ると考えていたのであれば、対応が遅かったのではないか」と指摘し、早急な安全対策を求めた。》

大平氏の意見は一見もっともだが,時間や費用を考えると難しいのが現実だろう.

 《献血血液の検査では、献血者がウイルスに感染した直後で、抗体やウイルスが微量のため検査をすり抜けてしまう期間(ウインドーピリオド)がある。》

最近また輸血によるB型肝炎の感染例の報告もあったが,現在の献血輸血のシステムでは完全な予防は不可能だろう.

輸血の選択肢として自家血輸血をもっと進めるとか親族や知り合いからの献血で輸血できるようにするとかして患者が自分で安全性を高められる方法があってもいいのではないだろうか.

ちょっと変に思うかも知れないが,私がこんなことを言うのには献血を自分のHIV感染のチェックのために行っている人が存在していることである.そう善意のみで献血している人には悪いが現実には自分の血液データが知りたくて献血している人もいるのである.

もし,自分がHIVに感染しているかどうか心配になる人が増えるとさらにリスクは増大するはずである.

先日も書いたが日本のHIV感染者は増加しているのである.つまり感染者の増加とともに輸血や血液製剤でのHIV感染のリスクも増大しているのである.

脳外科医の立場では輸血はなるべくしない.血液製剤も必要最小限にするという基本を忠実に守る以外に自分の患者さんを守る方法はない.

もっとも輸血が足りなくて周術期死亡するよりはHIVに感染するリスクがあっても輸血するべきなのだろうが,これにも患者の同意が必要なのはいうまでもない.

PL法というのがあったが,血液製剤にも製造者である日赤で保険をかけて感染症にかかったら最後まで面倒をみてあげるようにしたらいいのではないだろうか.

バカの壁?

2003年12月29日
年末で忙しい.今夜は病棟の忘年会兼歓送迎会におつきあい.

気持ち良く仕事を終えたいところに電話.
頭部打撲直後の1〜2歳児の母親からだったが,打撲5分後で子供の機嫌が悪いそうだ.外傷もなく他に症状はない.

打撲直後に機嫌のいい子なんているのか.

以前,「脳外科医ではダメなの?」で書いたようにまずは母親に慎重に経過をみてもらいたいところなので説明をしたら,「診てもらえないなら他へ行きます」と言って電話を切られた.

まともに話しても母親の要求は満たされないようだ.これから自宅へ帰る前に白黒はっきりさせたいらしい.脳外科医の話を聞きたいわけではなかったのだ.

母親のいいなりに頭部CT検査をやってくれる病院へ行くことになるのだろうか.これってれコンビニで「お弁当温めますか?」と聞かれて電子レンジでチンしてもらう感覚だろうか.子供の頭はコンビニ弁当じゃないんだよ.

結構こんな非常識な人が多い.非常識という言い方が悪いなら無知なのか.これがはやりのバカの壁なのかもしれないと思った.

誤解されないよう断っておくがここでの常識とは医師としての私の常識である.

新聞にはHIVの治療がちゃんと出来る病院がじきに足りなくなり病院による治療の格差が出るようなことが書いてあった.

だが,現在のHIV感染者の増加は輸入血液製剤のせいではないだろう.感染症に対して無知なことが原因だ.自分だけは感染しないとでも思っているのだろうか.社員旅行で買春なんかしてる場合じゃないんだよ.ここにも非常識な人の存在.

外来をやっていると病気というのは非常識あるいは無知が原因で発症したり増悪するものがいかに多いものかを感じることが多い.そして,まともに人の話が聞けない人が最近増えたようにも感じる.

非常識な人間の心と体を治すのが私の仕事だったのか.こんな時「だれのせいで病気になったんだ」と言えたら少しは気が晴れるだろうか.

ゆとり教育もいいけれど社会人になる前にせめて人の話をきちんと聞く態度や自分の健康管理の仕方ぐらい学んできてもらわないと「話が通じねえんだよなあ.」と言いたくもなる.

いろんな価値観が入り乱れてなるべくしてなっている社会現象なんだろうが,各分野できっと同じようなことが起きているのだろうなあ.

1年間でだいぶんストレスが溜まったみたいだ.正月休みに「バカの壁」でも読もうか.
新年からはまた気持ちをリセットしてみよう.

命の値段

2003年12月26日
今回のイラク派遣で自衛隊員が死亡した場合は遺族に9000万円が支払われるらしい.これが高いか安いかと考えることは命の値段をつけることなのであろうか.

最近の医療事故での民事訴訟の賠償金をみていると死亡時は1億円を超えることもめずらしくなくなってきている.中には1億7000万円なんていうのもあった.

