『--兵庫県警不祥事:パトカー1台で月8件検挙がノルマ--
兵庫県警自動車警ら隊の捜査書類偽造問題で、同隊員はパトカー1台(2人勤務)で月8件の検挙を「目標」として課せられ、未達成者は始末書を提出させられていたことが2日、分かった。こうした事実上のノルマ制や実績を点数化するシステムがプレッシャーとなり、一部の隊員を書類偽造に走らせる要因になったとみられる。関係者によると、月間目標は1台当たり刑法犯6件、特別法犯2件の計8件。未達成では原因や今後の対策をまとめた始末書を提出するほか、場合によっては翌月分に積み増しされることもあった。検挙内容も、自転車盗なら「40点」、バイク盗なら「80点」などとポイント化し、隊内で競わせていた。県警調査チームのこれまでの調べでは、虚偽公文書作成容疑で立件対象となる見通しの不正処理約10件はいずれも自転車盗などの「微罪処分」の被害者でっち上げだったことが分かっている。背景には、職務質問で自転車盗を検挙しても、所有者から被害届を出してもらわないと微罪処分にできない内規があった。この場合、隊員は、正式に書類送検手続きに入るか、検挙はあきらめて署に自転車だけを引き継ぐことになる。ある元隊員は「正式な書類送検は微罪処分の3倍くらいの手間がかかり、隊員も管轄署員も手が回らないのが実情」と打ち明ける。簡単に検挙件数とポイントを稼ぐ手段として捜査書類の偽造が考え出されたとみられる。』

診療報酬の低下,健康保険料の個人負担の増加による病院収入の低下により経営の苦しくなった病院では入院患者数の増加と平均在院日数の低下による増収をもくろむようになっている.すぐに精密検査のために入院させるのはそのためだろう.

さらに最近問題になった名義貸し問題は大学からの派遣医師の引き上げを加速させる結果となり新たな問題を引き起こす可能性がある.それは派遣医師を増員してもらうために手術数をふやさなければならないということである.

必要な医師数の目安として外来患者数,入院患者数,医師が行う各種検査数や手術数などがあるが,外科系科目ではやはり手術数が重要視される.だから同じ医師不足なら手術数の多い病院が優先され,手術数が多ければ診療報酬も上がり病院長からも歓迎されるわけだ.だから当然のこととして医師には手術数の増加が要求されることになる.

だが,よく考えてみると手術の必要な患者数が増えることはあり得ない.何か特殊な事情が無い限り病気や事故が急増するわけではない.カルテの捏造で手術を増やしても診療報酬増加にはならない.では,どうやって手術を増やすのであろうか.

脳外科領域で最近増加したのはなんといっても未破裂脳動脈瘤の手術である.脳ドックの普及と相関してこれは確実に増えた.昔は破裂してクモ膜下出血になってから手術していたものを破裂する前に手術するわけだから予防的手術である.だが,未破裂のものすべてが将来破裂するとは限らないので実質的に手術適応の拡大となり手術件数は増えたのである.

手術を増やすもっとも簡単な方法はこのように手術適応の拡大をすることである.それが適正に行われるのなら問題ないのだが,脳ドックのガイドラインでも手術を勧めていないような動脈瘤を手術しようとしたり,脳卒中のガイドラインでグレードDの手術をするのはどうだろうか.

本当に患者や家族のことを考えればこんなことはできないはずなのだが,他の病院での手術後のトラブルで相談に来た患者さんの話を聞いたり,遷延性意識障害で転院後の家族の話を聞いたりしていると手術適応を決める際に患者や家族が適切に情報を伝えられていないことが感じられる.だから多くの場合に手術の結果に患者や家族が納得できないので相談に来るのである.それなら患者が死亡すれば訴訟になるのも当然だろう.

そして手術適応を決めた医師の頭の中に患者や家族の利益以外のものがあったように感じるのが脳外科医としてどうにもいやな感じなのである.では,なぜそんなにまでして手術をしなければいけないのだろうか.残念ながらその答えは私にはよくわからない.やってる人に本当の理由を話してもらうしかないだろう.
『--死亡胎児:幹細胞利用で再生医療に 厚労省が指針案提示--
 厚生労働省の専門委員会は1日、死亡した胎児から幹細胞を採取して臨床研究に利用する際の指針案を示した。中絶への同意と治療への協力に関する意思確認は別個に行うことや研究の科学的妥当性を国の機関が審査することなどが条件とされた。指針に従えば、損傷した脊髄(せきずい)の回復など再生医療に死亡胎児を利用する治療が公式に解禁される。今秋までに最終案をまとめるが、生命倫理の観点から慎重な意見もあり、議論を呼びそうだ。指針案は、利用する際の要件と同意の手続きの2点を中心に構成され、十分な動物実験の実績や他の治療法がないことを前提条件とした。その上で胎児の両親が中絶の意思決定をした後に、研究への協力の説明を受けることに同意し、医師以外のコーディネーターが研究内容を十分に説明するとした。同意はいつでも撤回できることも明記した。研究機関の倫理委員会の承認と、国の機関による審査を義務付けた。死亡胎児の利用は、同委員会が02年12月にいったん認めたが、議論不足との指摘が相次ぎ、審議を継続。今年5月に再度容認し、具体的な手順を議論していた。今回の指針は、幹細胞を用いた治療を想定しているため、基礎研究、胎児の組織や臓器の利用などには適用されない。幹細胞は、さまざまな機能を持った細胞に分化、成長することができ、再生医療への応用が期待されている。専門委の中畑龍俊委員長(京都大教授)は「きちんとしたルールの下に、再生医療を進める体制をつくりたい」と話している。』

脳死臓器移植が行われている現在,死亡胎児の細胞を再生医療につかっていけない理由はなさそうな気がするのだが,これが中絶とリンクしてくると話は別である.日本では中絶が適正に行われていると思っている人がいったいどれくらいいるであろうか.

米国では中絶に関する倫理的側面と女性の権利からの議論が相変わらず続いているようだが,わが国では中絶の倫理的側面に関する激しい議論が行われた記憶はない.中絶にいたる理由はいろいろあるだろうが安易に中絶手術が行われているような気がする.最近では出生前診断で男女産み分けをしようなどという産婦人科医まで現れる始末だ.

このように中絶で死亡胎児を得るということには移植以前にまだ検討するべき問題があるはずだが,中絶への同意と治療への協力に関する意思確認を別個に行えば解決されることなのだろうか.ヒトクローン胚研究の容認の時のように患者のためといって強行採決するようなことをすれば再生医療にも悪影響を及ぼす恐れがあることを忘れてもらいたくないものだ.
『信州大医学部付属病院で心臓の血管を広げる治療を受けた女性=当時(59)=が死亡したのは、医師が適切な処置をしなかったためとして、遺族が28日までに、同大に約6800万円の損害賠償を求める訴訟を長野地裁松本支部に起こした。訴状によると、女性は2000年10月に胸の痛みを訴え、心臓の冠動脈に挿入したバルーンを膨らませて血管を広げる治療を受けた際、冠動脈の内壁がはがれ、5日後に急性心筋梗塞(こうそく)で死亡した。遺族側は「医師は治療で死亡する可能性があることを説明しておらず、内壁がはがれた際の対応も緩慢だった」と主張している。同大は「訴状を受け取ってから対応を検討したい」としている。』

記事を読むとこれも結果が悪かったので医師の処置が不適切だとか治療で死亡する可能性の説明を怠ったとかが裁判での争点となるようにみえる.今までのニュースではここが争点になって医師に責任がないとされたものは皆無に等しい.今後も結果が悪くて本人が死亡すれば家族が訴えるというケースが増えるのだろう.

医師側は民事訴訟であれば損害賠償責任保険で対応できるが近頃の賠償金は保険の範囲を超えてきているし,業務上過失致死に問われればもうどうしようもないのである.血管内治療に限らず病院で治療中に死亡する可能性は常にあるわけだから,こんな形で裁判に持ち込まれることが増えればリスクの高い患者の治療は避けるしかなくなるだろう.

可能性の話をすればきりがないのだが,医学的に妥当性の高い治療であっても治療による死亡が0なんてことはあり得ない.医療行為の結果としての死亡率を下げることが治療の目的である場合にはその疾患で死亡するということが前提になっているということを患者も家族も知っておく必要があるだろう.

だから脳神経外科領域で言えば脳卒中(くも膜下出血,脳内出血,脳梗塞)や脳腫瘍は治療の有無にかかわらず死亡する可能性は常にあるということを皆さんに是非知っておいてもらいたいのです.
『地方で深刻化している医師不足問題で、厚生労働省は28日、へき地での医師養成の一環として、大病院などを定年退職した医師がへき地などの地域医療に参加するための再教育プログラムを設ける案をまとめ、総務、文部科学との3省連絡会議に報告した。2005年度予算の概算要求案に盛り込むことを検討している。医師不足は、大学病院の医師が実際には勤務していない病院から報酬を受ける「名義貸し」の背景にもなっており、連絡会議でへき地での医師確保策を話し合っている。2月に開かれた連絡会議では、都道府県に対し、自治体の担当者や医師会、大学が参加して医師の確保を話し合う対策協議会を設置するよう求めたが、これまでに10道県以上が設置したことも報告された。既に設置した福島県の場合、県立医大の医学部に担当医を15人準備し、自治体などからの要請に応じて派遣する「へき地医療支援システム」の構築に取り組んでいる。』

若い医師が僻地医療を希望しないがための苦肉の策なのだろうが,大病院などを定年退職した医師が僻地医療に参加する可能性は極めて低いだろう.若い医師よりも僻地医療に情熱を傾けると思われる熟年医師はさらに少ないだろうからである.

地方で医療をやっていて思うことは自分のまわりに友人ができないということである.まじめに僻地診療に貢献すればするほどその機会は少なくなる.なぜなら医師の人手が足りないからである.仕事で24時間拘束されているに等しい環境で友人を作ることなど不可能に近い.歳をとるほどに孤独はこたえるものである.

歳をとって悠々自適の生活に入ろうという大病院を定年退職した医師が地方の医療に身を投じることなんて期待するほうが無理だろう.よほどの人格者でなければ知り合いもいない地方で情熱をもって医療に貢献するなんてことはできないだろうし,昨今の患者や家族の医療不信を考えればわざわざストレスの多い見知らぬ土地での医療にかかわりたいわけがない.

米国の脳外科医などは必要なだけ稼いだら引退することを考えているという.それほどストレスが多いのだろう.僻地医療に貢献しようと出かけていった挙句に医療事故で訴えられてはせっかくの楽しい余生が台無しになるのである.いったい誰がそんなリスクを犯したがるだろうか.

医療訴訟の際には医師の善意を信用せずに,僻地医療ではその善意を期待するというのはあまりに都合が良すぎるだろう.だからこの際,善意に期待するのではなく若い医師が僻地に行ってでも医療をしたくなるような環境の構築がなされるべきであろう.このほうがより現実的だと思うのだが...
『-介護保険制度、初の大幅改正 賛否渦巻くなか一歩-
00年にスタートした介護保険制度の初の大幅改正となる05年度の改革に向けた動きが本格的に始まった。25日には、社会保障審議会障害者部会が、介護保険と障害者の支援費制度の統合を事実上容認する部会長案を了承した。保険料の徴収年齢を引き下げ、その代わりに若年層の障害者もサービス対象に含めようという案が下敷きになっている。厚生労働省は今秋にも原案をまとめる見通しだが、一部の障害者団体からは両制度の質の違いからサービス後退を心配する声も上がっている。
「統合問題について賛否がはっきり書かれていない。これでまともな議論ができるのか」。25日の障害者部会で部会長案が提示されると、委員から声が上がった。京極高宣部会長が「これは限りなく(統合へ)賛成に近い内容。こちらから(介護保険部会へ)ボールを投げなければ、議論が始まらない」と述べると、委員から批判の声が相次ぎ、京極部会長は「言い過ぎだった」と釈明した。部会長案は統合を事実上認める内容だが、反対論も依然根強いことを印象づけるシーンだった。00年の介護保険スタート時に要介護認定者は約218万人だったが、現在は約367万人。団塊の世代が高齢化していくと、介護保険財政の破たんは目に見えている。04年度の保険給付は5・5兆円だが、25年度には20兆円に膨れる。介護保険法では、3年で保険料を改定し、5年で制度内容を見直すことになっている。昨年4月の改定では、65歳以上の保険料が全国平均で13・1%アップし、月額3293円になった。保険者である市町村も赤字財政のところが増えている。一方、税財源で運営されている障害者の支援費は昨年4月に始まった。行政が必要と判断した福祉制度を障害者に与える措置制度から、障害者自らが希望する福祉サービスを選んで業者と契約する制度へと大きく変わった。初年度からホームヘルプサービスなどの利用者が急増し、100億円以上が不足する事態になった。今年度も引き続き予算不足になることが予想されている。
小泉政権の三位一体の改革で補助金が削られていく中、税財源による支援費制度の維持を危ぶむ声は強く、厚労省は支援費が始まる前から水面下で介護保険との統合を模索してきた。
厚労省は両制度を統合した場合、介護保険料を徴収する年齢を、現行の「40歳以上」から「20歳以上」に広げたうえ、20歳から必要と認めたサービスが受けられるようにする方針だ。財政の安定を考えての案だが、介護保険が始まる前から、20歳以上を被保険者とする議論が行われた経緯もある。先行したドイツの介護保険も年齢制限がないため、日本でも医療保険と同様、20歳以上を被保険者に加えるとの案に理解を示す関係者も多い。
 ◇負担増に警戒感−−反対の障害者
東京都千代田区で今月9日、全国から集まった車イスの障害者ら約700人が介護保険との統合反対を叫んだ。「厚生労働省は『障害者団体が反対することを進めることはできない』と言ってきたのに、審議会で強引に統合への議論を進めるのは許せない」「高齢者の介護と、若い障害者のサポートは根本的に質が違う」
両制度の違いは以前から指摘されてきた。介護保険は要介護認定を受けた高齢者が、要介護度による支給限度額の範囲内でサービスを受けられる。サービスの種類は、ケアマネジャーのケアプランに沿って、利用者が選択できる。一方、障害者支援費では市町村が個々の障害者についてサービス支給を決定し、障害者自身がどのサービスを選ぶかを決めるが、ケアマネジメントは制度化されていない。
介護保険では、身体の状態や痴呆の有無などをもとに要介護度が決まる。しかし、障害者のケアは日常生活上のハンディを補うだけでなく、社会参加や自立を目指す障害者のサポートが求められる。現行の要介護認定基準をそのまま障害者に適用すると、要介護度が低いランクに判定され、サービス供給量が狭められる恐れも指摘されている。また、利用者負担については、介護保険は原則として費用の1割負担(応益負担)だが、支援費は負担能力に応じた徴収(応能負担)だ。自立して暮らす障害者の多くが経済的に苦しい立場にあり、統合による負担増への警戒感は強い。
 ◇労使、障害者団体も対立
日本経団連は4月、介護保険と支援費の統合について「若年障害者には、就労支援、所得保障をはじめ、高齢者に比べ多様なニーズがあり、現行の介護保険制度の枠組みの中で一体的・効果的に障害者福祉が機能するのかどうか疑問」とする意見書を発表した。「支援費の財政支出が1年目から当初の予想をはるかに超えた原因を検証すべきだ」とし、統合に反対の立場を示した。保険料は雇用主と社員が折半して負担するため、経済界にはこれ以上負担が増えることへの反発が根強い。
一方、連合は5月20日に発表した「介護保険制度の見直しに向けて」の中で、「介護とは、高齢者特有のニーズではなく、疾病や交通事故などによる後遺症でも必要となるもので、年齢や事由を問うものではない。介護ニーズを社会全体で支え、あらゆる人の社会参加を保障するという、社会連帯に基づいた改革でなければならない」として、統合に賛成している。身体障害者などのグループに反対意見が多い中、知的障害者の親など約30万人で組織する「全日本手をつなぐ育成会」(東京都港区)は「両制度とも自己決定を尊重する理念に基づいている。急増する障害者のサービスの需要に対応し、安定した財源を保障するためには統合は必然」と発表し、意見は割れている。
 ◇介護保険と障害者支援費、統合容認の提案了承−−厚労省部会
介護保険制度と障害者の支援費制度統合問題を審議している厚生労働省の社会保障審議会障害者部会が25日開かれ、京極高宣部会長が「介護保険制度の仕組みを活用することは、現実的な選択肢の一つ」との部会長案を提案、了承された。統合を視野に入れた内容で、28日の同介護保険部会で是非が検討される。
両制度とも、高齢者人口の急増や国の補助金カットなどで財政難が表面化している。統合と同時に介護保険料徴収の年齢を引き下げ、保険財政の安定を図る狙いもある。部会長案は「統合」との言葉は使っていないが、実質的に容認している。同案は、統合された場合も障害者施策のうち介護保険制度でカバーできない分を別建てで対策を講じるよう求めている。しかし今月18日に開かれた障害者団体のヒアリングでは、条件付きで統合を容認する知的障害者団体などと、反対する身体障害者団体などに分かれた。
25日の障害者部会でも「部会長案を介護保険部会に提案することは了承するが、部会として統合に賛成するものではない」との意見が出された。

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 ◇介護保険と障害者支援費制度の比較◇

         介護保険          障害者支援費

対象  要介護認定を受けた被保険者 支給決定を受けた身体・知的障害児者

適用  要介護認定基準に基づく判断 統一的な基準はなく総合的な判断

ケアマネジメントの制度化 されている   されていない

費用負担      保険料と税金        税金

利用者負担     原則として1割負担     負担能力に応じて徴収

記事の引用が長いので詳細は割愛させていただくが,国のやることの目的ははっきりしている.それは社会保障制度にかかる税金を減額することである.障害者や要介護者へのサービスを実現するに当たっての予算の低減が目的であるのだから質の向上のために必要なことは費用の負担者を増やすことすなわち介護保険料徴収の低年齢化と地方自治体の財源への依存度を増やすことなのである.どちらにしても若年層や地方に在住するものへの負担増になることは明らかである.