本来,人の命に値段なんてないはずだから,これはやっぱり遺族救済金なのだろう.

脳神経外科学会で団体加入している医師損害賠償責任保険なんかは上限が1事故1億円であるが,これでは足りない場合が今後続出するかもしれない.

http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/NougeHaigyouMT.shtml

ここには訴訟社会での救急医療のあり方が問われているが,脳血管障害つまりブレインアタックで搬送される患者もいずれ同じ運命が待っているかもしれない.

話は変わるが,最近脳ドックで見つかった未破裂脳動脈瘤の手術で後遺障害が残ったり死亡して訴訟になるのが多いようだ.

リスクを考えると未破裂脳動脈瘤は健康保険適用外にして主治医と相談して報酬を決めるのがいいかも知れない.そして高額な保険を症例ごとにかけた方がいいのではないだろうか.

だが,手術で後遺障害が出た場合にこれを業務上過失傷害とされたら保険をかけても救われない.破裂して死亡したら業務上過失致死というのだったら,私はリスキーな手術はやめたほうがいいのだろうか.

人が病気になるのはその人の遺伝的要因と生後の環境的要因の2つが原因であって,患者が病院を受診するまでに医師はなんの責任もないはずである.

つまり医師が病気を治すということは,患者自身の問題解決の手助けをすることであるはずだ.

法的に医師が患者に病気を治す義務を負うのかどうか私にはわからないが,明確な基準が示されないまま治療の結果のみで法的に医療事故という言い方をするのには疑問を感じる.

裁判などで結果のみで損害賠償というなら病気になった本人の過失相殺という考えはなぜ出てこないのだろうか.

米国のように産婦人科医がいなくなったり,脳外科医が救急医療をやらなくなったりする前に考えておくべき問題だと思うのだが,診療報酬改定はそんなことはおかまいなしだ.

政府は良質な医療を格安で提供させ,リスクは一方的に医療従事者に負わせる方針のようであるが,そんなにうまい話が通用するだろうか.

茶番劇

2003年12月23日
『公明党代表の神崎氏は、サマワの治安情勢については「ヘルメットもかぶる必要はないと(現地の治安維持にあたっているオランダ軍の)司令官から言われた。防弾チョッキやヘルメットを着けても危険というイメージがあったが、決してそういうことはなかった」と語った。
石破防衛庁長官は21日のフジテレビの番組で「責任与党の党首が(現地を)見てきたのは非常に大きな意味がある」と語った。』

『ところが、オランダ軍司令官は、一人で町に出たのではなかった。武装された何人もの兵士が周囲を厳重に警備する理髪店内で散髪してもらっていた様子がビデオに撮られていた。』

たしかにヘルメットは着けていなかったに違いない.それでは散髪できないから...

ついでにもうひとつ

『マルシア(34)と俳優、大鶴義丹(35)の夫妻に22日、離婚危機説が浮上した。離婚の決意をしたのは妻のマルシア。大鶴が今年10月、妻の留守中に若い女性を自宅に招き入れ、その後帰宅したマルシアが“現場”を発見したという。関係者は同紙で「大鶴の浮気は今回が初めてではなかった。それでも子供のこともあり、大鶴を信頼してきたマルシアは深く悩んだ。早ければ年明けにも離婚届を提出する意向」と話している。大鶴は、父が芥川賞受賞の劇作家、唐十郎氏、母が女優、李麗仙という家庭に育ったが、その両親も平成元年に離婚している。 』

『唐十郎が23日、都内の自宅で緊急会見。この日、義丹とマルシアの双方から電話があったことを明かし、「2人と話してお互い熱い絆を探し求めていることを感じた。修復も不可能ではなく、そのために全力を尽くす」と宣言、父として仲裁に乗り出す姿勢を見せた。その切り札として夫婦共演舞台を用意することも示唆した。 』

親馬鹿で目が曇ってしまったのだろう.これだけ大根役者がそろってしまうと茶番劇以外のなにものでもない.

先生と呼ばれる懲りない人たちに芸能人も追加しておこう.


イラクへの自衛隊の派遣は年明けにも始まるらしい.任務とはいえご苦労様なことである.

テレビでは旭川駐屯地の門前で派遣反対を自衛隊員にわかって欲しい札幌や東京の市民団体のデモというのをやっていた.

自衛隊はいわば志願兵なわけだからこれは無意味だ.仕事で戦争もやるのが自衛隊で,戦闘もやるというのが今回の派遣のポイントなのだと私は思った.

小泉首相の詭弁によると国際貢献とイラクの復興支援という名目で,現地が危険なので自衛隊でなければならないということらしい.