患者のためという嘘

2004年6月25日
『ヒトクローン胚(はい)の研究を容認するかどうか真っニつの議論を続けてきた総合科学技術会議生命倫理専門調査会は、最終的に合意に至らぬまま、異例の強行採決で容認方針を決定した。2001年以来、29回目の会合となった23日。薬師寺泰蔵会長(慶応大客員教授)は、突然「会長としてのスタンスを用意しました」と発言。これまで議論のたたき台となって賛否が分かれた案とは別に、条件付きで容認する会長暫定案を配布し「強行したくないが、採決したい」と同意を求めた。委員からは「議論しても収れんしていない。とにかく決めることが大事だ」「まだ科学者同士の議論が足りない」「今日示された案で採決は早すぎる」などの声が上がったが、薬師寺会長は「そういう意見で結構です」と議論を打ち切り、挙手の採決に持ち込んだ。賛成10人反対5人で決着。反対した位田隆一京都大教授は「ちょっとアンフェアかな」と一言。西川伸一・理化学研究所グループディレクターは「倫理問題が絡む問題を、全会一致で決めるのは無理。研究の自由は制限されてはならないという考えから、容認を支持した。医療への応用を望む患者にとって光になる」と話した。』

『--容認に反対した島薗進(しまぞの・すすむ)・生命倫理専門調査会委員(東大教授)の--容認の方針決定は非常に残念だ。容認に科学的な妥当性がないのはもちろん、倫理的な議論も薄い。人類の選択にかかわる重要な問題なのに、国民の議論をかわそうという決定だ。この調査会の機能に疑問を持たざるを得ないし、総合科学技術会議の構成にも疑問を持っている』

『--総合科学技術会議生命倫理専門調査会の薬師寺泰蔵(やくしじ・たいぞう)会長(慶応大客員教授)の話--ヒトクローン胚(はい)の基礎研究を認めることで、再生医療に期待している患者に光を当てたい。卵子提供の方法や、再生医療研究の検証機関などの条件整備は難しい課題だが、道を開くと決めた以上、行政が責任を持って動いてほしい。議論が分かれた研究の有用性については検証機関で科学者にしっかり議論してもらいたい。』

生命倫理専門調査会なんて聞いたことがなかったが,国民の倫理観を調査するのではなく研究推進にみかけの根拠をあたえるのが目的のようだ.挙句に行政に責任を持ってもらい,検証は科学者にやってもらうのではなんの存在意義もないであろう.

要するにこの国ではヒトクローン胚研究を容認するというより研究者まかせにするということである.好き勝手に研究してもらい遅れを取り戻そうということなのだろう.これが自分たちだけは救われたい再生医療に期待している患者たちや企業の利害と一致するのだろう.

不健康でわがままで自分たちの幸せのためには手段を選ばない人間.そんな人間のクローンを増やしてなんの意味があるのだろうか.
『政府の規制改革・民間開放推進会議の官製市場民間開放委員会は23日、保険を適用する診療と自由診療を併せて行う「混合診療」の解禁など、医療分野の規制緩和について日本医師会と意見交換した。委員が「医療のお仕着せである『医師天動説』はやめるべきだ」と迫るなど、激しい議論が繰り広げられた。混合診療の解禁について医師会側は、松原謙ニ常任理事が「安全で有効な医療は、保険対象に速やかに認定すべきで、混合診療を認めるべきではない」と主張。桜井秀也副会長らは「規制改革会議は政府の立場で、保険の財源を心配しているのでは」と批判した。これに対し、委員側は「保険対象に加えるには時間がかかり、それまで患者の負担が重くなる」などと反論。企業の病院参入に関し、出資額に応じた議決権が認められないことに関しても「護送船団方式で、病院の淘汰(とうた)や競争を恐れている」と指摘した。規制改革会議は7月の中間取りまとめに向け、重点的に取り組む4項目に混合診療の解禁と医療法人の経営方式の在り方を挙げており、意見交換を実施した。』

医師会はなんでも保健医療にして患者の治療費を健康保険でまかない患者側の見かけの医療費を少なくして診療報酬の減額をおぎないたいのであろうか.

すくなくとも個人の倫理感がからんでくる終末患者の延命治療や移植医療そして生殖医療などはすべて健康保険からはずすべきだと思う.これらには必然性がないと思われるからである.これらは個人がそれぞれ自分の考えで選択すべきものであり必ずしもやらなければいけない治療ではない.

高額医療としてはなんらかの補助制度や保険制度があってもいいが,通常の保健医療とすると倫理的に問題があると考える人が同じ保険料を払うのでは不公平が生じるだろう.もしどうしても健康保険でやるのならこれら治療を選択しなかった人にはお見舞い一時金でも出したほうがいいであろう.

現在は形成外科や歯科などで保険の効かない治療があるのはよく知られていると思うが今後は他の診療科目でも治療のオプションを患者が自由に選べるようにしていくことも必要であろう.脳外科領域でも破裂するかしないかわからない未破裂脳動脈瘤の治療などは自由診療にしたほうが施設の規模や治療成績による治療費の違いがはっきりして患者さんにわかりやすいものになると思われる.

逆に治療法が確立しているものはガイドラインによる治療の標準化で保健医療での医療費抑制をすすめ,難病や伝染病では健康保険で十分な治療や予防接種などが受けられるようにしたほうがよいだろう.病気の治療も医療費を抑制しつつ効率的に治療をすすめるために健康保険でなんでもできるというような制度は改善していかないと必要以上の保険料を健康な人が払わなければならなくなるということである.
『大企業のサラリーマンらが加入する健康保険組合で、月額1000万円以上の超高額医療費がかかったケースが、2003年度は101件あったと、健康保険組合連合会が18日発表した。01年度の106件に次いで過去2番目に多く、前年度より20件増えた。このうち生体肝移植が11件、骨髄移植が6件あり、健保連は「移植治療の増加も、医療費の高額化につながっている」とみている。最も高額だったのは大動脈瘤(りゅう)の当時55歳の患者(死亡)で、月額2985万円。18日間の入院で、手術費用が2433万円と8割を占めた。一定額を超える医療費は公的医療保険で賄われるため、自己負担は約36万7000円だった。2番目は治療中の血友病患者で、月額2883万円。23日間の入院で注射費用が2852万円と医療費のほとんどを占めた。健保連は超高額の医療費がかかる症例について「新たに認可された高価な新薬や、専門的な病院で高度な治療を受けたケース」と分析している。健保連は医療費が高額になった場合、各組合に交付金を出している。一般疾病で月額100万円以上、特定疾病で40万円以上が対象で、03年度は約27万2000件と前年度より約2万件減った。人工透析機器の価格が下がり透析費用が低下したことなどが要因。』

手術費用が2433万円で結果が死亡となると手術適応に問題がなかったか調査してみてもいいだろう.超高額医療ではどうしても実験的な部分や救命のためにはリスクが高くてもやむをえない部分があるのは事実であるが,結果が伴わなかった場合は本当に治療により救命できる可能性があったのかを検証してみる必要があるだろう.そうでなければ医療費を無駄使いしているかどうか検証のしようがない.

そういう意味では包括払い制度を導入すれば無理な手術をすることは病院の経営を悪化させるから困難になるだろう.現行の「出来高払い制度」ではやるだけやって結果がだめでもかかった費用は保険請求できることになるので手術費用が2433万円でも家族が手術に同意さえすれすれば保険適応で手術可能である.高額医療といっても公的医療保険によりこの例でも自己負担は約36万7000円と格安である.

病院側としてはリスクが高くても高額な治療をやれば利益は確保できる.さらに最近は年間手術数が多いほど診療報酬を優遇するので手術件数もたくさんあればさらに都合がよいわけだから無理をしてでも手術して利益をあげようとしても不思議はない.冠動脈バイパス手術では年間手術件数が多い病院は手術死亡率が低いというのがその根拠のようにあげられている.

だが,考えなければいけないのは全体としての傾向という話と個々の病院では事情が違うということだ.もし,手術件数が多ければいいのなら最近の大学病院での医療事故死の多さはどう説明するのだろうか.実際のところは診療報酬による手術などの値段は決して適正とは言えないものが多い.だが,それ以上に各病院で適切に手術適応が決められているかどうかについてはさらに不明瞭であるから,考えようによっては病院によって命の値段が異なっていてもわからないだろう.

命の値段が高いということはこの場合は不当に高い値段をつけられ高額な治療を受けさせられるということであり,それでも結果が伴わなければあなたの命は病院の利益にしかならないということなのだから喜んでなどいられないのである.
『福岡市南区の市立福翔(ふくしょう)高校(段裕明校長、951人)で、授業中に居眠りをした2年男子生徒に40代の男性教師がカッターナイフを渡し、「血で書け」と反省文を書かせていたことが分かった。教諭は校長に「事の重大さを分かってほしかったが、まさか本当に血で書くとは思わなかった」と報告し、翌日、校長らと生徒の保護者に謝罪した。同高によると、男性教諭は17日午後3時ごろ、午前中の自分の授業で居眠りをした男子生徒を職員室に呼び出して注意した。しかし「生徒に反省の態度が見られなかった」として、B4判の紙とカッターナイフを渡し「鉛筆ではなく血で書け」と反省文を書くよう迫り、職員室を離れた。数分後に戻ると、生徒は左手の人さし指を切り、血で反省文の1行目を書き出していたという。教諭はすぐにやめさせたが、保健室で治療を受けさせることもなく、改めて鉛筆で書くよう指示。生徒は用紙の裏まで反省文を書いた。カッターナイフは学校の事務備品だった。職員室には当時、他に約10人の教諭がいたが、打ち合わせ中で気付かなかったという。その後、教諭は自ら校長に血で書かせた事実を報告。「授業前に注意したが眠った。反省が見られなかったので指導したが行き過ぎだった」と説明し、反省しているという。治療を受けさせなかったことについて学校側は「血は流れておらず、それほどの傷ではなかった」と釈明している。保護者は学校の謝罪に対し「指導は行き過ぎではないか」と話し、生徒は18日、学校を休んだという。19日午前に会見した段校長は「熱心な先生だが、カッターを持ち出すなど考えられないことだ。佐世保の事件(以降、学校での刃物の扱いが特に慎重になっていること)は、先生は皆、きちんと受け止めていると認識していたが、教師に対する指導が不適切だった。二度と起こらないよう指導したい」と話した。』

佐世保の事件などこの高校教師にはきっと他人事にちがいない.自分がカッターナイフで生徒に切りつけられるまでこの無神経さはきっと直らないだろう.授業中に居眠りをしただけでこんな制裁が待っているなんて信じられないことだ.私も看護学校で教えていてもあまりにおおっぴらに居眠りをされると腹が立つこともある.だが,自分の怒りを生徒にぶつけるのは教師のするべきことではない.

授業中の私語にしても居眠りにしても気に食わなければ教室から退室させればすむことであろう.教育熱心なのは教師として当然だが,カッターナイフを渡すことには教育としては何の必然性も考えられないし,体罰で問題を解決する姿勢は明らかに誤っている.生徒が拒否することができない状況であれば考えようによっては恐喝行為であろう.

カッターナイフで血で書けなどという恐喝まがいのことが学校という閉じた世界で行われていることに嫌悪感をおぼえるのだ.以前自分の子供の指を詰めさせた父親が逮捕されたが,このような教師こそ決して見逃すべきではないであろう.教師のセクハラや虐待が過失であることはあり得ない.生徒に対して優位な立場にある教師のこれら暴力行為に対しては教師にまかせるのではなく厳格に刑法を適用すべきであろう.
『厚生労働省は17日、医療機関が病名や治療の種類ごとに入院医療費を定額にする「包括払い制度」を、一定の条件さえ満たせば実施できるようにする方針を決めた。現行の「出来高払い制度」に比べ医療費抑制に効果があるとされる同制度を普及させることで、患者負担を減らし、医療の効率化を図る狙い。条件は(1)一定の症例数や看護体制の強化(2)入院患者の診療計画を策定し説明できる体制づくり(3)正確なデータが確保されていること?など。包括払い制度は、まず昨年4月、大学病院など82病院が導入。ことし4月からは民間病院にも拡大されたが、日本医師会の抵抗などで、実施できる医療機関は制度検証のため昨年からデータ提供に協力してきた92病院に限定されていた。92病院のうち、51病院が順次実施することを決めているが、健康保険組合連合会など拡大を要求している支払い側にも配慮。今後は協力病院以外でも、包括払いを希望する病院は条件さえ満たせば実施できるようになる。包括払いでは、医療費抑制が期待できる半面、手抜き診療でも定額が支払われる懸念もあるなど今後の検証が必要で本格実施には時間がかかるとの指摘もある。』

「包括払い制度」の目的は医療費の節約である.医療の標準化もわが国のように「出来高払い制度」のもとで過剰な医療が行われる場合には同様の効果を持つ.つまり主治医の裁量範囲を抑制すれば医療費は節約できるという考えがそこにはある.

「包括払い制度」にすれば厚生労働省が指導しなくとも診療コストを下げれば病院の利益率が高くなるわけだからさらなる診療コストの低下がすすむだろう.そうなれば治療の質より患者数の確保がポイントになるわけだから,今後は医療の質を確保することがますます難しくなることが予想される.

『病院や医師に不安を感じる人が7割を超え、特に乳児をもつ親では9割近くに上ることが18日、厚生労働白書の基礎資料としてシンクタンクが実施した「健康と生活の安心・安全に関する意識調査」で分かった。』

医療事故が毎日のように報道されれば医療不信になる気持ちもわかる.だが,先進国で最低レベルの医療費をさらに抑制し,医療の質の確保を唱えても現実にはそうはならないだろう.介護保険制度をみればわかるように質を維持するにはコストがかかるのは当たり前である.

国民の漠然とした医療不信は医療の現実に対する無知が原因だと思われるが,医療行政に対する不信感となんでも医師に責任を問いたがる患者や家族が増えていることに嫌気が差してきているのがこの国の医療の現場を支えている医師達であることにそろそろ気が付いてもらわないと医療の水準も先進国で最低レベルになることだろう.

事故を起す医師に医師免許を与えているのも,診療報酬の適正な配分ができないのも元はと言えば厚生労働省なのだから国民年金と事情はそう変わらない.結局まじめに働いても政治に無関心なものがバカをみる社会なわけである.気を取り直して今度の総選挙もまじめに投票するしかないだろう.
『奈良県立医大病院(奈良県橿原市)で昨年10月、くも膜下出血で入院した男性=当時(73)=の手術を執刀した同大救急医学教室講師(43)と上司の同教室教授(51)が、男性の家族から謝礼にそれぞれ現金80万円と30万円を受け取っていたことが16日、分かった。謝礼の受け取りは地方公務員法に抵触する可能性もあり、同病院は2人の処分も検討。高倉義典(たかくら・よしのり)院長は「驚くと同時に憤りを感じる。事実確認して厳正に対処する」とコメントしている。病院によると、男性は昨年9月22日に入院し、同26日にくも膜下出血の手術を受けた。10月に集中治療室(ICU)を出るなど経過は良好だったが、同月19日に誤嚥(ごえん)性肺炎で急死した。講師と教授は、手術後の9月末にそれぞれ30万円入りの袋を男性の家族から病院で手渡され、執刀医だった講師は翌月さらに50万円を受け取った。教授は12月、講師は今年1月に家族に全額を返却したが、病院には報告していなかった。病院は患者との金品授受はその場で拒否し、やむを得ず受け取った場合は上司に報告した上で返却するよう指導しているという。』

『奈良県立医大(奈良県橿原市)で昨年、入院男性=当時(73)=の手術を担当した同大救急医学教室教授(51)ら2人が男性の家族から謝礼金計110万円を受け取っていた問題で、手術後に男性が肺炎で急死したのは「病院側の医療過誤」と家族が指摘していることが17日、分かった。同病院は近く、内部の医療安全管理委員会で教授ら関係者から事情を聴き、男性が急死に至った経緯や原因を調査する。同病院総務課によると、男性は昨年9月26日にくも膜下出血で手術を受け、翌月にはチューブで流動食を取るなど経過は良好だったが、同月18日夜、突然ベッドで嘔吐(おうと)し、約13時間後に死亡した。死因は流動食が食道を逆流し、気管から肺に入ったことによる「誤嚥(ごえん)性肺炎」と診断された。家族は「流動食を投与する速度が速すぎたのではないか」と医療過誤を指摘。手術を担当した教授らが経緯を説明したが家族は納得せず、今月上旬に高倉義典(たかくら・よしのり)院長が家族を訪問、「説明が不十分だった」と謝罪したという。』

最近は病気がよくなって退院して行くときに謝礼金の受け取りをお断りする病院が増えているようだ.公的病院ではこれを禁止行為として医師や看護師に徹底しているのが普通だろう.だから県立医大の教授と講師が即座に謝礼を断らなかったことは一般常識からいって問題であろう.