札幌雪祭りではずいぶん昔から訓練と称して雪像づくりをやり地元の経済を潤すために多大な貢献をしてきた.来年もあくまでも任務優先だが結局は雪像をつくるらしい.札幌市長もこの不景気に雪祭りの観光客が減少しては困るので先手を打ったようだが,イラク派遣もこの程度の底の浅い考えの結果のような気がする.

日本は国際貢献や復興支援しようにも政府が動かせるのは結局自衛隊だけということなのではないだろうか.だとしたら戦闘もできる自衛隊が復興支援を手伝ってもなんの不思議もない.

むしろ変なのはアルカイダの標的となっている日本大使館の警備を米国に依頼したことだ.日本大使館は日本領土と同じはずだから本来は自衛隊もしくは警察が護衛にあたるべきなのではないだろうか.当然のごとく米国は大使館の警備は自前でするよう断った.

これらから結論されることは自衛隊は本気で戦うことを政府に止められているらしいということである.戦闘もできるが決してその機会は与えられないというのが本当のところではないか.

さらに問題がある.これから日本国内がテロの標的になる可能性が急激に高まると思われるが,いったいだれが国民を守ってくれるのかということである.自衛隊?米軍?警察?どれもたいしてあてにならないと感じるのは私だけだろうか.戦争から生き残るための本なんていうのが書店にあったが,テロに対しては国民は自衛するしかないのであろうか.

意識改革の時代2

2003年12月19日
《京都府宇治市の市立宇治小学校に刃物男が侵入、男児2人が切り付けられた事件で、小松美恵子校長らは18日夜、記者会見し、不審者が校門を通過したことを知らせる警報音のスイッチを切るなど、管理体制がずさんだったことを認めた。校長は「けがを負わせたことは残念。犯人が入りやすい状況をつくったのは申し訳ない」と、涙を浮かべながら謝罪した。》

先生と呼ばれる3つの職業といえば,医師,政治家,学校の先生である.この3つの先生の悪い共通点はと言えば,「懲りない」ということなのであろうか.

大阪教育大付属池田小学校の教訓はいったいどこに生かされていたのか?

もはや学校の安全を教師や地元の警察にまかせている場合ではないと考える.開放的でかつ侵入者に対する高いセキュリティをもった施設として学校を専門的に研究する必要がありそうだ.

病院も同様である.日本医科大学付属病院の救命救急センターの集中治療室で暴力団組長が射殺されたのは記憶に新しい.

いずれにしてもこれら施設の管理者の危機管理意識の低さも驚くべきものがある.医療事故の中にも明らかに危機管理意識の低さが一因と考えられるものが多い.

教師たちは警報音のスイッチをつける以前に池田小の事件を教訓に危機管理の考え方のスイッチを切り替える必要があったのではないだろうか.



意識改革の時代

2003年12月18日
《阿蘇郡南小国町の「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」によるハンセン病元患者の宿泊拒否問題で、ホテルの経営管理会社アイスター(東京)は十六日までに、同社に抗議文を提出したハンセン病訴訟全国原告団協議会に回答文書を送った。文書は十五日付で冒頭「今回の問題で患者、元患者に対し、結果として、大きな衝撃と精神的苦痛を与えたことを深くおわびする。二度とこのような行為を繰り返さないよう、全社を挙げて努力する」とした。
 一方で、国の隔離政策が、ハンセン病への差別、偏見を生んだと指摘。「残念ながら教育が徹底しておらず、その結果、ホテルは宿泊拒否を決定し、当社がそれを容認するに至った」と経過を説明した。
 同協議会の谺雄二会長代理(71)は「アイスターが最終的に拒否を決めたはずで、責任転嫁の姿勢は従来と変わっていない。この文書では問題は解決しない」と話した。》

公害という言葉がはやった時代もあったが,社会に害を及ぼすものの総称であったと記憶している.四日市喘息や水俣病などという地名を冠して注目されたものだ.これらは日本の高度経済成長に伴う産業構造の変化の副産物だった.

先日書いたHIV患者を親にもつ子を拒否した私立保育園や今回のハンセン元患者の宿泊を拒否したホテルもある意味同じ問題を含んでいる.
それは,これら公共的施設の管理者が人権というものに関しての常識や知識を持たないことからくる自らの反社会的行為を認識していないということだ.

つまり生産業が物をつくる過程で有害物質を環境にまきちらすのと同じようにサービス業も有害な意識を社会にまき散らすということだ.

抗議に対するアイスター側の態度がなっていないのはもともと営利追及のあまり基本的なサービスの精神がなっていないからであろう.
企業といえども社会活動として営業を行う以上は人権を侵害するようなことは許されないということがわかっていないのであろう.

行政機関や銀行や医療機関がよく取りざたされるがこういった面での意識の改革が必要な時代と思う.

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