後日全額返却したというのはまるで政治家の言い訳みたいだが,返却した理由はいったいなんだったのであろうか.患者さんが死亡したから?それとも地方公務員の自覚に目覚めたから?教授は12月に講師が1月にと返却の時期が異なっているのは,2人で相談したからかそれともしなかったからか?

脳血管障害で嚥下障害がありチューブで流動食をとる状態であればおう吐により嚥下性肺炎を起こすことは別に予想できない事態ではない.嚥下性肺炎は経管栄養のもっとも多い合併症で死亡することも当然ある.だからこのニュースだけではこのどこが「病院側の医療過誤」になるのかわからない.嚥下障害になるほどの重症なくも膜下出血であれば合併症で死亡することは十分考えられることである.

謝礼があまりに高額なのに驚いた.家族はよほど感謝していたのか,でなければ高額な謝礼と引き換えの特別な治療を期待していたのであろう.だが,期待に反した結果となったので「病院側の医療過誤」を疑ったということだろうか.もしそうなら家族の気持ちもわからないでもないが,これは勝手な思い込みだろう.謝礼をもらっても健康保険による治療では特別なことなどできるわけがないからそれが結果を左右することは考えられない.

最近の患者や家族の言動で気になるのは,医療というサービスをコンビニでの買い物のように思っているのではないかということである.外来で注射や検査の具体的内容まで指定し,忙しいから入院はできないとかあるいは逆に入院させろと要求する.これらは通常医師が決定することなのだがこの傾向がさらに進めばそのうちどこを切れだの治せだのと言い出すのではないかと心配だ.

最近の医療事故の扱いをみると結果がすべてで悪ければ家族には慰謝料を請求され警察からは業務上過失なんとかで起訴される.これなどはまるで欠陥品を売った三菱自動車と同じ扱いである.だが,よく考えてもらいたい.そもそも診療報酬は医師が決めているわけでもなく,診療を拒否する権利もなく,病気を持ったあるいはけがをした人を治療するのが医師なのである.

結果がすべてでお金ですべてを解決したいなら健康保険はもうやめるべきだろう.医師にも患者の選択権を与えればいい.そうして医師と患者が対等の立場で治療に関する契約をすれば治療の難易度と結果に対する患者の希望のバランスから市場原理により医療の値段が決まってくるであろう.これこそが患者の望む病院のコンビニ化であろう.

中心静脈栄養にしても経管栄養にしても事故で患者が死亡すれば医師が業務上過失致死で訴えられるというのでは嚥下障害の患者の治療などやりたい医師はいないだろう.だが,栄養しなければ患者はまちがいなく死亡する.患者を選択する権利も延命を拒否する権利も医師にはない.さて,あなたが医師だったらどうするだろうか.

薬の信憑性

2004年6月15日
『大学発ベンチャー「アンジェスMG」(大阪府豊中市)の遺伝子治療薬臨床試験のメンバーだった大阪大病院の教授や医師らが、同社の未公開株を事前に取得していた問題で、厚生労働省は14日、事実関係の確認などの調査に乗り出すことを決めた。株の保有や売却の時期など事実関係を確かめるとともに、患者へ治療薬を投与して安全性や有効性を調べる臨床試験(治験)データの信頼性に影響がなかったかを重点的に調べる。必要に応じて、関係者から事情を聴く方針。この遺伝子治療薬をめぐって同省は、2001年、臨床研究実施を、経過観察や患者選定を厳格に行うことなどを条件に承認。医薬品開発に向けた臨床試験実施の届け出も既に受けている。今回の問題では、臨床試験の公正さが問われているが、アンジェスMGは「研究には研究者の意図が含まれず、高い信頼性と透明性が確保されている」とする見解を出している。』

調査するのは当然であるが,治験をやり直さずに真に安全性や有効性のデータの信頼性を調べることは論理的に不可能であろうから事実関係の確認程度の調査で問題なかったなどと報告されても私は信用する気になれない.信憑性が疑われただけで治験を無効とするのが正しい処分であろう.

国内で保険適用になっている薬でさえも実際に使ってみて効果がよくわからない薬がたくさんある.現在は姿を消した脳代謝賦活剤などはそのもっともいい例であった.痴呆に効くといわれている薬や抗血小板作用がある脳梗塞後遺症によるめまいに効く薬なども私はあまり信用していない薬である.

実際に国内では薬であっても海外では効果がまったく評価されていないものもたくさんあると聞いている.製薬会社は現在すごい勢いで整理されているようで外資系の会社に吸収されてしまったところもあるようだ.国内産業保護のためには毒でも薬でもなければあってもいいという考え方もあるかもしれない.

外来をやっていると症状がよくなったのでもう薬をやめることをすすめても頭痛薬や末梢神経炎の薬などは患者さんがやめると不安だと言うので処方を続けていることも多い.ちゃんと説明してもこういう心理的依存状態の患者さんを説得するのは難しい.病院にかかったら薬をもらわないと安心できない患者にも問題があるということだ.

死亡すれば手術ミス

2004年6月14日
『国立療養所宇多野病院(現国立病院機構宇多野病院、京都市右京区)で昨年9月、脳の血管手術中に脳死状態になり、その後死亡した当時高校2年の男子生徒=当時(16)=の両親が11日、「手術ミスが原因」として、国に約1億4000万円の損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。訴状などによると、生徒は昨年8月、部活動中に急性硬膜下血腫で倒れ、同病院で脳圧を下げる手術を受けた。その後、回復しいったん退院したが、病院は脳内血管の奇形が原因で再出血の危険があるとして9月30日に再手術を実施。この手術中に医師がカテーテルの操作を誤って動脈の血管壁を傷付けたために生徒は脳死状態になり、18日後に死亡したという。宇多野病院は「訴状を見ていないのでコメントできない」としている。』

脳の血管内手術は専門医制度が発足して技術の安全性の確保への努力が続いているが,安全性は確立されたわけではない.たとえ専門医が行ってもこのような事故は起こりうるものであるというのが一般的な脳外科医の認識であると思う.専門医を養成する立場にある指導医でさえも患者が死亡して訴訟になっているのが現実である.

問題はこの治療をするにあたってこのような危険性が十分に患者および家族に説明されているかどうかという点に尽きるであろうが,動脈の血管壁を損傷して死亡することもあることに納得できないなら結果的には血管内手術に同意すべきではなかったということだろう.技術に問題がなくても不可抗力で動脈壁を損傷する可能性は0%ではないことはやっている側にはわかっていることなのだから,これを手術ミスと言われたのではやってられないというのが医師側の正直な言い分だろう.

私は現在の血管内手術はその安全性を考えるととても確立した手術手技とは思えないので血管内手術を患者さんに勧めることはほとんどない.血管内手術は確かに将来有望な治療ではあるだろうが現在の機材はまだまだ発達の余地があり私から見ると発展途上の実験的医療という印象がぬぐえないのである.脳外科医は新し物好きな人間が多いので現在流行の治療を誰しもやってみたいのであろう.

もうひとつの理由は血管内治療が比較的若い脳外科医にも少ないトレーニング期間で可能になるからであろう.脳神経外科専門医になる前に血管内治療専門医になることも可能である.そもそも脳外科医でなくとも循環器内科医や放射線科医であっても資格がとれるので脳神経外科専門医に比べるとはじめから対象が広いのである.

入院期間が短く,低浸襲で,経験年数の少ない医師でも可能というのが利点のように見えるが,実際のところこのニュースのような訴訟が頻発するようだとどこにメリットがあるのか疑わしい.産婦人科領域の医療事故の増大で医師会の医師損害賠償責任保険が赤字になるようだが,血管内手術がそれに追い討ちをかけないように願いたい.

このケースも実のところ本当に手術ミスなのか不可抗力なのかはわからないが,結果が悪ければ手術ミスというのでは先端医療のコストはあらかじめ訴訟対策費用を含んで診療報酬を決めてもらわなければならない.結果に対する医師の責任は逃れないものであり医師を弁護するつもりもないが,血管内手術に限らず手術を希望する人はくれぐれも治療のリスクについて納得ゆくまで説明を聞くなど主治医とのコミュニケーションを重視してもらいたいものだ.

ある意味では手術による障害は飛行機の墜落事故みたいなものであるから患者側も障害保険に入っておくなどの予防策をあらかじめとっておくことなどもいいかも知れない.これは外科医のわがままかもしれないが,保険会社が手術前に加入できる術後高度後遺障害保険なんていうものを作ってくれると患者側も医師側も助かると思われるがどうであろうか.
『文部科学省は11日、国立大教職員ら同省関係職員の昨年1年間の懲戒処分状況を発表した。前年より6人少ない96人が処分を受け、内訳は免職11人、停職29人、減給38人など。このうち、セクハラでの処分は前年より2人少ない15人で、自分が指導している学生と性的関係を持った大学助教授1人が免職となったほか、9人が停職、4人が減給、1人が戒告の処分を受けた。研究費などの不適正経理で処分されたのは10人。最も重かったのは停職で、補助金の不正受給や寄付金の虚偽申請を行った堤治東大教授(http://www.dr-tsutsumi.jp/)ら4人が対象となった。』

『大阪大の研究者らが設立した医薬品開発会社「アンジェスMG」(http://www.anges-mg.com/)(大阪府豊中市)が開発を目指している遺伝子治療薬について、臨床試験を行った大阪大病院の教授ら5人が、試験前に同社から未公開株を取得していたことが、12日わかった。製薬会社の株式保有者が臨床試験をすることは違法ではないが、上場時、保有株の半数を売った教授もおり、大阪大は、倫理上の問題があるとして、ガイドライン作りを検討する委員会を設置することにした。同社によると、この薬は足の血管などが詰まる末梢(まっしょう)血管疾患の治療薬「肝細胞増殖因子(HGF)」。未公開株を取得したのは、臨床試験のメンバー約10人のうち、同大学の教授2人と医師3人。臨床試験が始まる約半年前の2000年12月、第三者割当増資に応じ、1株5万円で数株から20株を取得。その後、1株100円の株主割当増資で、20株を持っていた教授2人の保有株数はそれぞれ320株に増えたという。
教授の1人は上場時、保有株の半数を約3200万円で売却したが、会社側は「上場時に市場に出す株が足りなくなり、会社からお願いして買い戻したものだ」としている。臨床試験は2001年6月から02年11月にかけ、患者22人を対象に行われ、現在も最終段階の試験中という。同社は1999年、治療薬の特許を持つ大阪大助教授(当時)が中心になり設立。2002年9月、大学発ベンチャーとしては初めて東京証券取引所マザーズに上場、上場初日には1株あたりの公募価格22万円に対して40万円の初値を付け、一時は132万円まで上昇した。11日現在、1株74万9000円となっている。同社設立の中心となった非常勤取締役の森下竜一・大阪大客員教授(42)は「上場後、値上がりが確実というような状況ではなかった。当時は公開予定すらなく、紙くずになる可能性もあり、購入者は、研究者らに限られた。文部科学省とも相談したが問題はないとのことだった」と説明。臨床試験の信頼性についても「患者の選定や判定など情報公開し、第三者委員会のチェックを受け、一切の疑念が出ないようにした」とした。宮原秀夫・大阪大学長は「臨床医が(製薬会社の)株を持っていても、実験データを(会社に)有利にすることはありえない。ただ、倫理上、道義上の問題も指摘され、ルール作りの必要性があるので、学内の委員会で検討する」と話している。』

一部の人間が悪いと組織がだめになるというのは三菱自動車だけではないだろう.大学の職員であったものなら変な教官の一人や二人はすぐにあげられるし,教官の地位を私利私欲のために利用したり地位にしがみつきたいばかりデータを独り占めにしたり,他人のデータを自分の物のような顔をしたりして利用する教官もいるだろう.だが,そういった悪事が研究者同士ならまだ同じ穴のむじなともいえる.

だが,ここに上げられた教官たちのやっていることは一般人からみれば犯罪もしくは道義的責任を問われて当然のことである.研究費の不正経理まで行うものがいるのに「臨床医が(製薬会社の)株を持っていても、実験データを(会社に)有利にすることはありえない。」などと言える根拠はどこにあるのだろう.こんなことをしておいてその製薬会社の薬を信用しろというのが無理である.私ならそんな薬を臨床で使用することは遠慮させていただく.

最近は大学病院も独立法人化の波で人減らしとともに優秀な人材は欲しいのが本音だろうが,最初から赤字になることが見えているような状況では優秀な人材は集まらないことだろう.だが,これは最近にはじまったことではなさそうだ.こんなニュースを見ていると大学の教官も小中学校のセクハラ教師と大差がないような気がしてくる.

大学の教授たちもやっぱりお金が欲しいんだから給料をせめて開業の院長なみにしてあげたら開業の院長にならないで教授をめざす優秀な医師も現れるのだろうか.でも,政治家みたいに給料だけもらって何もしない人も出てきたりして大学病院の赤字はやっぱり減らないかもしれない.
『福岡県警捜査1課は10日、脳外科手術中のミスで患者を死なせたとして業務上過失致死の疑いで、福岡市西区の白十字病院(溝口強美(みぞぐち・つよみ)病院長)に勤務していた男性医師(37)と女性医師(31)を書類送検した。調べでは、2人は昨年7月31日、水頭症を発症した同市西区の女性=当時(52)=の手術を担当。頭蓋(ずがい)内にたまって大脳を圧迫している脳脊髄液を取り除くため、右後頭部にチューブを挿管する直径17ミリの穴を開けた。しかし、位置を誤ったため、メスで静脈が集まった部分を傷つけ出血性ショックで死亡させた疑い。男性医師が脳神経外科医長として指導し、女性医師が執刀。2人は頭部に穴を開ける際、目安になる線を引くよう定めた病院のマニュアルを守っていなかった。溝口病院長は「大変申し訳ない。再発防止に安全管理体制を見直したい」と話した。患者の遺族に謝罪し、すでに示談が成立したという。』

水頭症手術の中で脳室-腹腔シャント術といわれる手技があり,これには前角穿刺という方法と後角穿刺という方法があるのだが,おそらくこれは後角穿刺の際に太い静脈もしくは静脈洞を切開して止血できなくなったのだろう.こんな話はさすがに聞いたことがないので驚いた.

ちゃんと穿刺予定部位を計測していれば通常は問題が起きる可能性は低いのだがこの記事ではそのあたりがよくわからない.指導医がいたのに事故が起きたのは慣れによる油断だったのかそれとも運が悪かったのかいったいどちらなのだろうか.

だが,ちゃんと計測しても誤差もあるしこの手術操作自体が静脈を直視下におく以前に静脈を損傷してしまうリスクのある手技でもあるので本当の事故原因の特定はなかなか難しいものがあるだろう.

脳外科領域に限らず俗に言うブラインド操作(直視下で行えない手技)というものが外科の手技に存在している以上こういったリスクは必ず存在するわけで,こういった記事をみると明日はわが身といった感じがして背筋が寒くなるのは私だけだろうか.
『厚生労働省の2003年人口動態統計で、1人の女性が一生の間に産む子供の平均数を示す「合計特殊出生率」が初めて1.3を下回り、1.29となることが10日、分かった。厚労省が近く確定値を公表する。1.32だった02年から大幅に低下し、少子化が予想を上回るスピードで進行していることを示した。国が年金など社会保障制度の前提として想定していた水準も下回り、政策見直しを迫られるのは必至。今回の年金制度改革で政府与党は「現役世代の手取り年収の50%の給付水準維持」を約束したが、このままの勢いで少子化が進めば実現は困難な状況になる。厚労省の国立社会保障・人口問題研究所が02年に公表した将来推計人口(中位推計)は、03年の合計特殊出生率を1.32とし、07年に1.3台で底を打って、50年までに1.39程度まで緩やかに回復するとみていた。今国会で成立した年金制度改革関連法はこの数字をベースに将来の総人口を推計し、負担と給付の額を試算している。毎年の人口動態統計によると、日本の合計特殊出生率は1970年代から低下傾向が止まらず、先進国の中でも最も低い水準。厚労省は保育所整備や育児と仕事の両立支援などの少子化対策を進めているが、03年に生まれた子供は112万1000人で前年より3万3000人少なかった。また将来推計人口は06年をピークに日本の総人口が減少に転じるとしているが、予想を上回る少子化の進行により「人口減少時代」の到来が早まる可能性もある。』

『「別の計算方法なら出生率は1.55になります」。厚生労働省は、2003年の合計特殊出生率が過去最低の1.29になったと発表した10日の記者会見で、新たな「コーホート合計特殊出生率」という物差しを示してこう説明した。担当者は「晩婚、晩産の傾向が進む中で、ある1年間で計算しても女性が一生に産む子供数を正しく理解してもらえない」としたが「低い出生率を繕うためではないか」との声も上がった。厚労省が毎年公表しているのは、調査年に15-49歳の女性が出産した出生率を合計した「期間」出生率。最近は、既に出産済みの中年層と晩婚志向の20代がどちらも低いため「現実より低い数字になる」というのが厚労省の説明だ。これに対し「コーホート」は、ある年代が実際に産んだ子供の数を追跡したもので、例えば03年に35-39歳だった女性では1.55だった。しかし国際比較や将来推計人口で使うのは「期間」。会見では「子供を産まない20代が30代になれば産むと言う根拠はあるのか」と記者に問い詰められ、担当者が言葉に窮する場面もあった。ある統計学の専門家は「コーホートの方が現実に女性が産む子供数に近い可能性はあるが、どちらも正確とは言えない」と話している。』

計算方法を変えても人口減少に歯止めがかかるわけではない.年金など社会保障制度の前提が崩れようが私は人口減少には賛成である.理由はいろいろあるのだが地球上に人類はそれほど必要ないだろう.世界の多くの地域で貧困の最大の原因は人口が経済力に比較して多いことである.だから人口が少なくなること自体は悪いことではないだろう.

人口が減少しても一人当たりの生産性が向上すれば社会保障制度の資金に困ることはないのだ.これからは量より質を選べばいいのである.そのためには老人より子供にお金をかけるべきであろう.老人医療にお金をかけても生産性は上がらない.小児医療や子供の教育にもっともっとお金をかけるべきであろう.子供が楽に安心して育てられる環境を整えれば出生率も上昇するはずである.

現在の日本はこれらの点では先進国のなかでもっとも遅れた対応をとってきた.その結果として子供に関するいろいろな問題があらわれてきているのは最近のニュースを見ても明らかだ.年金だって現在の老人が一番有利になっている.長寿世界一なのも老人福祉偏重なのと無縁ではないだろう.そろそろ老人福祉偏重の社会から視点を移すべき時が来ているように思うのは私だけだろうか.
『入学式や卒業式での君が代斉唱をめぐり、東京都の横山洋吉教育長は8日の都議会で、児童や生徒も起立して歌うことを教職員が指導するよう求める職務命令を、都立高校などの各校長に出させる考えを示した。違反した場合は懲戒処分する方針。これまでは教職員本人が起立して歌うよう職務命令を出させていたが、児童・生徒にも徹底させるために、さらに指導強化を図る考えだ。
都教委は教職員が国旗に向かって起立し、君が代を歌うよう命じる通達を昨年10月に出し、今春、通達に基づいた校長の職務命令に違反したとして238人を処分、生徒が起立しなかった学校の67人を指導が不適切だったとして「注意」や「指導」をしている。横山教育長は「教員は法令や学習指導要領に基づき、児童、生徒に国旗、国歌の意義を理解させ、尊重させる態度を育成する責務がある」と指摘した。』

長崎市の少女殺人事件には胸が痛んだ.特にわが娘を亡くした父親の気持ちを考えるとなおさらである.私にはちょっと想像もできない少年少女の殺人行為と現在の教育とは決して無関係ではないと思うし,児童を虐待する教師の存在には怒りを禁じ得ない.

そんななかで古くもあり新しくもある国歌,国旗問題ではある.私も高校時代には今考えると別にこれといった理由もなく国歌は歌わなかった.今でも君が代に特別な思い入れなどはない.だが,別に反皇室派ではないし先日の皇太子サマのメッセージには共感できる部分もある.

だが,愛国心と国歌を短絡的に結びつけ,それを教師や生徒に強要することは教育ではないだろう.世界の中での日本の現状を理解させ,これからの日本について考えるような生徒を育てるような教育の結果として自然に国歌や国旗を尊重するようにならなければ意味がない.

なんでも法律で決めれば強制できると思い込んでいる政治家に迎合している教師には人を教える資格などないだろう.人間の心の成長と言うものは強制で成り立っているのではなく共感で成り立っているのだから.

東京都知事は以前から古き良き日本という妄想に取り憑かれててでもいるかのような発言を特徴にしているようだが,東京都の教育委員会の右ならえでもしたかのような対応に疑問を感じるのが良識ある人であろう.過去から学ぶことが大切なのであり,過去にもどればいいわけではないだろう.

横山教育長の「教員は法令や学習指導要領に基づき、児童、生徒に国旗、国歌の意義を理解させ、尊重させる態度を育成する責務がある」という言葉はまるで裁判官の判決のようで良識あるひとの失笑をかうことであろう.

この例を挙げるまでもなく今の教師たちに常識的で公正な価値観をしっかりもっている人がどのくらいるのかは疑わしいが,生徒にはこれら反面教師たちから物事の正しい価値観というものを是非学んでもらいたいものである.
『病院と医師の“仲人役”ともいえる医師紹介業が急成長している。背景には、医局の煩わしい上下関係から逃れ、自由にキャリアアップを図りたい医師と、地方病院の深刻な医師不足がある。しかし、好待遇を期待する医師側に対し、経営が厳しい病院の事情もあり、すんなりと交渉成立とはいかないのが現状のようだ。「医師が転職の条件にテレビと洗濯機の新調を求めているんですが」。札幌市に本社を置く医療スタッフ紹介業「キャリアブレイン」の社員から、北海道胆振(いぶり)地方にある病院の院長に電話があった。「洗濯機ねえ……」。この機会を逃すと医師定数を割ってしまう。院長は少し考えたあと「わかりました」と答え、交渉は成立した。全国自治体病院協議会(東京都)が昨年3月まとめた公立病院の医師充足率は、全国平均が103%で、関東が132%に対し、北海道76%、東北84%、北陸88%と、地方の医師不足が顕著だ。医師充足率の低下は病院経営に深刻なダメージを及ぼす。医師の確保が死活問題の病院と、転職を希望する医師の橋渡しをするのが医療スタッフ紹介業。双方の代理人として年収など待遇面を交渉し、契約が成立すれば病院から、紹介した医師の年収に応じた手数料を受け取る。現在、全国に30社余りあり、最大手「リンクスタッフ」(本社・東京)の売り上げは昨年度約10億円。手数料は年収の10―20%で毎年1・5倍のペースで増えている。同社は「市場規模は現在、数十億円に膨らんでいる」と話す。「キャリアブレイン」は、この5年間で売り上げを7倍の2億8000万円まで伸ばし、約300人の医師の転職を仲介。約4分の1は札幌や東京など大都市から道内や東北の地方へ送り出した。吉岡政晴社長は「『給料が高ければ田舎でもいい』とか、自分がやりたい医療のために医局の束縛から逃れたいといったドライな考えの医師が若い世代に増えている」と、医師側の意識変化を分析。ほとんどの場合、医師が交渉の主導権を握り、希望年収は地方に行くほど跳ね上がる。「若手医師は都内なら1200万円程度だが、仙台市で1500万円程度、岩手県沿岸になると2000万円以上でも交渉成立は難しい」という。昨年、北海道のある公立病院に医師側から提示された条件は年収2600万円。地元議会の了承も得たが、医師から「やはり3000万円以上」と求められ、病院側は「高額すぎて住民が納得しない」と、獲得をあきらめた。「年収はこだわらない。地方の小さな病院で働きたい」と地域医療に熱意を燃やす医師もいるが、3LDK以上の住宅を用意するのは当たり前、飛行機通勤まで認める病院も出てきた。4月からは新卒医に希望する病院での2年間の臨床研修を義務付ける臨床研修医制度がスタート。大学の医局は“新卒医不足”となり、病院への医師派遣が難しくなる。ある業者は「病院が医師派遣を期待して大学に寄付などしてもむだだろう。さらに紹介業の需要は増える」と鼻息が荒い。◆医師充足率=医療法の基準に従い、前年の外来・入院患者数から算出される「医師定数」に対し、実際にどれだけの医師が従事しているかを示す割合。診療報酬制度には、医師充足率が6割に満たない場合、病院の大きな収入源である「入院基本料」がカットされるなどのペナルティー規定がある。』

今朝の新聞に坂口厚労相が地方公務員として医師を登録する制度をつくって地方の診療所などへ派遣するようなことが書かれていた.国家公務員といわず地方公務員というところが押し付けがましいが,登録する医師のめどはあるのだろうか.

現実には上の記事のような紹介業がはやっているらしい.キャリアブレインからなぜかダイレクトメールが来たりもする.北海道では医師が3000万円以上を要求したとあるが,実際地方の自治体病院でそんなに払えるところはないだろう.しかも年々自治体病院の医師の給与は減る一方だ.

お金のためだけに医師をやるなら地方都市で開業するだろうし,お金より仕事や研究を優先すれば大都市の方が有利なこともある.地方公務員待遇ということは基本給や住居は地方公務員と同じで医師手当て分でほぼ24時間拘束されて救急患者に対応せよということなのか.

だが,お金や住居以外のことでも地方自治体の病院や診療所における待遇の悪化が若い医師が地方を避けている理由なのではないだろうか.先輩たちの話を聞くと昔の方が給料も多かったし素直に感謝してくれる患者さんや家族が今よりははるかに多かったらしい.要するに地方で働くことにやりがいがあったようだ.

しかるに現在はどうだろうか.医師であることに誇りをもって働ける環境にある医師はどれほどいるのだろうか.仕事に誇りをもてなくなった医師に献身的医療を期待するほうが無理である.転職の条件がテレビや洗濯機であることにこの院長はあきれたのだろうが,もはや来てくれる医師のレベルがその程度になっている病院自体の問題を考えなければいずれなくなる運命だろう.

地方の病院に転職していく医師たちの興味がお金ならそれに見合った収益を自治体病院が上げれるように診療報酬を改定しなければ現実には医師の確保はできない.地方に大都市なみの医療環境を希望するのはコストの点から無理だろう.だからやっぱり登録制にしてもまともな医師は登録しない.それとも低賃金で設備もいまいちな病院で,休みが少なくて住環境が悪くても医師としての誇りを持って働ける医師がまともなんでしょうか.
『治る見込みのない末期患者の医療の在り方を議論していた厚生労働省の検討会は4日、延命治療の実施や中止について具体的な手順を示すガイドラインを専門医学会が作成するべきだとする報告書の素案をまとめた。素案は、最近の安楽死事件にも触れ「許されない安楽死と、単なる延命治療の中止との境界があいまいになっている」と指摘。明確なルール作りのため、法律家も参加した国民的議論が必要だとしている。検討会は23日、最終的な報告書をまとめて公表する。厚労省が昨年実施した意識調査では、自分が痛みを伴う末期症状になったときに「単なる延命治療」をしないよう求める人は全体の74%に上ったが、終末期医療に悩みや疑問を感じる医師は86%、看護師は91%いた。医師が患者の苦痛を取り除こうと死期を早め、問題化するケースは後を絶たず、川崎市の病院で1998年、筋弛緩(しかん)剤を投与されたぜんそく患者が死亡。今年2月には北海道の病院で人工呼吸器を外された患者が死亡した。素案はこうした事実を踏まえ「どういう手順を踏んだ延命治療の実施や中止が妥当なのかという社会的合意がなく、医療現場が苦悩している」と問題を提起。在宅で最期を迎えられる体制づくりや緩和ケア病棟の拡充なども提言している。』

日本では安楽死は法律上認められていない.本人が安楽死を希望してもかなえられることはない.安楽死に協力した医師は刑事責任を問われるのだから協力する医師がいるわけはない.

一方でどういう理由かわからないが勝手に患者の延命を中止したり,安楽死のつもりで殺人行為をしてしまう医師がいることは明らかだ.日本人は人間の死というものに対してはっきりとした認識ができないのだろうか.多くの人が自分に関しては延命治療を希望しないと答える一方で,親族の延命治療を望まないとはっきり言える家族は非常に少ない印象である.

延命治療の実施や中止について具体的な手順を示すガイドラインを決めるというが,実際にこれを決めるにあたっても賛否両論が出てあいまいな表現のガイドラインになることを危惧している.そうなっては医療の現場で医師の手間ばかりがさらに増える恐れがあるので,できるだけ家族が読んでも理解できるような内容にしてもらいたいものである.もちろん理想は医師の説明とガイドラインにしたがって積極的に家族が治療方針を決定してくれることである.

幸い脳外科領域では脳死判定するような患者さんの意識はないし脳腫瘍の患者さんも末期には意識障害になるので安楽死を希望されたりすることは稀である.癌の疼痛コントロールの必要なケースも稀である.しかし,最近の療養型病棟を診ていて問題に思うのは遷延性意識障害の患者さんの多くは医原性であるということである.

最近の医学における治療というものは治療後のQOL(Quality of Life)や治療効果を基準に考えるものであって,救命救急でたとえ命が助かったとしても遷延性意識障害で寝たきり(俗に言う植物状態)では治療効果として脳外科的には評価できないと思う.しかし,医師の古来より医師の使命は可能な限り患者さんを救命することであるという考え方があるためか,遷延性意識障害で寝たきりになるであろうことが予想されても手術が可能なかぎり手術しようとする脳外科医がいるのが現実である.

もっと驚くのは手術をした結果どうなることが期待できるのかという点になると主治医からほとんど聞いていないもしくは憶えていない家族が非常に多いことである.当時は救命できる可能性だけを信じて手術に同意したのかもしれないが,その結果として患者さんは植物状態のままある期間は生存しいずれは合併症での死を迎えているのである.

遷延性意識障害の患者さんの最期を看取る時に人生の最期としてふさわしいその人間の死のタイミングはどこにあったかと考えることがあるが,残念ながら他に死ぬべき時があったような気がするこが多い.尊厳死という概念があるが,私だったら意識の無いまま姿形を変えて見るも無残な姿での死を迎えるのは厭である.少なくとも元気だったころの面影を残して死んでいきたいものだ.

安楽死という問題の前にその人にふさわしい尊厳を保った死というものについて是非考えてもらいたいものだ.
『小児科以外の救急担当医は子供を診療する際、90%以上が不安を感じながら診療していることが5日、厚生労働省研究班(主任・田中哲郎(たなか・てつろう)国立保健医療科学院生涯保健部長)の調査で分かった。「転送したい」と考えたことのある医師は60%を超え、実際に転送した医師も40%以上だった。小児科医不足が深刻化する中、小児救急の「空白・過疎地区」では、今も患者たらい回しの危険をはらみながら綱渡りの医療が続いていることを示した。田中部長は「専門外でも、責任感で診療する現場の医師のつらい現状は想像以上だった」と話している。
調査は2003年秋、近くに中核的な医療機関を持たない救急病院1531カ所で、小児科医以外の救急担当医を対象に実施、1211人から回答を得た。子供の救急診療時に不安が「大いにある」は63・2%、「少しある」が28・3%で、計91・5%が不安を感じていた。転送したいと思ったことは「よくある」18・2%、「時々ある」43・8%。実際に転送経験がある医師は40・6%だった。52・8%が「診療が不安な時でも転送などの手段がない」と回答。トラブルになったり、なりそうになったりした経験があると答えた医師は17・3%もいた。小児救急をめぐっては岩手県で02年9月、生後8カ月の男児が次々に「診療拒否」に遭い死亡する問題が発生。小児科医の急増が見込めず、厚労省は4月から(1)テレビ電話など情報技術(IT)網を使い、救急医が小児科医から助言を受けるシステム(2)夜間の保護者向けの相談電話体制(3)専門外の医師の小児科研修?の整備を補助対象としている。』

この記事では小児科以外の救急担当医の不安の具体的な内容については書かれていないが,救急外来の現場に立てば不安の原因は要するに専門外の患者を診てしまったがために生じる責任であることは容易に想像ができる.救急担当医であれば病気の子供を診てあげることに抵抗を感じることはそれほどないだろうが,その親と話すことにストレスを感じる機会は多いだろう.

実際,小児科医があまり必要もなさそうな点滴をしたり薬を処方する理由の大部分は患者である子供ではなくその親を意識してしまうからなのだろう.救急外来にたいしたこともない熱発で受診している子供の親などというのはそもそも家庭の医学ほどの知識もないので一から説明するより点滴で納得させるほうが手間がかからないのだから無理もない.理解できるまで説明していたら点滴が終わってしまうのでは救急外来は進まない.

私の経験ではいままでに点滴を拒否した親はいないが,点滴は必要ないと説明してすぐに納得した親は数少ないのが現実である.頭をぶつけたらレントゲン写真や頭部CT,熱が出たら点滴やタミフルが必須と思っているようだ.まったくやれやれという感じになる小児科医の気持ちもわかる.

だが,小児専門医でないとやれやれという感じる以前に小児科医でないことを親に理解してもらうということが必要になってくるからさらにストレスは高いのだろう.だから小児救急をやりたくない小児科以外の救急担当医は今後も増え続けるはずでいずれ小児救急は小児科医のいない病院では受け付けなくなると思われる.責任感で診療する現場の医師の善意は「小児科の先生には診てもらえないんですか」という無責任な親の一言で崩壊していくだろう.

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